当初は研究室を中心に利用される技術であった分光器ですが、近年、大きな発展を遂げてきました。ハンドヘルド型の近赤外線(NIR)分光器は小型化と低コスト化がますます進んでいますが、その理由の1つに、MEMS部品を活用した新しいシステム・アーキテクチャの登場があります。では、こうしたハードウェアの最適化によって、今後の分光器産業における簡素化とポータブル化がどのように進んでいくのかを考えてみましょう。

NIR分光器

分光器は、測定対象とするサンプルの成分を、さまざまな波長への応答に基づいて特定する、強力なツールとして利用されています。特にNIR分光器は、一般的には780~2500nmの波長域に含まれる光を利用してサンプルを励起します。サンプル材料の物理的状態に応じて反射率測定(固体)と吸光測定(液体と気体)のいずれかを利用することで、スペクトル応答を測定できます。

780~2500nmの範囲に含まれるスペクトル特性の大部分は、O-H、C-H、N-H、S-Hなどの水素結合で占められています。このことから、NIR波長帯は食品および農業の監視、健康状態の診断、石油化学プロセス、医薬品製造などに特に適していると言えます。分光器の応用例にはそれぞれ、NIR波長帯の範囲内での波長域や計量化学分析に関する固有の要件があります。例えば、900~1700nmの機器では水(H2O)とショ糖(C12H24O12)の含有量に関する情報が得られます[1]。機器の波長域を2500nmまで広げると、さらに多くの有機化合物の特性情報が得られるようになり、製剤工程では監視結果を改善することができます[2]

機器の部品表(BOM)コストの総額は、どの波長域を選択するかによって異なる場合があります。短波長NIRシステムでは、1050nmまでの測定用に安価なシリコン検出器を利用できます。1050nmを上回ると、たいていの場合は、それより高価なインジウム・ガリウム・ヒ素(InGaAs)検出器が必要になります。1700nmを超えた場合、通常はInGaAs材料に冷却が必要となり、特にマルチピクセルのリニア・アレイ検出器では、性能要件を安定して満たすために不可欠です。より高価なInGaAs基板に加えて冷却機構も必要なことから、InGaAsリニア・アレイ技術には、場合によっては低コストのハンドヘルド機器を実現する妨げとなるほどのコストがかかります。

分光器のアーキテクチャにおける技術革新

InGaAsアレイ検出器を使った従来の分散型分光器のコスト面の課題に対処するため、NIR分光器に関する技術革新の多くは、システムの構成部品の数を削減することに重点が置かれてきました。その一例に、分散型回折格子リレーを線形可変フィルタ(LVF)に置き換えるという方法があります。このLVFアーキテクチャの場合、光処理能力は低下しますが、一方で回折格子から検出器への経路が不要になるので分光器の占有面積を縮小できます。光学設計上の技術革新には、他に透過型回折格子アーキテクチャを用いたものがあり、この場合は光損失を最小限に抑えながらシステムの占有面積を有効活用できます。さらに別のアーキテクチャでは、走査型回折格子を利用して光を単一点検出器に直接送ることで、前述したマルチピクセルInGaAsアレイを不要にしています。単一点検出器は、コスト、サイズ、性能の面でアレイ検出器よりはるかに優れています。

単一点検出器の使用と併せて分光器のアーキテクチャ内にMEMSを導入するという方法は、コスト削減とポータビリティというテーマに基づいたものです。堅牢なMEMS部品を分光器の光路に組み込むことで、機器の占有面積の縮小と新たな性能の追加が同時に実現できます。MEMS部品を選ぶ際に考慮すべき重要なポイントには、信頼性や大量生産時の安定性などがあります。

実績のあるMEMS技術の例としては、Texas Instruments(TI)のDLP NIRチップセットが挙げられます。この技術では、コンパクトでプログラム可能な高性能分光器を実現するために高忠実度の光変調機能を採用しています。特に、TIのDLP2010NIRとDLP4500NIRは、アダマール・パターンやスルー・スキャンの動的プログラミングなど、波長制御に関する魅力的な新機能を備えています。その他の新たなMEMS技術では、ファブリー・ペロー干渉計とマイケルソン干渉計が、機器のアーキテクチャの簡素化に役立つ技術として期待されていますが、信号対雑音比と解像度指標に関して研究室レベルの性能要件を満たすためには、まだ解決すべきがあります。

分光器のアーキテクチャには他にも数多くの選択肢がありますが、MEMS技術の魅力はますます確かなものになっています。MEMSを基にしたアーキテクチャを用いることには、動的プログラミング、コスト削減、シングル・ポイント・ディテクタの使用、大型の可動部品の排除など、いくつかの利点がありますが、これらは信頼性の高いシステムインテグレーションと組み合わせることで、実地利用の際にさらに大きな利点となります。

図1:TI製DLP NIRscan Nano評価モジュールにはDLP2010NIRが内蔵されています