ビルマの20世紀を1分で振り返る

      [2008/06/04]

    myanma.jpg 5月初旬にミャンマーを襲った超大型サイクロンによる犠牲者は、10万人とも20万人とも言われている。奇しくも直後に発生した中国四川省の大地震がこのニュースの影を薄めてしまった感はあるが、その裏には、ミャンマーが抱える歴史的・政治的な事情も見え隠れしている。

    植民地、独立、そして軍事政権へ

     19世紀後半、イギリス帝国主義の軍門に下ったミャンマーでは、第2次世界大戦勃発直後から独立運動が起こりはじめる。それと前後して日本軍も進出し、ミャンマーからイギリスを駆逐していった。その一方で、7万人以上が死亡したと言われる「インパール作戦」、映画『戦場に架ける橋』でも描かれた「泰麺鉄道」の建設などによる膨大な犠牲者が、今でもこのミャンマーの土の下に眠っている。

     一方の独立勢力は、日本軍を駆逐しながら1945年に独立を達成した。ところがその直後に「独立の父」と崇められたアウンサン氏が暗殺され、政情は不安定化。1972年に社会主義国を宣言し、いったんは落ち着いたようにも見えたが、1988年の学生らによるデモをきっかけに軍部が台頭、実権を握ったまま現在に至っている。

     ちなみに民主運動の活動家として、今も自宅に軟禁されたままのアウンサンスーチーは、暗殺されたアウンサン氏の娘でもある。

    被害状況をベールで覆い続ける軍事政権

     今回のサイクロンは、ミャンマーの広い範囲に被害をもたらしたとみられるが、秘密主義の軍事政権は外国の援助をかたくなに拒否。衛生状態の悪化などによる二次被害で命を落とす市民の声は届いていない。

     ミャンマーの軍事政権は、突発的な政策を実施することでも有名だ。かつて「ビルマ」と呼ばれていた国名を突如ミャンマーに変更したのが1989年。流通している紙幣をいきなり「無効」にしてしまうことさえしばしば。さらに2006年には、それまでの首都ヤンゴンをいきなり内陸部に遷都。まったく何もない場所に新首都ネーピードーを建設してしまった。この新しい都は、外国人はおろか、ミャンマーの一般人の立ち入りさえ禁止されているという。

     被災から1カ月を経てようやく国際援助の受け入れ姿勢を見せ始めた軍事政権に、すでに「時遅し」の非難の声が上がることは必至の状況である。

    文●秋山岳志(エフスタイル)

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