連載『中東とエネルギー』では、日本エネルギー経済研究所 中東研究センターの研究員の方々が、日本がエネルギーの多くを依存している中東イスラム地域について、読者の方々にぜひ知っていただきたい同地域の基礎知識について解説します。


男性アイドルグループも「ドバイ」を歌う時代に

日本におけるドバイの知名度は2000年代半ば以降、着実に広がっている。ドバイは豪華できらびやかな中東の近代都市として認知されており、観光地としても高い人気を誇っている。そのイメージにあやかってなのか、ドバイで撮影された清涼飲料水や美容整形などのテレビCMもある。青年マンガの舞台としてもドバイが登場し、昼ドラでは「ドバイに一緒に来てほしい」とプロポーズの言葉が交わされた。柔軟剤も「ドバイの香り」なるものが売り出され、人気男性アイドルグループもドバイをテーマにした歌をうたっている。今日では、ドバイと聞いて1973年の「日航機ハイジャック事件」を思い出す人は一部の年代を除きほとんどいないであろう。

貿易港から巨大商業都市へ

ドバイはアラブ首長国連邦(UAE)を構成する首長国の一つである。代々世襲の首長がこの地を治めており、UAE連邦政府のなかでも副大統領と首相など重要なポストを握り続けている。もともとペルシア湾の小さな港町であったドバイは、20世紀に入って貿易港として発展を遂げる。「ドバイの父」と呼ばれたラーシド首長は、1966年にドバイで石油が発見された後も、石油に依存しない経済づくりを目指した。そして、歴代の首長は地元商人からの力を借りるなどして、開発を進めていく。空港や港湾、道路など経済活動に不可欠なインフラを整備し、経済特区を設け、行政機能を強化し、外資を誘致したのであった。

その結果、世界中から多くの企業がドバイに進出するようになり、今日では中東だけでなく世界を代表する商業都市へと発展したのであった。現在、ドバイの石油生産量は日量8万バレル程度と周辺の産油国と比べてごくわずかであるが、貿易・運輸・製造・建設・金融・観光など幅広い経済部門がドバイを支えている。

ドバイを代表するエミレーツ航空の名前を耳にしたり、実際に乗ったことのある読者も多いことであろう。1985年に開業したエミレーツ航空は、ドバイ政府が同地を国際航空路線の「ハブ」となることを目指して設立した航空会社である。今日、81カ国144都市に就航し、開業からわずか30年あまりで世界トップクラスの航空会社へと成長した。日本(関西国際空港)とドバイの直行便が就航したのは2002年のことであり、日本人にとってドバイが身近な国になったのも、これ以降のことである。2014年10月1日現在、UAE全体では3,543人の日本人が住んでおり、その半数以上がドバイに居住している。いまや、ドバイは中東で最大の日本人コミュニティを有している。

世界ナンバー1を目指すものの……

ドバイの経済開発戦略は、非常にユニークなもので、近隣諸国の経済発展モデルとして参考にされてきた。また、時に奇想天外にも思えるアイデアを打ち出し、「世界ナンバー1」「世界で唯一」のコンセプトを具体化している。その結果が、世界で最も高いビルである「ブルジュ・ハリーファ」(828m)であり、ドバイ沖をヤシの木のかたちで埋め立てた巨大人工島「パーム・アイランド」である。最近では、高級スポーツカーを次々とパトカーに採用したことも世界中の注目を集めた。ドバイの名前を世界に知らしめる「広告料」としては、高級スポーツカーは安い買い物と考えているのであろう。つまり、ドバイは新しいアイデアを打ち出すことによって、新たなヒト・モノ・カネを呼び込もうとしているのであった。

「ブルジュ・ハリーファ」

一時は飛ぶ鳥を落とす勢いであったドバイも、大きな困難を迎えた時期があった。2008年に起こった世界金融危機はドバイにも飛び火し、2009年にドバイ政府および政府系企業の債務返済が行き詰まる、いわゆる「ドバイ・ショック」と呼ばれる金融危機へ発展した。華やかなドバイも、その発展の原資はオイルマネーにあふれた周辺諸国からの投資や国際的な銀行団からの借り入れであり、その債務返済が難しくなったのである。債務残高は現在でも1,400億ドル(約17兆円)を超えるとみられており、これはドバイGDP(2014年)の約1.5倍に相当する。この時、助けの手を差し伸べたのが同じUAEの首長国で巨大産油国のアブダビであり、同国が債務返済の一部を手助けしてくれた。これについて、有名なエピソードがある。上述の「ブルジュ・ハリーファ」は建設当時、「ブルジュ・ドバイ」と呼ばれていた。それが開業直前になり、アブダビのハリーファ首長の名前を冠する現在の名前に変更された。おそらく、アブダビの支援に対する見返りなのであろう。

一時は景気が落ち込んで経済・財政状況が不安視されたドバイも、復活のチャンスを狙っている。2011年の「アラブの春」ではアラブ諸国が混乱を極めたが、ドバイの政治・社会状況は安定しており、多くの投資や観光客が戻ってきた。2020年にはドバイ万博の開催が決まっており、現在はそれに向けた大規模な開発が進められている。債務返済の道のりは険しいが、中東最大の商業都市であるドバイのポテンシャルを忘れてはならない。

<著者プロフィール>

堀拔功二(ほりぬき こうじ )

日本エネルギー経済研究所 中東研究センター研究員。立命館大学国際関係学部卒業後、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程に入学。2010年に(財)日本エネルギー経済研究所中東研究センターに入所。2011年に同大学院博士課程修了。博士(地域研究)。UAE・カタル・オマーンを中心とする湾岸諸国の政治・社会動向、および治安・安全保障問題が専門。最近の著作に「国際労働力移動のなかの湾岸アラブ諸国の位置づけ」(細田尚美[編]『湾岸アラブ諸国の移民労働者――「多外国人国家」の出現と生活実態』明石書店、2014年)、「カタル外交の戦略的可能性と脆弱性――『アラブの春』における外交政策を事例に――」(土屋一樹[編]『中東地域秩序の行方――「アラブの春」と中東諸国の対外政策』アジア経済研究所、2013年)などがある。