厚生労働省が今年9月に発表した『平成27年(2015) 人口動態統計(確定数)の概況』によると、日本における2015年の年間死因別死亡総数のうち、心疾患は19万6113人で、悪性新生物(がん)に次いで2番目に多い数字となっている。このうち約4割となる7万1860人が心不全で死亡しており、心疾患のなかでは心不全が死因1位となる。

心不全が重症化すると、最終的には心臓移植しか患者を救う方法はない。しかしながらドナー数には限りがあり、日本では心臓移植の待機患者に対するドナー数が大きく不足しているのが現状だ。

この問題を解決すべく近年、再生医療が注目されている。心不全に向けた再生医療技術として国内では、大阪大学の澤芳樹教授らの研究グループや、京都大学iPS細胞研究所の山下潤教授の研究成果をもとに設立されたベンチャー企業「iHeart Japan」が、iPS細胞から作製した心筋シートを移植する手法の臨床応用に向けた研究を進めている。

そして今年3月、この心不全の領域へ慶應大学(慶大)発の再生医療ベンチャー「メトセラ」が新たに参入した。同社の代表(共同)を務めるのは、慶應義塾大学先端生命科学研究所の特任助教 岩宮貴紘氏だ。

メトセラ 代表取締役 最高経営・技術責任者 岩宮貴紘氏

"悪者"とされてきた線維芽細胞が、心臓機能を高める

岩宮氏によると、心不全における再生医療は今、iPS細胞等による心筋細胞の作製、またその大量培養技術などが確立された"細胞の時代"まで来ているという。しかし、実際に患者へ移植するためには、細胞だけできればよいというわけではない。心不全では、心筋細胞を十分に成熟化させてから移植しなければ、心臓として機能しないのだ。「心筋細胞は拍動するのですが、それぞれがランダムに拍動したまま移植した場合、不整脈を引き起こしてしまいます。心不全の治療には、移植した細胞が組織として機能するということが必要です」(岩宮氏)

そこでメトセラが着目したのは、心筋細胞をサポートする役割をもつ、心臓の「線維芽細胞」だ。心臓線維芽細胞は、もともと1種類しかないと考えられていたというが、岩宮氏は、心臓線維芽細胞にも実はさまざまな種類があり、そのうち特定のタンパク質が発現するものをピックアップして心筋細胞に配合すると、心臓組織として高機能なものになることを見出した。

心臓線維芽細胞は、生体中の心臓組織の半分程度を占めている。岩宮氏によると、これまでTissue Engineering(組織工学)の業界では、心筋細胞だけを用いて臓器を作製したり、間葉系幹細胞や皮膚の線維芽細胞を混ぜ込んだりする流れはあったというが、心臓の線維芽細胞を混ぜ込むことは、あまり検討されなかったという。心不全が進行すると、心臓線維芽細胞が異常に増殖し、心臓自体のサイズを大きくして、ポンプとしての機能をなくしてしまう「線維症」を引き起こしてしまうのが、その理由だ。つまり、これまで線維芽細胞は"悪者"であり、それを心筋細胞に混ぜ込むことはナンセンスだといわれることが多かったのである。しかしながら岩宮氏は、あえて悪者であった心臓線維芽細胞に注目した理由を、次のように説明する。

「そうはいっても、やはり心臓の半分は線維芽細胞でできています。そこで我々は、線維芽細胞のなかにも、"悪い"線維芽細胞と"良い"線維芽細胞があるのではないかと考えました。そして、その良い線維芽細胞というものをピックアップして心筋細胞に混ぜ込めば、生体にあるような機能的な心臓が作れるのではないか、と」(岩宮氏)

岩宮氏が発見した心臓線維芽細胞(メトセラ細胞)を心筋細胞へ配合すると、心筋細胞が分裂し、ネットワークを作る。さらに、この心筋細胞のネットワークが束になり、強い線維となるように移動していく現象もみられるという。岩宮氏は、「心筋細胞はこれまで、生まれてから一度も分裂しないものと考えられており、メトセラ細胞を混ぜるだけで、細胞分裂するようになるというのは、非常におもしろい発見です」と語る。

アカデミックの研究は、ベンチャーの製品開発の考え方とはまったく違う

若き研究者であり経営者でもある岩宮氏。「良い論文が書けたとしても、それが患者を救えることになるとは限らない。患者を救うためにいかに良い製品を開発できるかというところにフォーカスして、これからも研究開発を進めていきたいです」と語るように、患者の治療を第一の目標に置いている。

「これは、かなりアグレッシブな目標ではあるんですが(笑)」と前置きしながらも、岩宮氏は数年以内に臨床試験へ移行できるよう、急ピッチで研究開発を進めていきたいと意気込む。技術的な面からすると、企業化にはやや早いタイミングにも思えるが、学生時代に関わっていた植物関連のベンチャー企業での経験が、彼の起業を後押しした。

「学生時代から、再生医療の分野での起業を考えていましたが、実際に再生医療のベンチャーを立ち上げているのは、教授クラスの方たち。自分にはまず無理だろうと思っていました。しかし、植物系のベンチャーに関わるなかで、製品開発のやり方は、アカデミックの研究開発とは考え方がまったく違うことに気づきました。アカデミックの世界では、さまざまな仮説を立て、隙がないようにデータを出し、いかに良いストーリーの論文を出していくかということが大切だと思います。しかし、ベンチャーでの製品開発は、市場や競合の情勢、時代の流れなどで変わっていくため、データの出し方が異なります。心不全のモデル動物を外注で作製できるようになってきた背景もあり、資金さえあれば、企業として製品開発をして、臨床試験までいけるのではないかというように考え直したんです」(岩宮氏)

世界に目を向けてみると、メトセラの競合となる米国のベンチャー各社はすでに、心不全に対する再生医療技術を臨床試験の段階へと移している。メトセラは来春にもさらなる資金調達を行い、事業を加速させていきたい考えだ。