【コラム】

中東とエネルギー

9 「イラン革命」って何だったの?

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連載『中東とエネルギー』では、日本エネルギー経済研究所 中東研究センターの研究員の方々が、日本がエネルギーの多くを依存している中東イスラム地域について、読者の方々にぜひ知っていただきたい同地域の基礎知識について解説します。


革命のシンボルは、国王に対し非妥協的な批判を貫いていたホメイニー師

最近は核合意でも話題になったイラン。そのイランの今の体制は、1979年に革命により樹立された。この革命によって、強大なイランをめざし野心的な近代化政策を推進していたパフラヴィー朝は崩壊し、イランの国名はイラン・イスラーム共和国と改められた。イラン・イスラーム共和国では宗教指導者(イスラーム法学者)が最高指導者に就任することも定められ、イスラームの原則に基づく国づくりが、新たに進められることになった。

反体制運動の高まりによって国を追われた国王の近代化政策は、イラン国内で様々な反発を生んでいた。国王が目指した近代化は西洋化にほぼ等しかったことから、社会には価値観をめぐる混乱が生じた。また、急速な近代化は社会に腐敗や格差を生んだ。国王はまた、宗教を近代化の障害ととらえ、宗教指導者たちが伝統的に保持してきた社会的役割を圧迫した。さらに、国王は反対派については秘密警察を使い厳しく取り締まり、強権的な手法によって、一連の政策を推し進めた。

その一方、国王は米国との良好な関係は維持した。当時の米国のカーター大統領は、ペルシア湾の安定を維持する湾岸の憲兵の役割を果たす国王の統治とその安定をたたえていた。しかし1978年の新年を、カーター大統領夫妻がイランで国王夫妻とともに迎えた直後から、イランでは反体制運動が一気に拡大し、そのわずか一年の後に、「自由、独立、イスラーム政府」をスローガンに掲げるイラン革命が成就した。

革命のシンボルとなったのは、国王に対して最も厳しく非妥協的な批判を貫いていたホメイニー師であった。亡命先でも国王の対米従属を徹底的に非難し続けたホメイニー師を攻撃し、「ホメイニーこそ外国勢力の手先である」とする中傷記事が国王の指示でとある有力紙に掲載されたことが引き金となり、国王に対する国民の怒りは燃え上がった。革命後に最高指導者に就任したホメイニー師のもとでは、国王の時代とは一変し、外国には依存しない発展が、目指されていくことになった。

イスラーム的な政策とは具体的にはどのようなものか、既存の回答は存在せず

「西でもなく、東でもない」第三の道を進むことを宣言したイランの革命政権は、反革命分子の追放と新体制の基盤固めを進めた。イラン全土に広がった反体制運動は、国王追放後に樹立すべき政治体制の青写真を有してはいなかった。しかし宗教指導者を最高権力者に戴くイスラーム共和国体制の樹立が国民投票で承認されると、これこそが革命の目的であったと位置づけられるようになった。1980年にイラクのサッダーム・フセイン大統領がイランに侵攻すると、イランの革命政権は戦時総動員体制のもと、体制への忠誠心こそが成功の鍵を握る新たな体制を定着させていった。

しかしイラン・イスラーム共和国が採用すべきイスラーム的な政策とは具体的にはどのようなものかに関しては、既存の回答は存在していなかった。革命後のイランでは、女性にベールの着用を求めるといった、イスラームの原則の中でも外見にかかわるルールは速やかに実施に移された。しかしイスラーム的な経済政策、あるいはイスラーム的な対外政策とは何かという問いに対しては、革命体制の政治エリートの間にも、多様な見解が存在し続けた。

イスラームの原則というより、体制の利益を最優先事項として決定が下されている

革命から36年の月日を経た今日のイランも、依然としてイスラーム共和国を名乗っている。しかし「イスラーム的な政策」が決して自明なものでなく、その具体的な内容をめぐっては議論を尽くす必要があることは、すでに体制内の了解事項となっている。また、ホメイニー師は1980年代の終わりには、体制の利益がイスラームの原則より優先されるとも明言しており、すなわちそれ以降今日に至るイランにおける決定は、イスラームの原則というより体制の利益を最優先事項として、下されているということができる。

冒頭でふれたイラン核合意も同様である。イラン・イスラーム共和国体制の安定的存続のためにこそ、交渉における妥協と合意とが、今回選択されたわけである。したがってたとえば対米関係をめぐっても、イランの政治エリートによる「体制の利益」に関する判断が、今後ともイラン・イスラーム共和国の指針となっていくものと思われる。

<著者プロフィール>

坂梨祥(さかなし さち)

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究主幹。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻および英国ダーラム大学中東イスラーム研究科において修士号を取得。在イラン専門調査員などを経て、2005年日本エネルギー経済研究所中東研究センターに入所。2008年に在ドバイGulf Research Center客員研究員。2013年より現職。イラン現代政治が専門。最近の論考には「核合意でイランは変わるのか――信頼醸成のゆくえ」『SYNODOS』2015.7.30、「『アラブの春』への対応にみるイラン対外政策の現状」土屋一樹編『中東地域秩序の行方――「アラブの春」と中東諸国の対外政策』アジア経済研究所、2013年、等がある。

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インデックス

連載目次
第12回 「カタール」って日本にとってどんな存在?
第11回 石油の出ない『ドバイ』がお金持ちなワケは?
第10回 「クルド人」ってどんな民族?
第9回 「イラン革命」って何だったの?
第8回 「湾岸協力会議(GCC)」って何のための組織?
第7回 湾岸戦争後の「クウェート」は今、どうなっている?
第6回 「OPEC」と欧米の石油メジャーの関係はどうなっている?
第5回 「ホルムズ海峡」ってどんなところ?
第4回 "産油国"でない「エジプト」が中東で重要視される理由とは?
第3回 石油ショックをもたらした「OPEC」の今の影響力は?
第2回 サウジアラビアはなぜ"中東の盟主"なのか?
第1回 日本にとっての「中東」の重要性とは?

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