東京都立産業技術研究センターは9月8日、ものづくり技術を楽しみながら同センターの技術や設備を見学・体験できるイベント「INNOVESTA!(イノベスタ)2017」を開催した。イノベスタとは、InnovationとFestaを掛け合わせた造語で、当日は中小企業の事業展開や製品開発のヒントになるような講演会やワークショップ、見学会などが行われていた。

本稿では、2014年にバナナの皮の摩擦係数に関する研究でイグノーベル賞を受賞した北里大学 馬渕清資名誉教授による特別講演「科学技術、価値観のイノベーション - バナナの皮の滑りから俯瞰したエネルギー神話の陰」の模様をレポートする。

人工関節とバナナの皮の共通点は?

北里大学 馬渕清資名誉教授

ノーベル賞のパロディ賞であるイグノーベル賞は、「世の中を笑わせ、考えさせる研究」に贈られる。日本人研究者は同賞の常連となっており、2007年から2016年にかけては10年連続で受賞している。馬渕名誉教授はそのうちの1人だ。2014年に受賞し、「バナナの皮はなぜ滑るのか?」といった、私たちの身近に潜んでいた謎を解き明かしたことから広く世間を賑わせた。

馬渕名誉教授の元々の専門分野は、バイオメカニクスやバイオトライボロジといった医療と工学の境界領域。半世紀近くに渡り、人工関節が動く仕組みを研究してきた。一見、バナナとは何の関係もなさそうに思えるが、人工関節とバナナの皮に共通する点はなんだろうか。それは、「滑り」だ。

骨と骨のつなぎ目となる関節は、骨同士が直接ぶつからないよう、クッションの役割を果たす関節軟骨で覆われている。この関節軟骨の表面が非常に滑らかで低摩擦であるために、私たちは腕や脚などをスムーズに動かすことができるわけだが、その滑りの仕組みは完全には解明されていない。工学的には、関節液の性質に依存した「液体潤滑」と、軟骨表面がカギを握るとする「境界潤滑」とが同時に起きていると考えられているが、馬渕名誉教授は、特に液体潤滑の仕組みに着目して長年のあいだ研究を進めてきた。

研究の過程で、関節潤滑に関する著書を執筆する機会があり、そのなかで「バナナの皮を踏んだ際の滑りの良さを連想させる」という表現を用いた馬渕名誉教授。ふと、疑問がわいた。バナナの皮が滑りやすいことは、周知の事実として扱われてきているが、それを学術的に示した結果はこれまでにない。しかも実際に、アクリル板にバナナの皮を置いて傾けてみても、一向に滑らない。「自分の表現に嘘はないだろうか? バナナの皮は本当に滑るのだろうか?」——この疑問を解決すべく、馬渕名誉教授は、人工関節の研究の傍ら、本格的にバナナの皮の実験を始めることとなった。

アクリル板の上に置いただけではバナナの皮は滑らない

そこからわかった事実は、「バナナの皮は、踏めば滑る」ということ。バナナの皮を踏んだ瞬間の摩擦係数を調べると、バナナの皮がない場合に比べて、摩擦係数は1/6ほどとなった。バナナの皮を乾燥させると滑らなくなるため、水分量が滑りに重要な要素であることがわかるが、水分を豊富に含む果物や野菜などと比べてもバナナの皮の摩擦係数は低いという。したがって水分量以外にも滑りに大事な要素があるようだ。

バナナの皮を踏んだ際の摩擦係数を測定する実験の結果

バナナの皮を顕微鏡で見てみると、小胞が集合したような表面になっていることがわかる。バナナの皮を押しつぶすと、その小胞内部の粘液が放出され、それが潤滑膜を形成する。詳細に調べると、この「小胞ゲル潤滑」の仕組みこそが、バナナの皮の滑りを生み出すものであるとわかった。

バナナの皮の表面。押しつぶされると小胞内部の粘液が放出され、それが滑りのもととなる

バナナの皮の滑りの研究は、直接的に何かの役に立つ研究ではないが、ありふれた事物のなかから新しい発見をするという"科学する姿勢"を、特に子ども向けの媒体などから高く評価されたという馬渕名誉教授。近年、科学研究に対して実用性が求められる傾向にあるが、「研究者自身が本当におもしろいと思えるかどうかがすべて。おもしろくない研究の実用性を無理に主張するのではなく、実用性がなくても、そのおもしろさを自問しておくことが大切である」と語る。

生命の維持・発展のための技術を

バナナの皮の滑りに重要であることがわかった「粘液」は、生命の世界において、臓器の境界面や眼球、子宮などさまざまなところで見られる。馬渕名誉教授は、「生物組織の組成は高分子材料で構成されるため、それを含む水分は粘液として存在する。したがって、バナナの皮だけが特別なのではない。濡れ落ち葉やイモムシの死骸など、生物の構造をなす有機物はいずれも、踏めば滑る」としたうえで、「バナナの皮が滑るという印象が強いのは、簡単に皮を剥くことができ、携帯が容易であることから、道や床に遺棄される機会が多いため」であると説明する。

また、粘性のある液体は有機物であり、生命にしか生み出せないものであるという考えのもと、馬渕名誉教授は「有機物が構成する繊維組織はやわらかく、しなやかである。これが生物の特徴。生命は物質を合成し、有機物を生み出し、衣食住すべてを支えている」と、生命の重要性を訴えた。さらに現在、1年間で6万km2の砂漠化が進み、有機物が減っているという生命にとって危機的な現状を例に挙げ、エネルギーに依存した価値観を変えていかなければならないと主張する。

「昔は東海道五十三次を2週間かけて移動していた。その距離を新幹線を使って日帰りで移動できるようになった今、そのぶん時間的な余裕ができていなければならないはずなのに、そういう状況にはなっていない。生活や精神的な面を考えると豊かになっているとは思えない。価値観にイノベーションを起こす技術が求められている。」(馬渕名誉教授)

これまで、進歩や発展に向けエネルギーに依存した産業が生み出されてきたが、これからの時代はエネルギー技術から脱却し、維持・継続を意識していくべきであるとする馬渕名誉教授。ドローンの小型化など、身の丈にあった「スモールエンジニアリング」の方向性を提示し、産業を衣食住や生命維持の方向に進化させていく必要があるという意見を示した。また講演の最後には、ものづくりに関する中小企業の関係者に対し「発展のためではなく、幸福のために技術開発を進めていってほしい」とメッセージを送った。

馬渕名誉教授は、進歩・発展を良しとする価値観から、維持・継続を意識する価値観へ転換させていくことの重要性を主張した