【コラム】

東京バイツ

150 アミダナの上のマンガ本が築いてきた一時代が終わる予感

    福冨忠和  [2003/10/29]

    たとえば、読み終わったマンガ雑誌を電車の網棚に置いて降りたり、駅のゴミ入れの「雑誌・新聞」と書かれたポストにいれたりすることもあるし、まだ読んでいない知人に渡したり貸したりすることもある。マンガ本や単行本の場合は、まとめて古書店に売ったことや、あるいは自分の家でのガレージセールやフリーマーケットで販売したことがある人もいるかもしれない。自分のお金を払って購入した自分の所有物だから、その処分方法については、路上や他人の私有地に捨てたりするのでなければ自由だ(本来は電車の網棚に置くのもいけないのだろうが)。買った本を読まずにメモ代わりに使ったりしてもかまわないのと同じことで、所有物の処分は所有者の裁量のうちにある。ところが同じことでも、ある程度の規模でシステム化して、しかもビジネスとして展開されるようになると、問題が出てくる。

    マンガ家や作家たちの間で「新古書店問題」と呼ばれているのが、こうした古い本の流通にかかわる問題だ。読者が読み終えた本がすぐに古書店経由でリサイクルされることで、新たに購入したい人は通常の書店で新品を買わず、安い価格で古本を買う。本の「モノ」としての美麗さにこだわらないのであれば、内容としては同じモノを安く入手できる。またエコロジーの観点からも悪いことじゃない。しかし、作家や出版社は、新刊本を購入してもらわない限り商売にはならない。昨今の不況下、新古書店が増え、新しい本が安く購入できることは、読者には朗報だが、作家にとっては逆境となる。

    いうまでもなく、本にはハードウェアとしての造本の側面と、著作物としての2側面がある。パソコンのソフトなどの、CD媒体やFDといったメディアのハードウェアと、それに収録されているソフトウェアの区別と同じ。パソコンソフトのようなデジタル情報の場合、CDなどのハード部分が劣化しても、コピーできる限り情報は有効だから、それが中古ソフト屋のようなところで再販されると、ソフトメーカーは大打撃となる。そこで著作権法上のしばりや、利用契約などで使用できる範囲を限定しているわけだ。

    しかし本や塩ビ製の音楽レコードなどは、ハードウェアが劣化すると、情報としても読み取りにくくなり陳腐化する。著作権法上でも古書店などに売られた本は新刊書よりも情報として陳腐化しているとみなされて、情報ではなくモノと同じ扱いを受けている。しかしこれは現在の出版状況やいわゆる新古書店によるサイクルの速い流通を想定して考えられた法律ではなく、見直すべきだという要求が作家や出版社から出ているというのが現状だ。

    ところで、こういう著作権に関わる問題も、eブックとか電子書籍など、本が電子データに移行するとクリアできるんじゃないか、という説もある。パソコンや携帯電話やPDAなどの専用のビュアーソフトを入れて、メディアパッケージやダウンロードで販売された電子本をその上で読む。この電子本に現在のアプリケーションソフトのような利用契約や、プログラム的な利用制限をかけることで、「古電子本店」などに再販することを制限することができるというわけだ。電子書籍が実際に普及していくかどうかはともあれ、この考え方、古書店業界の存亡がかかっていながらも、一見合理的に思える。しかし、本当にそうだろうか。

    読み終えた本を友人や家族で回し読みするのは、言ってみれば「(本の)所有者の権利」だった。しかし、この電子本の場合、読書=ソフトの利用行為となり、本を購入すること=ソフトの利用権を購入すること、になる。これはわずかな差にも思えるが、著作権保護という名目で、これまで読者=本の所有者にあった権利をかなり縮小させることになるんじゃないかと思うのだ。

    たとえば、私的な利用目的の範囲で、自分の所有している本のページをコピー機で複写するのは違法ではないが、ソフト本の利用契約書とかプログラム的な制限をかけることによってこの行為を排除することができるだろう。たぶんこの行為も違法とはいえない。また、バイオメトリックス認証などの技術を使うことで、出版社と利用契約した本人以外は閲覧できない電子本を作ることも可能だ。これも違法とは言えない気がする。

    これらは、ローレンス・レッシグが『CODE』(邦訳・翔泳社)という本で、コードが法や規範を超越してしまう可能性として指摘していたが、現在の新古書店問題と電子書籍という本に関する2つのベクトルを考えると、意外に切迫した課題なのかと思う。

    この問題を論じる時、たとえば専門家や学者は情報化時代の法理的な原理論として語りがちだし、作家たちも(自分の生存に関わるとはいえ)、著作権をまるで生得的な自然権であるかのような基本原理として考えがちで、その結果読者やユーザー側の志向や彼らの権利といったものを無視しがちだと思うのだ。個人的には、中古ゲームの問題と同じように、対立構造をむき出しにすると、誰の利益にもならないのではないかと思う。

    当面は、誰が悪いと指摘するより、新古書店業界と作家たちの間で、調整的な合意を妥結させていくしかなく、電子書籍の版元には寛容さを期待するしかないだろう。少なくとも、網棚や喫茶店のマンガ本が、文化の一時代を作ってきたとも思えるから。

    福冨忠和(Tadakazu Fukutomi)
    vwyz@jca.apc.org

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