【コラム】

アジア風土記

42 東京多摩地区引越しアルバム(4) まっとうな聖域

中上紀  [2003/01/09]

実家の近くにちょっと知られた寺がある。普段は静かで人もまばらなのだが、季節ごとに行われる市や祭りなどのイベントのときはかなりの賑わいを見せ、その表情をがらりと変える。特に大晦日から正月にかけては、初詣客のため十メートル歩くのに何分もかかるほど混雑する。満員電車さながらのその状態にもかかわらず、なぜか毎年大晦日の夜、行く年来る年を見終わったらさっそくこの寺へと繰り出してしまう懲りない自分が居る。

どういうわけか、子どもの頃から神社や寺が好きだった。祖父母と同居していたせいなのか、それとも寺が経営する保育園に一時通っていたことがあるからなのか、はたまた天性のものなのか、神社や寺があると覗いてみずにはいられなかった。成長してからも、それらは散歩コースには必ず入っているし、旅をしているときなどなおさら行きたくなる。大きな神社や寺院でなくてもいいし、歴史的に有名な建物である必要もない。宗教、宗派も関係ない。ただ、小さなお稲荷さんやお地蔵さん、熱帯の木陰の名もない祠、自然と密着した聖地、人々が心静かに祈る場所に近づき、その雰囲気に満たされることが例えようもないほどの快感なのである。

余談だが、密かにお経も好きである。それも赤ん坊の頃かららしい。生まれて数カ月の私を連れてお寺のある行事に行った祖母が、お経の最中ずっとげらげらと笑い続ける私に閉口したという話である。お経を聞くと、心が落ち着き、浄化されたような不思議な気持ちになることが多い。赤ん坊の私はきっとその心地よさが嬉しくて笑ったのだろう。良いお経や良い祈りには死者の魂を送り出す役割だけでなく、残された者、生きていこうとしている者を癒す作用もあるのかもしれない。

さて、たしかちょうど一年前、新年が明けたばかりの真夜中、私と妹はまたその寺へ向かった。正月も三日を過ぎれば初詣客も少なくなるとわかっていたのだが、その日しか休みがない妹にせっつかれたと言うよりは、それぞれの新年への願いを頭に描いた群集が同じ方向、つまり賽銭箱のある本堂へ向かってぐいぐいと押し寄せていく、あのどうしようもない感覚が懐かしかった。

駅からその寺までは、ちょうど商店街を通り抜けていく形で一直線である。初詣シーズンの間はその商店街が参道の役割をする。両側には甘酒、だんごなどを売る屋台がずらりと並び、寺に急ぐ者に甘い誘惑の声が飛んでくる。商店街が終わると寺との間に信号があり、そのあたりから混雑ははじまる。寺のほうから、新年の奉納のためのお経が微かに聞こえはじめると、人々はさらに足を速める。

私たちは信号が変わるのを待っていた。だが、青になっても警備員に制されて渡らせてもらえない。どうやら、例年に比べて異常なほど混んでいるらしく、寺は人数制限をしており、順番どおりに並んで待った者だけを渡らせているらしいのだ。苦労して渡ったら渡ったですし詰め状態のまま、下手すると三十分、いやこの混み具合では一時間は出て来られないだろう。

いくら寺好きでも、そうとわかっていながらスリとインフルエンザが蔓延する人ごみの中にダイビングするのは気が引けた。たとえスリやウィルスに出会わなかったとしても、一時間も並んだ挙句結局疲れて賽銭箱にたどり着けず、十メートルも後方から投げた百円玉は、前のほうの人の頭に当たるのがオチである。毎年、賽銭箱の近くにはそんな風にして的を外れた十円玉、百円玉、五百円玉、千円札がわんさと落ちており、商売繁盛、学業成就といったそれぞれの願いのこもった炎で目をきらきらさせた人々は平気でその上を踏んで歩いているのだ。

しかし、またそういう大変な思いをするからこそ、大きなご利益もやってくるのかもしれない。けれども、私たちは小さなご利益でいい。一年間まっとうでささやかな生活が送れればそれでいい。だから……というわけではないが、私たちは無言のサインを送りあい、その難関を突破した。幸い、地元民なので地の利は得ている。警備員の隙をついて信号を渡り、人ごみを避けて鳥居の裏、屋台の後ろ側、木の陰をスパイのごとく走りぬけた。そして初詣客のために普段の三倍の大きさで設置された賽銭箱までたどり着き、猛スピードで参拝を済ませたのである。

"まっとう"な生活を送りたいだけだからと言い訳しつつ、あまり"まっとう"とは言えない初詣をしてしまった我々であるが、とにもかくにもこの一年間病気もせず、無事に過ごせたようである。いや、除夜の鐘が鳴るまでまだ本当に無事かどうかは言い切れないのだが、どちらにしても、懲りもせずにまた初詣に出かけることは間違いないだろう。

(了)

読者の皆様、2003年明けましておめでとうございます。お正月はいかがお過ごしになられましたか? 今年もよろしくお願いいたします。

さてさて初詣ですが(原稿は年末に書きました)、今年は気分を変えて別の町にある神社に参拝しました。ここも混んでいましたが、行儀よく"まっとう"に30分並びました。でも、いつもと違うとどこか違和感ありますね。例のお寺、やっぱり気になるので近々行くつもりです。

バックナンバー
http://pcweb.mycom.co.jp/column/asia.html

    新着記事

    特設サイトの情報

    求人情報

    人気記事

    一覧

    イチオシ記事

    新着記事

    特別企画

    一覧

    転職ノウハウ

    あなたの仕事適性診断

    4つの診断で、自分の適性を見つめなおそう!

    Heroes File ~挑戦者たち~

    働くこと・挑戦し続けることへの思いを綴ったインタビュー

    はじめての転職診断

    あなたにピッタリのアドバイスを読むことができます。

    転職Q&A

    転職に必要な情報が収集できます

    スカウト転職する

    企業からアプローチのメッセージが届きます。