【レポート】

「ガンダム」富野由悠季総監督の映画を見る視点 - 阪本順治監督作『団地』で対談

2000年に公開された映画『顔』以来、女優・藤山直美と阪本順治監督がタッグを組んだ映画『団地』が現在公開されている。タイトルそのままに関西の「団地」を舞台に繰り広げられる本作は、長年営んできた漢方薬局をたたみ、団地に移り住んできた夫婦と、その住人たちが軽快な関西弁で織りなす"人間関係コメディ"。藤山演じるヒナ子の夫・清治(岸部一徳)が些細なできごとでヘソを曲げ、床下に隠れてしまう。清治の姿が見えなくなったことに疑問をもった住人たちの憶測が憶測を呼び、ついには殺人説まで持ち上がり、事態は思わぬ方向に進んでいく。

阪本順治監督(左)、富野由悠季氏

25日に行われたイベントでは、阪本監督と、監督とはプライベートで交流があるという『機動戦士ガンダム』シリーズの富野由悠季氏による対談が実現。阪本監督作品『亡国のイージス』(2005年)の原作者・福井晴敏氏の紹介で知り合って以降、阪本監督は新作が公開される度に富野氏に感想を求めていたという。対談という形式ではあったものの、イベントは富野氏の独壇場に。阪本監督の新作をテーマに、数多くのアニメを手がけてきた富野氏ならではの視点で語られる「映画講座」が繰り広げられた。

作品を左右する"コマ割り"の重要性

富野:(動画を編集する際に)フィルムを物理的に切るというところから、デジタル作業になって(カットを)切るというのは多少気分が違うんですけれども、やっぱりカット頭の12コマくらいまでの単位をどう切るかっていうのが勝負なんです。今回の作品は『北のカナリアたち』(2012年)に比べたら数段神経が行き届いているなと。とても気持ちがよかったです。

阪本:今回の映画は関西のノリですから。"間合い"というやつですよね。

富野:その"間合い"を発生させるのに、3コマ・6コマがとても大きなターニングポイントになってくるんです。昔のフィルムに比べたら、かなりの自由度で動画を前後させることができるので、そういうところが動画の方って無精な気が多少しますね。アニメはとにかく1コマ勝負でやっていましたので。

実を言うと、実写の動画というのは動きがあいまいに見えるんです。例えば、振りぬくという動作にしても、振りぬくところのどこを撮るか、その動きのはじまりがどこからかでつなぎ方や見え方が違ってくるんですね。それが実写の動画ですと2コマくらいやっていると大体ずれて見えます。それを決めるというのはものすごく難しくて、そういう意味ではアニメの編集よりずっと難しいんです。今回の『団地』は、そういった意味ではすごくきれいで、見ていて気持ちがいいですね。

映像と、それを見る環境

富野:ところでここの画面って、試写の時に比べて明るいでしょう。

阪本:それは元の機械によって変わりますね。

富野:試写で見た時は、画面がもうちょっと暗くてくすんでいたんですね。そのくすんでいる感じが、関西の泥臭い感じとか、この映画ってどよ~んとしているから、その感じに合っていました。それが今回は、ある場面で少し鮮やかすぎるところもありましたね。これでいいんだけど、元々のよさが画像が変わったことで違ってきちゃったかなという残念さがあります。

動画の再生の仕方は劇場によっても違うわけだし、モニターによっても違うし、DVDの仕込みの段階でも違う。これからは画質の問題でどうのこうのという評論はやめたほうがいいと思うんです。動画の構造だけで話を理解するというところにいかなくちゃいけないし、逆にいうとそういう演出の仕方をすべきなんじゃないかなということは今日もあらためて勉強させてもらいました。

阪本:現像所での色のチェック、音のチェックなど最後の仕上げをしてみたものがベストになっても、どこの映画館でかかるかで違っていて、もう"ライブ"なんですよね。かつて映写機2台で1本の映画をやっていた時は、右のランプが新しくて左が古かったりすると、15分から20分おきにクオリティーが変わってきていて、これも仕方がないことでした。

これについては『北のカナリアたち』でご一緒した木村大作さんが、「シネコンでは一番後ろに近い席が一番狙った絵が出る。一番前は映画を見るところじゃない」とおっしゃっていましたね。小屋によって、よかれと思ったものが変容していく。それは作った自分たちにしかわからないと言えばわからないんですけどね。

富野:プロフェッショナルであればあるほど、画質の問題を言っていてはダメで、構成で見せる以上のことをしてはならないと思うんですね。逆につまらないというのは構成がつまらない、本がひどいんだろうと。アニメの場合では本の次に絵コンテを組んで全部を組み直すということがありますので、コンテの段階が第一の勝負。それでおもしろくなかったら何をやってもダメ、ってくらいに覚悟しなくちゃならないというのが映画の作り方だろうなという気がします。

ストーリー>ディテール?

