【コラム】

中東とエネルギー

10 「クルド人」ってどんな民族?

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連載『中東とエネルギー』では、日本エネルギー経済研究所 中東研究センターの研究員の方々が、日本がエネルギーの多くを依存している中東イスラム地域について、読者の方々にぜひ知っていただきたい同地域の基礎知識について解説します。


セーブル条約では、クルド人の国家設立も提起されていたが…

クルド人は、「国家を持たない世界最大の民族」と言われる。第一次世界大戦後、オスマン帝国の崩壊に伴って中東では多くの国家が樹立された。1920年に連合国とオスマン帝国との間で結ばれたセーブル条約では、クルド人の国家設立も提起されていた。だが、その3年後にトルコ共和国との間で結び直されたローザンヌ条約で撤回される。第二次世界大戦直後の1946年には、イラン北西部のマハーバードでクルディスタン共和国が樹立されたものの、後ろ盾だったソ連がイラン政府と手を組むと、わずか11カ月で崩壊した。クルディスタンとは、クルド人の土地という意味だ。

こうして、クルド人は複数の国に分断され、いずれの国でも少数民族となった。その正確な人口は定かではないが、一説によると、トルコに約1470万人、イランに約810万人、イラクに約550万人、シリアに約170万人、あわせて約3000万人に上る。

地図の出典は外務省。クルド人の人口は、一説によると、トルコに約1470万人、イランに約810万人、イラクに約550万人、シリアに約170万人、あわせて約3000万人に上る

各国の政府は国家建設の過程で、クルド人を含む少数民族を国民として統合しようとしてきた。経済的上昇を求めて辺境のクルディスタンの地を出て首都に移住し、その国の国民へと同化していった人たちも少なくない。だが、いずれの国でも多かれ少なかれ、クルド語の使用制限やクルド人の強制移住、国籍剥奪など、クルドの民族アイデンティティやクルド・ナショナリズムを押さえ込もうとする抑圧的な政策がとられ、それに反発する反政府ゲリラ闘争と、そして政権からの苛烈な弾圧が繰り返されてきた。

クルド人を取り巻く状況が変わった転機の一つが、1991年の湾岸戦争

そうしたクルド人を取り巻く状況が変わった転機の一つが、1991年の湾岸戦争だった。戦争と経済制裁で疲弊したイラクのフセイン政権は、北部の統治を諦めて軍隊を撤退させ、そこに事実上のクルド人の自治区、イラク・クルディスタンが誕生した。その後、イラク戦争でフセイン政権が崩壊すると、自治区はイラク国内で正式に承認され、今では自治政府が、イラク・クルディスタンの政治・経済・社会のあらゆる面を取り仕切るようになっている。

イラク・クルディスタンを事実上の国家として扱っているエネルギー業界

昨年、「イスラーム国」がイラクを席巻して以来、イラク・クルディスタンが将来的に独立国家になり得るのか、という問題がしばしば取り沙汰されるようになっている。ところが、すでにイラク・クルディスタンを事実上の国家として扱っている業界がある。それがエネルギー業界だ。イラク・クルディスタンに豊富な石油が眠っていることは広く知られていたが、フセイン政権時代には手つかずのまま放置されていた。自治政府は過去8年ほどの間に、精力的に国際石油会社を招いて開発を進め、パイプラインを建設し、今ではトルコを経由して約50万b/dの石油を輸出するまでになっている。

イラク政府は、油田開発や石油輸出は中央政府を介して行われるべきだとして、自治政府の政策に反対し続けているが、もはや自治区を支配していないイラク政府はこれを実力行使で止めることもできない。かくして、エネルギー業界では油田の開発契約も石油の輸出契約も、地方分権を定めたイラク憲法に則った合法的なものとして、自治政府をカウンターパートに据えて行われることが常態化している。イラク・クルディスタンにとって石油は、経済的な命綱であると同時に、国際社会からの認知を得るための貴重な武器でもあるのだ。

シリア内戦によって、シリアのクルド人を取り巻く状況も大きく変化

そして、4年前から続くシリア内戦によって、シリアのクルド人を取り巻く状況も大きく変化している。アサド政権の軍隊がシリア北部から撤退した後、その空白を埋めたクルド勢力は2012年に一方的に自治を宣言した。現在も「イスラーム国」と激しい戦闘を続けながら、彼らが支配する領域をじわじわと拡大させている。シリアのクルド人の多くはクルド語を話せるが、きちんと学習する機会がなかったために読み書きができない。今ではそうしたクルド人のためのクルド語教室が50以上開校しているという。クルドの民族旗や民族衣装も堂々と売られ、クルド語の衛星放送も始まった。

こうしたシリアのクルド情勢に神経をとがらせているのが、隣国のトルコだ。なぜならば、シリアにおけるクルド勢力の主力は、トルコがテロリストと認定するPKK(クルディスタン労働者党)の姉妹組織だからだ。トルコ政府は2013年からPKKと和平交渉を行っているが、PKKやその姉妹組織が「イスラーム国」との戦闘の過程で軍事力を蓄え、シリアに支配拠点を築こうとしていることに心穏やかではいられない。最近では、トルコとPKKの軍事衝突も散発的に再開している。

イラク・クルディスタンの主要なクルド勢力がPKKとはライバル関係

トルコがイラク・クルディスタンと良好な関係を維持し、石油輸出まで支援しているのは、経済的なインセンティブに加えて、イラク・クルディスタンの主要なクルド勢力がPKKとはライバル関係にあるからという事情がある。したがって、シリアのクルド勢力とイラクのクルド勢力は、国境を挟んで協調と牽制を繰り返す微妙な間柄でもあるのだ。

今になって各国を悩ませる100年前のセーブル条約の亡霊

とはいえ、将来的には対立を封印して、協力関係が国境を越えて広がるかもしれない。さらに、シリアのクルド勢力の支配領域の前線が、「イスラーム国」やアサド政権との戦闘の末に膠着・固定化し、自治がより確立するかもしれない。そうすれば、今は地元で消費するために細々と精製されている石油が大規模に開発され、国際的な認知が高まる日もやがて来ないとは限らない。その時、大勢のクルド人口を抱えるトルコやイランはどうするのか。100年前のセーブル条約の亡霊が、今になって各国を悩ませている。

<著者プロフィール>

吉岡 明子(よしおか あきこ)

日本エネルギー経済研究所中東研究センター主任研究員。大阪外国語大学外国語学部卒業後、1999年中東経済研究所に入所。2005年から日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究員。2007年に在ドバイGulf Research Center客員研究員。2013年より現職。イラクの現代政治・経済、クルド問題が専門。著書に『「イスラーム国」の脅威とイラク』(吉岡明子・山尾大 共編著)岩波書店(2014年)、『現代イラクを知るための60章』(酒井啓子・吉岡明子・山尾大 共編書)明石書店(2013年)がある。

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インデックス

連載目次
第12回 「カタール」って日本にとってどんな存在?
第11回 石油の出ない『ドバイ』がお金持ちなワケは?
第10回 「クルド人」ってどんな民族?
第9回 「イラン革命」って何だったの?
第8回 「湾岸協力会議(GCC)」って何のための組織?
第7回 湾岸戦争後の「クウェート」は今、どうなっている?
第6回 「OPEC」と欧米の石油メジャーの関係はどうなっている?
第5回 「ホルムズ海峡」ってどんなところ?
第4回 "産油国"でない「エジプト」が中東で重要視される理由とは?
第3回 石油ショックをもたらした「OPEC」の今の影響力は?
第2回 サウジアラビアはなぜ"中東の盟主"なのか?
第1回 日本にとっての「中東」の重要性とは?

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