今回のテーマは「SaaS」である。

そのまま読むと「サァァス…」であろうか、一瞬で砂になりそうな、生命力が微塵も感じられない言葉だ。瀕死である。

しかし、同じ文字に何かが挟まれているというのは「嬲る」と同じ構図なので、もしかしたら刺激的な意味の言葉ではないかと期待が高まる。ちなみに、「嬲る」は「嫐る」と書いても正解らしいので、意味は暴力的だが、男女どちらが攻め手でも対応できるフレキシブルな言葉なのだ。それに、「アス」が入っているということは、尻の穴の話をする好機到来でもある。

しかし、当コラム、どう考えても使える言葉がどんどん減っており、最近ではエロと書くのもはばかられ、セクシーなどという、開封1カ月経ったコーラのごとき気の抜けた言葉を使っている始末だ。

よってそういう話をしたいなら、尻の穴などという下品な言葉は使わず「肛門」と言わなければいけない。もしこれがダメなら、「先週肛門科に行った」という話はどう語れば良いのか。実際肛門科に行くことがあったとしても、それをここに書くかどうかは置いておいて、ともかく肛門と書くこと自体は問題ないはずである。

では、存分に期待が高まったところで「SaaS」の意味をさっそく調べてみよう。

あらゆるデータをここではない、どこかへ

SaaS(Software as a Service): ソフトウェアを通信ネットワークなどを通じて提供し、利用者が必要なものを必要なときに呼び出して使うような利用形態のこと。 (出典:IT用語辞典 e-Words)

「嬲る」も「肛門」も一体どこに行ってしまったのだろう、という結果である。現実と担当はいつも厳しい。

つまりSaaSとは、ソフトウェアを従来のように自分のPCにインストールして使用するのではなく、ネット上の、ソフトウェアにアクセスし、使うということらしい。ゲームで言うなら、ソフトをパッケージ購入してプレイするタイプではなく、ネット上にあるゲームにアクセスしてプレイするオンラインゲームのような仕組みである。

メリットとしては、使いたい機能を使いたい時だけ使えるため、短期で使うならパッケージを買うより割安で、またバージョンアップなどの手間もいらない。デメリットは、長期で使うとしたらパッケージを買った方が安く、またソシャゲがシステム不具合時にはゲームができないのと同じように、ネットワーク障害時にはそのアプリは使えないし、ソシャゲと違って多分詫び石も貰えない、という点がある。

このような仕組みについては「クラウド」がテーマの時に、FFVIIの主人公のことを語るついでに似たような話を書いた記憶がある。

つまり今の世の中、自分のPCにソフトをインストールしたり、データを保存したりするのは、ダサい。「俺はこのデータを保存する、ここではない、どこかへ!」というのが時流なのだろう。

私などは完全にダサいので、未だにソフトもデータも全部自分のPCに入れている。そのため、もしも原稿の最中に突如PCが爆発したら、データは全て消失する。おそらく私も一緒に爆死であろうか、もう原稿とか関係ない気もするが、とにかく全てが「完」だ。もしそうなったらどうするのか、と問われると「その時考える」としか言えず、まったく危機管理がなっていない有様である。

SaaSが救うかもしれない「オタクの死に支度」

だがこの「SaaS」、ビジネス面だけではなく、一オタクとして興味深い仕組みだと思う。

財産のある人が、自分の死後、遺族が遺産の取り分で揉めないよう、元気な内に遺書を残すように、オタクも常に死に支度をしておかなければいけない。だがそれは残念ながら財産があるからではなく、死後親族に見られてはマズいものをしこたま所有しているからである。

たまに、急逝してしまったオタクの部屋からR指定の美少女ゲームや漫画がわんさか出てきて、ご両親がどう処分していいものか悩んでいるという、全く笑えない話題が耳に入ることがある。だがこんな悲劇も、「ここではないどこか方式」でそれらを管理していれば起こらないはずである。

ゲームも漫画(電子書籍)も、ダウンロード形式ではなく、ネット上にあるそれにアクセスしてプレイしたり読んだりする形であれば、ゲームのパッケージや本など形あるものはもちろん、自分のPCにすら何もデータが残らない。

遺族も故人のPCぐらいは見るだろうが、他所に保存されているデータまで見る確率はかなり低いと思う。フィギュアや抱き枕とか、実体のある物はどうすんだと思うかもしれないが、それは「故人の嫁」であるから、ご両親は「娘」ないし「息子」と思って今後も大切にすれば良いと思う。

もちろん、データじゃなくてパッケージや書籍という形で欲しい、と言い出すのがオタクのオタクたる所以でもあるが、今後「見られたくないデータは、自分のPC上ではなく、他所に保存」というのは十分スタンダードになり得る。あとは、所有者の心臓が止まったと同時にデータが消える仕組みを作れば、一獲千金ワンチャンある話である。

黒歴史は若者の専売特許ではない

これで後世に恥が残る危険性がかなり減ったかのように思われるが、それでもどうにもならないのが「黒歴史」である。最初からこれは見られてはまずいものだという認識があればいいが、黒歴史とは、作っている時点ではそれが黒歴史になると気づいてないため、むしろ嬉々として人に見せようとするのだ。

昔だったら、ノートに描いた漫画やポエムを友人に見せたりして、黒歴史となった後もそれを記したノートが親に発見されるぐらいで済んでいた。だが、今はネットがあるため、たやすく未来の黒歴史をワールドワイドウェブに発信できてしまうのである。

よく中年のオタクが「中学生のころネットがなくて本当に良かった」と、さも命拾いしたかのようにつぶやいているが、何度も言う通り、黒歴史というのは作っている時は気づかない。そのため、今現在自分がpixivに投稿している絵や小説が、10年後黒歴史になる可能性は多いにあるのだ。そして前述のように急逝したら、ネット上にそれが半永久的に残るのである。

真に必要とされるのは、所有者の心臓が止まったと同時に、データはもちろん、すべてのWebサイト、ブログ、SNSのアカウントが抹消されるシステムだ。これで一攫千金、二兆円間違いなしである。


<作者プロフィール>
カレー沢薫
漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「やわらかい。課長起田総司」(2015年)、「ねこもくわない」(2016年)。コラム集「負ける技術」(2014年、文庫版2015年)、Web連載漫画「ヤリへん」(2015年~)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。本連載を文庫化した「もっと負ける技術 カレー沢薫の日常と退廃」は、講談社文庫より絶賛発売中。

「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は2016年8月9日(火)掲載予定です。