阪本:富野さんは脚本を書く時には絵と尺みたいなものを頭に入れて書かれているんですか?

富野:そういうことは考えないで勝手に書いています。『団地』は、出演する役者さんを想定して書かれていますよね。当て書きは、縛りにはなるけれど、アニメの仕事しか知らない人間からするととてもうらやましいですね。劇中では本と役者さんの親和性が高く、見やすくなっています。

役者さんがほとんど演技をしていないように見えるというのは、本が役者さんに合っているということですから、映画を撮っているという意味での醍醐味としてはいい。ただ問題なのは、映画がそれだけでいいのかというと、映画はもっと"作り"が必要になってくるんですね。今回の映画についてはその"作り"の部分をよく検討していらっしゃるなと感じました。

役者さんを承知で書く本の気持ちよさが見えてきて、その上で、会話劇でずるずると進んでいくような、劇構成ができないかもしれないものを、どう劇構成していくのか。そこを演出で劇映画にしていく、ウソ話にしていくすべりこみのすごさですね。作り物にしていく、"作為"が気持ちよかったですね。

阪本:作為というか、ケレン味のようなものが好きになってしまうんですね。

富野:そうでなければならないというより、映画はそれでしか見せられないものだと思うんです。映画はリアリズムでも見せられると言っていた時期もあったのですが、カットを分けた瞬間にリアリズムではないんですよ。そこは絶対に作為しかなくて、リアルな意味でのドキュメンタリーはないと思っています。

動画で作品を見せるとはどういうことかというと、それは物語をどういうふうに構成するかということに尽きて、その時にディテールは言ってはならないんですね。ディテールというのはこのレベルになってきて初めて言えるものです。役者さんに合わせて本を組んでいったという気持ちよさ、アニメで言えば、このアニメーターが作画をしてくれたことで感情表現がきちんとできているというディテールはやっぱり二の次なんです。でも、この二の次がぴたーんとはまっていると二の次じゃなくなって、あっという間に順番がひっくり返るんですよ。それでその役者・スタッフの作品になってくる。そういう意味では今回の作品は坂本監督らしい作品になっているなと。

阪本:今まで僕の映画を見てきてくれた人には、急にSFとか含まれているから「どうしたの?」とか言われたりするのですが、僕は本当に自分らしい映画を仕上げたつもりです。

富野:そういう方は映画は作り物だということを知らないか、映画でメッセージが伝えられるとかプロバガンダができるという昔の観念をもっておられるんじゃないかなと思います。

デジタルの時代になると動画はかなり自由に作れるようになりました。でも、自由に作れるようになればなるほどつまらない作品のほうが多くなっている。それは自由度をもった動画が物語を伝えているのかというと伝えていないんですね。ただぐるぐる回っているとか、上から下まで降りていったとか、そういうのは『スーパーマン』の1本目を見れば十分で、いったい何十本見たら気が済むんだと。とはいえ「ガンダム」は何十本も作っているのですが(笑)。そういうところに取り込まれていってしまう時に、手に入れなくちゃいけないのは物語性だろうと。

だから今回のように、この手のテーマや見え方でも、こういうふうに作れば映画になるんだよというのをしっかり見せてくれたという意味では、かなり個人的に支持する部分があります。

阪本:実は、今回の「SF」というのは「阪本」「藤山」の略なんですけど(笑)、これから空想小説の側に向かっていってもいいですか?

富野:SFを売りにするときの演出眼はかなり違ってくるので、今のこのやり方では絶対にだめですね。技術論の範疇なんだけれど、これは説明できない。もし『団地』をSF調に本気になってしようと思ったら、後半部分のカット割りが悪すぎますね(笑)。

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