オートデスクは9月21日、22日にかけて「Autodesk University Japan 2017」(AU JAPAN 2017)を開催した。同イベントは製造、建築、土木、メディア&エンターテイメントなどの業界における様々な新技術の展示やセッションを行うというもの。

21日のブレイクアウトセッションでは、アメリカのメジャーアニメスタジオ・ピクサーでアートディレクターにまで上りつめ、監督デビューでアカデミー賞にもノミネート、現在は独立してトンコハウスを設立した日本人クリエイター堤大介氏を迎えて『世界と会話するクリエーターになるために』と題したセッションを行った。

世界に通用するクリエイターとしての心構えについて、自らの腕一本で人生を切り拓いた堤氏がその半生を赤裸々に語った。

堤大介氏

自分をクリエイティブだと思うか

「自分をクリエティブと思うか?」

そう問われたらなんと答えるだろう。AU JAPAN2017のステージに登壇した堤氏は、開口一番そんなふうに聴衆に問いかけた。

これはアドビが世界中で実施したアンケートの質問である。その結果は衝撃的なものだった。

「米国は47%、英国は37%、ドイツは44%が自らをクリエティブだと思うと回答しているのに対し、日本人はわずか8%なのです」

さらに衝撃的なのは、「教師は子どもたちをクリエティブだと思っているか?」という質問だ。「YES」と答えた教師は海外では軒並み25%前後なのに対し、日本はなんと2%に留まっている。つまり、日本では教師のほとんどが自らの教え子をクリエティブな子どもだと思っていないのだ。

そんな日本でアニメクリエイターという職業を選び、世界を代表するアニメスタジオ・ピクサーで『トイ・ストーリー3』などを手がけアートディレクターまで上りつめた堤大介氏。彼の半生はいったいどのようなものだったのか。

夢破れ、アメリカ留学へ。そこで見つけた新しいWhat

現在でこそ世界から注目を集めるクリエイターとして名を馳せる堤氏だが、子どもの頃は野球少年だった。高校まで野球漬けをの日々を過ごしたが、「正直いって野球はうまくなかった。プロどころか、野球関係の仕事もありえなかった」と当時を振り返る。

「自分は何をやりたいのか」

野球という夢が破れたとき、堤氏はそんなふうに自分に問いかけたという。

考えた結果、堤氏が選んだのはアメリカに渡ることだった。

といってもやりたいことがあったわけではなく、円高による留学ブームに乗っただけだったと笑う。

「地域のコミュニティカレッジに通ったのですが、英語ができなかったので、単位をとるために絵のクラスを取ったのです。そこは半分くらいがお年寄りだったのですが、みんな僕をすごく褒めてくれるんですよ。絵は好きだったし、褒められるとがんばりたくなって、アートの仕事を目指そうと決心したのです」

「何をやりたいか」の「何」(What)が「絵を描く仕事」になった瞬間だった。

「何をやりたいのか」から「なぜやりたいのか」へ

堤大介氏

堤氏が選んだのは、映画のためのコンセプトアートを描く仕事だった。最初に携わったのは『アイス・エイジ』。その仕事を通じてアニメの魅力に気がついた。

「アニメは絵と違った一人では作れません。それが自分に合っていたんです」

当時(現在もだが)、アニメといえば王者はピクサーだった。『ファインディング・ニモ』、『Mr.インクレディブル』……数々のヒット作を生み出すメジャースタジオで働きたい。そんな思いが強くなってきたという。

2007年、堤氏はピクサーに転職する。『トイ・ストーリー3』のカラースクリプト(映画全体を絵にしてマッピングする仕事)を担当し、映画の流れの中でお客さんの感情がどう動くのかを分析した。

並行して自分自身のプロジェクトも進めた。「スケッチトラベル」というチャリティープロジェクトを実行し、世界中の著名アーティストに参加してもらった。71人のアーティストがスケッチブックにイラストを描き、オークションで販売。手にしたお金は、世界中に図書館を建てて識字率を上げることを目的とした団体に寄付した。

「合計8か国に図書館を建てることができました。実際に見にも行きました。僕らのプロジェクトが子どもたちの目の輝きにつながったと思ったとき、いろいろな思考が自分に現れ始めたのです」

この経験を経て、堤氏は「なぜ絵を描くのか」を今一度自分に問いかけ直したという。

「何をやりたいか」(What)という問いが、「なぜやりたいのか」(Why)に変わったのだ。

世界に届く作品を作るために

次に取り組んだのは、短編映画の制作だった。ピクサーの同僚と一緒に、『ダムキーパー』という作品を自主制作し発表した。

『ダムキーパー』は大きな注目を集め、アカデミー賞にもノミネートされることになった。

「サンフランシスコの小学校で上映すると、子どもたちがダムキーパーを見て、キャラクターはどうしてこうしたのかとか、ここがかわいそうだったとか、身近な存在のように話していたんです。その反応が、なぜ自分たちがアニメを作るのかのヒントになりました」

2014年、堤氏はピクサーを出て独立、トンコハウスというアニメスタジオを設立する。

家族がいる中で安定した仕事環境を手放すのは勇気のいる決断だったというが、「なぜ絵を描くのか、アニメを作るのか。一度ゼロから作りたいものを作る経験がしたかった」という。

トンコハウスで制作したのは、『ムーム』という短編映画。『君の名は。』でも知られる川村プロデューサーが描いた絵本を映画化した作品だ。日本とアメリカ、2ヶ国のアニメスタジオが協力しあって完成させた。

そんな堤氏が大切にしているのは、つねに「Why(なぜ)」である。

「配給会社にプレゼンするときも必ず、なぜこの作品を作るのかということを伝えます」

堤氏には未だに心に残っている言葉がある。

「カナダのアニメーター、フレデリック・パック氏に言われたのが、『才能というものは世の中に光を照らすためにある』ということ。それから、私にとってのWhyは『光を灯す』ことになりました」

Whyがしっかりしていれば、国や文化をまたいで良いものが作れると堤氏は語る。「ピクサーが世界中に届く作品を作れているのは、それを大事にしているからなのでしょう」

トンコハウスは設立から3年を迎えた。展示会を開催し、『ダムキーパー』の次回作も制作が進行中と絶好調だ。

日本から世界に飛び出したクリエイター、堤大介氏。彼の「Whyを見つける旅」はこれからも続いていく。