国内の一般書籍とは違うかたちで、見知らぬ人や考え方に出会える翻訳書。"価値のあるアイデア"に触れられる「TEDトーク」の中で厳選されたテーマを書籍化した「TEDブックス」シリーズを担当したのが、朝日出版社の編集者、綾女欣伸氏。同氏に「知らない人と出会うこと」がもたらす効果について聞いてきた。

朝日出版社 第5編集部の綾女欣伸氏。『テロリストの息子』『恋愛を数学する』『小さな一歩が会社を変える』といったTEDブックスシリーズや、『本の未来を探す旅 ソウル』など、個性的な海外関連書籍を担当した

「TED」のトークをもとに書き下ろされたTEDブックス

綾女氏へのインタビューで話題に上ったのは、同氏が手がけるTEDブックスの中の一冊『知らない人に出会う』(キオ・スターク 著/向井和美訳)だ。

TEDブックスは、"価値のあるアイデア"を世に広めることを目的とするアメリカの非営利団体「TED」が運営するカンファレンスの中でも、選び抜かれたトークをもとに書き下ろされたシリーズ。

綾女氏とTEDブックスとの出会いは、版権リストを閲覧する中で"たまたま"目についたことからだという。最初の一冊、テロリストの父を持った息子の実話『テロリストの息子』を読んで衝撃を受け「他の巻も期待できる」と感じ、すぐさまシリーズ12冊の翻訳出版権をオファーした。今回紹介する『知らない人に出会う』はこの12冊のうちの7冊目(2017年7月刊)だ。

『知らない人に出会う』の舞台は日常の卑近な場面で、TEDブックスの中でもかなりソフトな内容。この本はニューヨークのブルックリンに住む著者のキオ・スターク氏が、肉屋の店主や地下鉄で隣り合った男性たちと何気なく交わした会話をアクセントにして執筆されている。「親が子供に『知らない人に声を掛けてはダメ! 』と教える時代において、逆に『積極的に声をかけてみたらどうなるのだろうか』と、その効果をさまざまな例を使って描いた読み物です」と綾女氏は説明する。

今回も聞き手は、ビジネスプロデューサー・書評ブロガーの徳本昌大。翻訳出版権を得たTEDブックス12冊の中で、最後までタイトルが決まっていなかったのが、この『知らない人に出会う』だったという

「壁」の向こう側に、世界は広がっている

「壁」の向こう側に、世界は広がっている―― これが『知らない人に出会う』のキャッチコピーだ。例えば、街角で入った店で、何気なく人に話しかけるようなことだって、一種の「壁」をなくす行為だろう。ビジネス上での相互理解も、そんな日常と地続きだ。そして「壁」に風穴を開けるのは、まずは「元気? 」とか「素敵な靴ですね! 」といった言葉なのだ。

キオ・スタークは本書の執筆にあたり、ある実験を行っている。それは、スターバックスの客を「バリスタと話すグループ」「バリスタと話さないグループ」の2つに分け、店を出るときの心理状態を調べるというもの。概ね、バリスタと直接会話を交わしたグループの客ほど、気持ちが前向きになる傾向があったという。日常の些細な会話が互いの心の「壁」を溶かし、人を結びつける。「誰かとつながりたい」という人間の根本的欲求を満たすことができるのだ。

スマートフォンが普及した現在、とくに若者のコミュニティに変化が訪れている。ソーシャルメディアでは気軽に知らない人に話しかけられるが、逆にリアルでのふれあいが減少するという傾向だ。自分の知っている人や情報との関係性はどんどん密になっているが、逆に知らない人や物事への「壁」は厚みを増している。本書はそうした「壁」を壊すためのヒントを与えてくれる。

「『壁』という言葉を使ったのは、トランプ現象を意識してのことです。『知らない人』を排除しようとする人たちを、それこそ『知らない人』として片付けてはいなかったでしょうか」と、本書の原題が『When "Strangers" Meet』となっている意義を綾女氏は指摘する。"私"が知らない人に出会うとき、"相手"にとっては"私"も知らない人だ。そういう場面は仕事の商談でも生じ、その延長線上には政治や国家間の問題が存在する。綾女氏は同著の内容について、「ソフトな内容でありながら、問題意識は非常にハード」とその奥深さをまとめる。

見知らぬ人や考え方に出会うことは大きなヒントになる

綾女氏が『本の未来を探す旅 ソウル』で得たのは、まさに「知らない人に出会う」体験だったという

職場でも、ある問題について話し合う際に、多くの方は「問題の再確認に終始してしまう」という経験があるはずだ。その先に行くために綾女氏は「ときには海を超えて既存の人間関係や業界という枠組みからはみ出てみることも必要では」と語り、自身が携わった一冊『本の未来を探す旅 ソウル』を例に挙げる。

『本の未来を探す旅 ソウル』が描くのは、いま韓国ソウルで沸き起こっている、本と出版の新しいムーブメントだ。1980年代生まれの若者が中心となって、詩集・猫・読書会といった専門を活かした小さな独立書店が多数生まれている。日本では全く知られていない隣国の実験が、出版業界の問題に新たな解決策を提示してくれるかもしれない。きっかけは、綾女氏と共編著者の内沼晋太郎氏がソウルの編集者と書店員に導かれて現地で感じた驚きだという。まさに「知らない人に出会う」ことから同書が生まれたのだ。

この経験を踏まえ、綾女氏は現在、新しい出版プロジェクトを計画しているという。韓国・中国・台湾といった東アジア各国の若い作家の作品を相互に翻訳して一冊にまとめ、それぞれの国の書店で同時に販売するというアイデアだ。そうすることで、日本と韓国だけでなく、韓国と台湾、台湾と中国、といったように、近いようで遠い「見知らぬ人」に出会うルートを面的に活性化できるのではと考えている。

心にひっかかる社会問題を内包した本を発掘したい

過去には『チェルノブイリ 家族の帰る場所』といったグラフィックノベルも手掛けるなど非常に幅広い翻訳書を手掛ける綾女氏だが、本をどのように選んでいるのだろうか。最後にその選択基準について聞いた。

「"ぼくが面白いと感じた本"としか言いようがないですね。トレンドに乗っていない、と言われたら、その通りだと思います。でも小説だろうと漫画だろうと、いまのぼくたちが生きている現代社会を考える手がかりになる本を出版していきたいと思います。知らない場所にどんどん出かけていきたいですね」

TEDブックスの新たなラインナップとして、『小さな一歩が会社を変える』(マーガレット・ヘファナン 著/鈴木あかね訳)も先日出版されたばかりだ。この本もまた会社という組織の中での人間関係をテーマにしており、「衝突覚悟で意見を言い合って創造性を高める」「コーヒーブレイクを社内で一斉に取ってチームの団結力を上げる」といった、より仕事に直結した具体的な事例から学ぶことができる。興味のある方は、『知らない人に出会う』と合わせて手に取ってみてはいかがだろうか。

知らない人に出会う



TEDトークをもとにした書籍 日本版 TEDブックスシリーズの第7弾。「壁」の向こう側に、世界は広がっている。道を歩いているとき、バスに乗っているとき、買い物しているとき、勇気を出して、知らない人に話しかけてみよう。
「接触仮説」は正しいか。「儀礼的無関心」をどう破るか。他者との出会いを日々研究し続ける著者が、路上の生き生きとした会話を引きながら、異質なものとの関わっていく「街中の知恵」を説く。


キオ・スターク 著/向井和美 訳
定価:本体1,500円+税
発行年月: 2017年7月15日