JR根岸線の車窓から見える東横線の廃線跡

桜木町駅へは市営地下鉄ブルーラインでも行くことができるが、あえて根岸線を使うのは、2004年のみなとみらい線との直通運転開始と同時に廃止になった、横浜駅~桜木町駅間の廃線跡が車窓から見えるからだ。

高架に埋もれるようにたたずむ「三菱ドック踏切」。かつて、付近に三菱重工横浜造船所の正門があったのが名前の由来

東横線の廃線は根岸線にほぼ寄り添うように桜木町駅まで続いており、途中には、この区間唯一の途中駅であった「高島町」駅のホームが、ほぼそのまま残されているのも見ることができる。桜木町駅の西口へ降り立つと、東横線の駅跡地が広場として整備されているが、その先の線路へは2017年4月現在、工事用のフェンスが設置され立ち入ることができない。この横浜駅~桜木町駅間の廃線跡も、横浜市によって現在、緑道として整備中だという。

さて、ここから横浜駅に戻るように散歩を開始しよう。先ほど根岸線の車窓から見た廃線跡を、今度は下から見上げながら歩くことになる。国道16号に沿って歩いていくと、桜木町六丁目の交差点付近に、旧東横線、根岸線、それに首都高の高架に埋もれるようにして小さな踏切があるのを見つけた。

踏切名は「三菱ドック踏切」、路線名は「高島単線」とあるが、この高島線という路線はJR東日本が所有しているが、現在はもっぱらJR貨物の貨物列車が運転されているという。今回のテーマである東横線の廃線とは直接関係ないが、面白いものを見ることができたなと思う。

二代目横浜駅の遺構

先へ進み、国道1号との交差点に架かる「高島歩道橋」を渡ると、その先に小さな広場と公衆トイレがあり、壁に「二代目横浜駅遺構(マンション敷地内)」と書かれた看板が張られている。気になったので、マンションの敷地ではあるが入ってみると、「横浜市市街地環境設計制度」に基づいて誰でも自由に出入り可能な公開空地に、レンガ造りの遺構が保存されているのが見える。

二代目横浜駅のレンガ遺構

この遺構は、大正4(1915)年に開業された後、大正12(1923)年の関東大震災で焼失したという、わずか8年の短命に終わった二代目の横浜駅の建物基礎部分だ。ちなみに、初代の横浜駅の跡は現在の桜木町駅の付近にあり、現在の横浜駅は三代目になる。

ここからさらに東横線の廃線跡は、京浜急行の線路や帷子川(かたびらがわ)を超えて、横浜駅のすぐ手前まで続き、終点部分は切断され、断面を露わにしている。廃線の終点部分の様子は、調査した限りでは地上から確認するのは難しく、根岸線や東海道線の小田原方面行きの車窓から見られるのみだ。

東横フラワー緑道周辺で食べたいグルメ

さて、本稿でメインで紹介した東横フラワー緑道周辺でランチをとるならオススメしたいのが、東白楽駅から六角橋交差点に向かう途中にある、いわゆる"家系(いえけい)"ラーメンの老舗「六角家」だ。

同店は1994年~2003年まで「新横浜ラーメン博物館(ラー博)」にも出店した有名店だが、店のたたずまいも内装も至って飾り気なく、"街のラーメン屋さん"という雰囲気だ。1杯税込650円のラーメンは、モッチリした太麺に濃厚な豚骨醤油スープという組み合わせ。男のラーメンというイメージだが、女性客の姿も見かけるし、休日はファミリーで訪れるお客さんもいる。

六角家のラーメン(税込650円)

さて、今回は東横線の廃線跡2箇所を歩いてみたが、東横線にはさらにもう1箇所、東京メトロ副都心線乗り入れによる渋谷駅~代官山駅間の地下化による廃線跡もあり、その内の一部はすでに商業施設として生まれ変わるなど、新たな活用が始められている。その土地に刻まれたさまざまな歴史に触れられたり、思わぬ発見があったりと、興味が尽きない廃線旅は鉄道ファンならずとも楽しめるだろう。

筆者プロフィール: 森川 孝郎(もりかわ たかお)

旅行コラムニスト、オールアバウト公式国内旅行ガイド。京都・奈良・鎌倉など歴史ある街を中心に取材・撮影を行い、「楽しいだけではなく上質な旅の情報」をメディアにて発信。観光庁が中心となって行っている外国人旅行者の訪日促進活動「ビジット・ジャパン・キャンペーン」の公式サイトにも寄稿している。鎌倉の観光情報は、自身で運営する「鎌倉紀行」で更新。