【コラム】

東京バイツ

155 精神世界に移り住むために

    福冨忠和  [2003/12/18]

    「産業世界の支配者たちよ、あなたがたは巨大な肉体と鋼鉄に疲弊している。私はサイバースペースからやってきた。そこは精神の新しい住処だ。」(John Perry Barlow, A Declaration of the Independence of Cyberspace)

    1996年2月、米国議会がインターネットを規制する通信品位法(Communication Decency Act)を議論しはじめると、ジョン・ペリー・バーローは先の文ではじまるこの『サイバースペース独立宣言』を発表し、インターネットの世界が国策的な通信サービスや電話会社の業務のちょっとした拡大に過ぎないと考えていた人々に、新しい「場所」に関するわかりやすいイメージを提供することになった。ロックグループ、グレートフルデッドの作詞家バーローはすでに1990年、ロータス創業者ミッチ・ケイパーやサン・マイクロシステムズの初期メンバー、ジョン・ギルモアらとともに電子フロンティア財団(the Electronic Frontier Foundation)を創設し、サイバースペースの自由と公正のために活動していた。しかしその活動にもかかわらず、そこに接続していなかった多くの政治家たちにとって、サイバースペースは新手の地下出版物程度のものであり、議会はそこを名指しにした法律を上程しようとしていたのだった。

    バーローが示したことを単純化すればこういうことだ。サイバースペース、すなわち私が語っているこの場所、あなたがそれを読んでいるその場所は、情報と精神が支配する世界であり、それは物質と肉体に依拠している物質的な世界とさしあたり別の世界と考えることができる。バーローにれば、この2分割はグラハム・ベルが電線を通じて助手ワトソンを最初に呼び寄せた時に生まれ、100年を経て、ふたつの世界にまで発展したことになる。

    もちろんこうした議論を厳密さという点で批判することは可能だ。インターネット上の情報とはいえ、それらは量子レベルでは物質の活動で、物理法則に支配される。精神活動が脳の生理に支配されているのと同じことだ、と。ところが、これまで当の物質世界での、たとえば所有や支配に関するルールはそこまで厳密ではなかった。その結果、情報通信技術が新しい可能性を示す都度、私たちは自分自身が支配されていた精神的な規範のよりどころを検証する必要が生まれたのだった。

    一例が著作権だろう。創作者に創作(物)に関する処分の権利、すなわち著作権がある、というのは一見もっともらしいが、(加工や栽培などの)生産者に生産物に関する権利がある、ということとは違う。彫刻家がノミを使ってただ一点の彫像を彫り上げ、画家が世界に一枚しかない絵を描いていた時代は、著作権の概念は不要だった。別の人間がそれから鋳型をとり、そっくり同じ形の鋳造物を作るようになった時、複製物を見た人間も感動できる彫刻家の精神性を顕彰する必要が生まれた。それはクリエイターたちが考えがちな生得的な自然権のようなものではなくて、ベルとワトソンのサイバースペース上の邂逅と同じ頃、やっと社会的に認められた権利の概念にすぎないといわれる。

    複製技術の発展にともない、著作権や特許のような権利はその守備範囲を広げ、並行して精神の王国、サイバースペースも拡大してきた。かつて、庶民が日常生活の中で創作者の精神が刻印されたモノを見る経験は少なかったが、それでも、わずかなそれを模倣や複製から守るために、多くの美術品、発明品、そして創造行為そのものも秘蔵され秘技・秘伝とされていた。しかし、いま私たちを取り巻く人工物のほとんどには、創作者の精神が権利として刻印されていることになっている。そして、この精神の王国の最後の仕上げは、たぶん、モノの消滅だ。

    実際私たちは、塩ビ盤のレコードやCDを買うことから、ダウンロードした音楽を聴く生活に移行しつつある。電子書籍でマンガを読んでみたが、意外に読みやすく驚いた。ビデオパッケージやDVDを借りたり買ったりすることも、思ったより近いうちにやめてしまうのかもしれない。やがて人間は声や身振りを使わずにコミュニケーションし、体の移動を伴わずにあらゆる場所に旅することになるのだろうか。それがいいことかどうかはわからない。

    しかし、そういう時代が来てもなお、人間は物質世界のルールや規範をなかなか捨てないだろうと思うのだ。悲しいことに石油のために傷つけあう精神性は、サイバースペース上のいがみ合いとしても登場してくる。他人を物理的に所有・支配したいという欲望は、ネットワークを通じて他人をコントロールする行為と通じるものだろう。バーローが物質世界のいがみあいに対して決別を宣言しなければならなかった理由は、どれひとつとして解消されていない。

    人は必ず死ぬ。その限界を超えるために、精神やコミュニケーションが生み出されたのだろう。サイバースペースはたぶん、その究極の拡張だと考えられてきた。この精神の王国でなお、いがみあわなければならないのは、全く不幸なことだ。バーローの宣言の次のような結語は、あいかわらず、私たちの未来の課題として残されている。

    「われわれは、サイバースペースに精神の文明を創造するだろう。それは、あなたがたの政府が前に作った世界より人道的で、公正だろうか。」

    福冨忠和(Tadakazu Fukutomi)
    vwyz@jca.apc.org

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