岩手を訪れたことがない人は少なからずいるにしても、「かもめの玉子」を知らないという人はほとんどいないのではないだろうか? ころんとした丸い形、ネーミングのかわいらしさ、素材にこだわることで生み出されたやさしい味わいの全てにセンスがあふれた銘菓である。

かもめの玉子(4個入り税込453円~20個入り2,268円)

初めの客はセメント工場作業員

昭和27(1952)年に販売がスタートした「鴎の玉子」

「かもめの玉子」の開発がスタートしたのは、昭和27(1952)年のこと。着手したのは、昭和8(1933)年に創業した岩手県大船渡の「齋藤菓子店」だ。創業時の店名は「齋藤餅屋」(現在は「さいとう製菓」)。現会長の祖母であるキヌエさんが、大船渡のセメント工場作業員たち相手に手作りの大福やもち、ゆべしなどを売る商売を始めたことから、店の歴史が幕を開けたという。

その後、戦争中の休業を経て、昭和23(1948)年に商売を再開するやまもなく「齋藤菓子店」の看板を掲げ、和菓子も手掛けるようになると、「和菓子で老舗と肩を並べようとするのではなく、特色ある商品を打ち出そう」と決意。そこでまず思いついたのは、青い海原をさっそうと飛ぶカモメを想起させる商品名にすることで、菓子に大船渡の魅力を落とし込むことだった。

「鴎の玉子」「沖のかもめ」「五葉松」など、いくつかの商品名をひねり出した末、「鴎の玉子」(その後、平成11(1999)年に「かもめの玉子」に改称)の商品化に向けて動き出したのが、昭和26(1951)年のこと。早速、卵、砂糖、小麦粉、水あめ、マーガリンなどを混ぜて焼いたカステラ菓子に黄味あんを入れて作成し、翌年の昭和27(1952)年に販売をスタートしたところ、まずまずの売れ行きとなり従業員も増員。

「鴎」から「かもめ」へ

ところがその後、キヌエさんの息子である俊雄さんの度重なる入退院が理由で商売がおぼつかなくなり、「鴎の玉子」の製造を休止することに。再び家族経営の小さな菓子店に戻るも、昭和35(1960)年のチリ地震津波で店がほぼ全壊という被害を受けたことをきっかけに、再建に向けて一家で立ち上がり、商売を再開。その際、「もっと立体的にして本物の玉子の形に近づけよう! 」と改良を決め、併せて味そのものも時代に合ったものに変えていったのだ。

とはいえ、これが試行錯誤の連続。配合表を記録しながら何度も素材を変更しただけでなく、生地を玉子型に焼くための機械の開発にも労を要した。最終的に理想の成型法にたどり着いたのは昭和42(1967)年のこと。もちろんそこからも、品質と味の向上を追及し続ける姿勢は崩さず努力を重ねたことで、全国区に名前を知られる存在へと成長したのだ。

よりやわらかな印象へと「かもめの玉子」に改称したのは平成11(1999)年のこと。素材も厳選し、現在では黄味あんの原料となる豆に北海道十勝産「大手亡」を使い、さらに品のある甘さが特徴の白ザラメ、北東北で栽培されているキタカミ小麦、とりたて卵の黄身を使用しているんだとか。

今では「紅白かもめの玉子」も(12個入り/税込1,468円)

季節限定の変り種も

また、ここ最近は季節限定の味も人気。春はいちご、夏はメロン、秋は栗、冬はみかんといったラインナップをそろえる他、丸ごと一粒栗の入った「黄金かもめの玉子」、黄味餡の中にりんご果肉がたっぷり入った「りんごかもめの玉子」、ほろ苦さがあとをひく「かもめのショコラン」、お祝いの席にぴったりの「紅白かもめの玉子」などの通年で楽しめる定番品も多い。

季節限定のかもめの玉子は旬の味覚を楽しめる

黄金かもめの玉子(1個税込360円~9個3,600円)

「これからも、岩手・三陸のすばらしい四季を、お菓子を通して描き続けると同時に、安心安全でよりおいしく、より品質のよいものを目指して、みなさまの心を幸福で満たしていきたいですね」との同社からのメッセージもステキ。かもめの玉子未体験という人には、ぜひ一度同社の心意気を味わってみてほしいものである。