今回と次回はTOEICスコアの変遷に合わせて、私の英語学習歴を自己紹介がてら紹介しよう。

20数年前、大学の工学部に入って下宿暮らしを始めたある日、私は訪問セールスを受けた。それはTOEICの教材販売だった。その教材は買わなかったが、それまでTOEICの存在を知らなかったので、試しに受けてみた。正確なスコアは忘れたが、600点くらいだったと思う。そのとき、大学生にしては十分なスコアだと安心した私は、それ以上の英語学習はしなかった。

大学4年になり、卒論のために、研究室に配属された。研究室のある先輩は午後3時になると、イヤホンを耳につけ、何か本を見ながら、ぼそぼそと一人でしゃべっていた。そう、NHKラジオ講座を学習していたのだ。

工学部といえども、大学では論文は英語で書くし、海外の学会で講演するのも普通なので、英語は必要なのだ! -- そう思った私は、その先輩に習い、ときどきNHKの『ラジオ英会話』という番組を聞いて、英語を勉強していた。

1991年に就職した後は、NHKの『やさしいビジネス英語』というラジオ番組をたまに聞いていたりしていた。この頃は、今にして思えばそれほど英語に打ち込んでいたわけではないが、1994年に川崎市の生涯教育関連の組織が主催するTOEIC講座に通ったり、1995年に朝日カルチャーセンター(新宿)に3カ月通ったりしていたので、すでに普通の人よりは英語好きであったのだろう。

ちなみに川崎市のTOEIC講座は半額以下という格安だった。こういう講座を利用するのは安いという点においてはおすすめする。朝日カルチャーセンターの講座はクラスのおっさんと相性が合わず、続かなかった。

会社の教育の一環として社内英語検定という独自の英語テストが当時はあり、それを会社で受けていたので、TOEICはこの頃はまったく受けていない。

1995年、初めての海外出張があり、現地で英語のプレゼンがあったのだが、準備不足というか、しゃべる準備をちゃんとしていなかったので、ぼろぼろなプレゼンとなり、同席していた上司に舞台から引きずり下ろされたのは悲しい思い出である。プレゼンは準備がすべてと思い知った瞬間だった。

1997年、ついに会社の英語検定がTOEICのIPテストに取って変わられ、10年ぶりくらいでTOEICを受けることになった。で、そのときのスコアが805点だった。

おぉ! 10年間で200点のアップ!

スコアアップの理由はわからないが、「TOEICちょろい」と思ったのは確かだ。

皆さんの中でも800点をひとつの目標にする場合が多いと思うが、私がどうやって800になったかというと、「NHKラジオ講座をやっていたから」としか言えない。

1996年から2000年までの5年間は、実は山登りにはまっていて、英語どころではなかった。毎週のように丹沢に登り、ホームページを作って山行記録を写真入りで載せたりと、それはそれは充実した日々を送っていた。だから英語に打ち込む時間はそれほどなかったはずだ。

実際、その後、社内のIPテストを受け続けたが、800を前後するスコアのまま3年が過ぎた。この当時もある程度は勉強はしていたのだろうが、スコアがまったく伸びない3年間だった。

英語学習に目覚めたころのTOEICの点数の移り変わり。800点を超えてからは、あまりスコアに変動が見られない時期がしばらく続いた。800点まではとくに勉強したという実感は正直ない

愛は4年で冷めるというが、私の山登りブームも5年で冷めた。理由のひとつは山登り人口の年齢層が比較的高かったので、山にいても無駄に年を取るばかりだ、と思ったのかもしれない(ところで、日本に、かつてのように若者が山登りをする時代は来るのだろうか? 2003年に、山登りの集大成として、ニュージーランドにトレッキングに行ったのだが、現地の若いカップルが何泊ものコースを歩いていた。あんな時代が日本に来ることを切に願う)。

ニュージーランドのトレッキングコースで、オーストラリア人と話した際に、その発音の奇異さから、「この人、ロシア人かな?」と思ってしまった。これが英米ではない他の国の英語へのファーストコンタクトだったのだろう。

山から下りた私は、また何か熱中するものが欲しかった。次のターゲットは英語だった。英語に対して何か熱いものがあった、というわけでなかった。ただ、英語をマスターしたい……と思った(プロジェクトX風に)。

当時、ホームページ作成技術を身に付けていた私は、2000年10月、さっそく英語学習のホームページを立ち上げた。最初の意欲を切らさないように、学習日記を英語で書くことを目的としたものだった。これは我ながら慧眼に値する行動だったと思う。

HTMLを手打ちして書いていた日記がその後、ブログとなり、9年後の今はメルマガとなって配信するようになっていることは、驚くべきことである。途中で、英語熱もそのうちなくなるだろうと思っていたが、今まで、何とか継続できている。その継続こそが英語力を伸ばす秘訣だと思っている。

以上、英語に目覚めるまでの14年間を振り返った。次回は、英語道を突き進んだ9年間の話をしよう。

著者紹介

本多義則 (Yoshinori Honda)

日立製作所勤務のIT系研究者。10年前に趣味と実益を兼ねて英語学習を再開以来、アナログからデジタルまであらゆるツールを駆使して英語学習に励んでいる。職場では「英語ができる男」と見られているが、実はそうでもない真の実力との差を埋めるべく、英語学習をやめられなくなっている。休みの日の朝は英語のメルマガ執筆にいそしむのが習慣。取得した英語関連の資格は、英検1級、TOEIC955(瞬間最大風速)、通訳案内士(英語)。座右の銘は「あきらめない限り必ず伸びる」。著書に『伸ばしたい!英語力―あきらめない限り必ず伸びる