都市部における自動運転の在り方は

自動運転が注目される背景には、事故ゼロを目指すという方向性のほか、世界人口が増加するなかで都市部に住む人が増えるのに伴い、混雑する都市で、いかにクルマの利便性を保持するか、といった視点もある。ドイツの自動車メーカーが目指すのはそこだ。

独アウディは、2011年秋に「アーバン・フューチャー・イニシアティブ・サミット」を開催し、そこで問題提起を行った。その会合は、2030年に世界人口の60%が大都市部に住むようになるという国際連合の推計を受けて、交通の在り方を考える場だった。直後のフランクフルトモーターショーでアウディが出展したのは、電気自動車(EV)に自動運転を組み合わせた「A2コンセプト」というモデルである。

アウディ「A2コンセプト」

先の藤原氏の発想の原点は、過疎化の進む地方の生活を考慮した交通の在り方と、自動運転の活用法だった。では、都会はどうなのか。「都市部は、営業のタクシーが十分にあるでしょうから、あえて自動運転にしなくても手助けはできるのではないでしょうか」と、藤原氏の答えは明快だ。

実際、東京23区などでは、近距離のタクシー料金を従来の2キロ730円から約1キロ410円へと安くしたことにより、実施後2週間で、近距離の利用が3割近く(28.6%)増えたと国土交通省が公表している。

誰もが行きたい場所へ行ける時代に

しかし、両親の介護をした私の経験からすれば、救急車を呼ぶまでではないが、急いで町の医院へ連れていきたい、だが、仕事へも行かなければならないといった際、医院まで自分のクルマで連れていき、帰りは自動運転で無事に親を家に帰らせることができれば便利なのにと思ったことがある。

ほかに、障害を持つ人の自立という視点で考えると、福祉車両に運転支援や自動運転が加わっていけば、より活躍の場が得られるだろうと考える。理想を言えば、目の不自由な人でも1人で出かけられる自動運転車の実現だ。

鉄道のホームから目の不自由な人が転落する事故を受けて、鉄道事業者はホームドアの設置を急いだり、係員をホームに常駐させたり、乗客への声かけを増やしたりしている。だが、実際に目の不自由な人たちの実情を知れば、彼らが1人で出掛けられるのは行きなれた道や場所でしかない実態がある。しかも、IC乗車券をタッチする部分は、目の不自由な人には位置が分かりづらい。もっと自由に、初めての所へも1人で行けるようになれば、どれほど心が軽やかになるだろう。

藤原氏の言うように、人々が助け合う共同社会の醸成が進むことは私も願うところだ。一方で、ウォークマンやスマートフォンの普及により、周囲に全く関心を寄せない人が街を歩く時代にもなっている。それは止められない。そうした自己に没入した人に、高齢者や障害を持つ人も歩いていることを意識させるのは困難だと思う。

欧米では、見ず知らずの人に当たり前のように声をかけ、手を差し伸べる日常がある。日本にも昔はそういう社会があったはずだ。しかし今日、私が散歩をしていてすれ違う人に「おはようございます」と声を掛けたとき、けげんな顔をする人がどれほど多いことだろう。

配慮の心を持った、人に優しくなれる社会を求めながら、同時に、技術で人を助けられるなら、その両方を進めていくのが今の時代の取り組み方ではないだろうか。

人に頼らず、自立して生きて行ける。その気持ちは、高齢者にも障害を持つ人にも、強い生きがいをもたらすだろう。人に何かを頼むのは、親子の間でも遠慮が働くものだ。そこに、自動運転技術が役立つなら、何より嬉しい。