僕は今まで彼女のことを怒ったことがない。基本的に温和というか、ちょっとやそっとのことじゃ腹が立たないのだ。

では、彼女に浮気されても怒らないのか?

答えは簡単。僕の場合、怒るというより落ち込むだけなのよ。

実際、そういうケースは過去に何度もあった。知らない男と腕を組みながらラブホテル街を練り歩く彼女を見かけたこともある。

しかし、僕は怒るどころか、電柱の陰に隠れてしまったのだ。

いや、あのね。僕の場合、浮気をした彼女を責めるというより、浮気をされた自分を責めちゃうの。「てめえ、浮気しやがって」ではなく「うわぁ、浮気された……きっと俺に飽きてきたんだぁ」と卑屈極まりないネガティブシンキングに支配されてしまう。きっと僕の脳内メーカーは90%以上が「ヘタレ」になっていると思う。

……と調べてみたら、80%が「楽」で残りが「怠」でした。

しかし、その反面、彼女に激怒されたことは腐るほどある。

記念日を覚えないといったB型特有のだらしなさはもちろんだが、彼女の前でウンコを漏らして怒られたこともあった。28歳の時である。

「あんた、もう30前なのにウンコ漏らすってどういうこと!?」

だって、僕は子供の頃からお腹が弱いんだもーん。

とにかく、ちょっとした刺激でやたらと大腸が悲鳴を挙げてしまう情けない体質の持ち主。小学校の頃、給食のカレーを食べただけで脱糞し、以後数年間ほぼ毎日のように筆箱にアスパラを入れられるというわけのわからないイジメにあったものだ。

とはいえ、これは明らかに僕が悪い。そりゃ、彼氏にウンコ漏らされたら百年の恋も冷める。それで喜ぶのはそっち系のマニアだけである。

しかし、中にはなんで怒られているのかわからないこともあった。

例えば数年前、当時付き合っていた彼女と食事に出かけるとき、僕はどうしてもマグロが食べたくて近所の寿司屋に向かった。

その寿司屋はマグロが絶品で、僕は店までの道すがらずっと彼女に「そこのマグロはほんまに美味い!」と絶賛し、彼女も興味律々になるほどだった。

しかし、店に着くなり、僕は大将にこう言った。

「大将、イカ!」

「マグロは!?」

彼女は思わず目を丸くした。僕はなぜ彼女が驚いているのか意味がわからず、ただずっとイカを食い続け、結局マグロを食べることなく店を後にした。

いや、あのね。たまたま店に入ったときにガラスケースにイカが入っていて、それを見たら「美味しそうだな」って気が変わったのよ。んで、その後もガラスケースから見えるハマチやタイ、ホタテに目が奪われちゃって、気づいたらマグロを食う前にお腹いっぱいになっちゃったってわけ。

さらにその翌日、今度は彼女と近所の定食屋さんに入ったとき。「AランチとBランチってなんですか?」僕はメニューを見ながら店員さんに質問した。

「Aランチは生姜焼き定食でBランチは肉野菜炒め定食です」優しく教えてくれる店員さん。彼女もフムフム考えながら「どっちにする?」と促してきたので、僕はこう答えた。

「じゃあ、オムライス」

「AとBは!?」

いや、あのね。確かにさっきまでは定食がいいと思ってたんだけど、言葉を発する直前に急に気が変わって咄嗟に「オムライス食べたい」って思っちゃったわけよ。

さらにその後、彼女を助手席に乗せて車を運転しているとき。

目的地までナビしてくれる彼女に従い、僕はホイホイ運転していたのだが、「次の角を右折ね」と指示されたとき、僕は思いっきり左折してしまったのだ。

「右っつってんだろ!」

「いや、あのさ、ときどき右と左って間違えたりしない?」

「しねえよ、バカ!」

その後も寿司屋や定食屋の一件を引き合いに出され、最終的に彼女は「あんたはわけがわかんない!」と怒り狂い、そのまま車を降りて帰ってしまった。

うーん、そんなに怒ることかなあ。