マウスを使った実験によって難病などのメカニズムが解明された、といったようなニュースを耳にすることがよくある。先日も、東京医科歯科大の研究チームが加齢による薄毛・脱毛のメカニズムをマウス実験によって明らかにしたというニュースが話題となった。しかし「マウスで実験」とひとことでいわれても、具体的にどういったことを行っているのか、イメージするのは難しい。また、マウスで得られた知見が、すぐにヒトに応用できるものなのかという疑問も浮かぶ。

そこで今回は、マウスを使って精神疾患の研究を行う分子生物学者 東京大学 疾患生命工学センター 動物資源学部門 古戎道典助教にお話を伺った。

東京大学 疾患生命工学センター 動物資源学部門 古戎道典助教

「遺伝子組換え」って、どうやるの?

――古戎先生の専門である「分子生物学」とはどういった学問なのでしょう。

ひとことでいうと、「分子の側面から生物を理解しよう」とする学問はすべて分子生物学です。「微生物学」や「神経科学」など研究の対象が含まれている分野名と比べると、「分子生物学」という名前は確かに捉えどころがないかもしれません。20世紀のはじめごろに、それまでわかっていなかった遺伝子や酵素の実体が、DNAやタンパク質という分子であることがわかり、生命を構成している分子の性質を知ることで、生命現象を理解しようという大きな流れができました。これが分子生物学の始まりです。

その後、DNAがタンパク質の設計図だということがわかり、DNA情報の変化(変異)がタンパク質の形や量を変化させて、生物の性質を変えてしまうこということが明らかになった。これは、非常に長い目で見ると生命進化の分子的基盤であり、生物の一生のスパンで見ると、疾患の原因となるものです。現在、多くの分子生物学者は、研究の対象は違えど、遺伝子がどのように生物の性質を変化させるのかということについて、DNAやタンパク質に注目して解析しています。

――では、古戎先生はどういったものを対象に研究を行っているのですか。

神経科学、いわゆるニューロサイエンスです。現在私は、遺伝子組換え動物を作る「発生工学」の研究室にいるのですが、そこでは人間の病気で見つかった遺伝子変異をマウスに組み込み、その表現型を解析することで、どういうメカニズムで病気になるのかということを明らかにしようとしています。

――基本的にはマウスを使った実験をされているということでしょうか。

そうです。マウスには、世代間隔が短かかったり、たくさんの子どもを産んだり、飼育スペースが小さかったりといったさまざまなメリットがあります。遺伝子改変がしやすいというのも大きいですね。最初の遺伝子改変マウスは1970年ごろに作られたのですが、これは哺乳類において初めての例です。同じげっ歯類であるラット、いわゆるドブネズミも、おとなしくて扱いやすいことから、これまで多くの研究室で飼われてきましたが、なぜが遺伝子改変が難しく、最近まで成功していませんでした。こうした理由から、現在は遺伝子改変しやすいマウスが、哺乳類モデルとして圧倒的に用いられています。

実験で使用するマウス

――「遺伝子組換え」という言葉はよく聞きますが、実験としては具体的にどういった作業を行うのですか。

細胞の核の中には遺伝子の本体となるDNAがあります。このDNAの情報をもとに個体ができていくのですが、マウスの受精卵の核のなかに人工的に創った遺伝子を入れてやると、それがマウスの持っている遺伝子のなかに組み込まれ、遺伝子組み替えマウスができます。こうした外来の遺伝子は、ランダムにマウスのDNA上に組み込まれるために、もともとそこにあった遺伝子をつぶしてしまったり、外来遺伝子がまったく働かないような領域に組み込まれてしまったりする問題がありました。最近では、ここに狙って入れようとか、ここを破壊しよう、ということができるようになってきています。

――どういった仕組みで、遺伝子を狙ったところに入れたり、破壊したりできるのでしょう。

細菌が持っている、ウイルス感染を防御するための免疫機構を利用しています。細菌は、かつて感染したウイルスのDNAを自分の免疫システムのなかに組み込んでおいて、次にその組み込んだDNA配列と同じものがやって来たときには、その情報を使ってウイルスのDNAを破壊するという仕組みをもっています。この仕組みは、DNAの該当する部分を探すRNAと、それに導かれてDNAを切断する「Cas9」というタンパク質からなっています。

この仕組みをマウスの受精卵に入れることで、RNAの配列に相補的なDNA配列を切るというわけです。切られた箇所は遺伝子の変異になりますし、そこに外来遺伝子を挿入することもできます。ほかにも方法はありますが、「CRISPR/Cas9」とよばれるこの技術は、RNAを変えるだけで狙った部分を自由に切ることができるので、世界中でトレンドとなっています。

統合失調症のメカニズムを探りたい

――CRISPR/Cas9で遺伝子を改変したマウスを使って、病気のメカニズムを解明していくというのが古戎先生の研究なんですね。どういった病気に着目されているのですか。

遺伝的な要因が強いといわれている自閉症や統合失調症といった精神疾患です。マウスの遺伝子を狙ったように改変できるということは、ヒトで見つかっている精神疾患の遺伝子変異を、まったく同じようにマウスに導入できるということです。統合失調症の発症と関連する遺伝子の変化は数多く見つかっていますが、多くの場合、それがいくつも組み合わさらないと発症には結びつきません。ところが、なかには統合失調症の発症リスクを大きく高めてしまう遺伝子変異も存在します。私は、こうした遺伝子変異をマウスに導入すれば、統合失調症の発症メカニズムの解明につながるのではないかと考えています。

――"発症リスクを大きく高めてしまう遺伝子変異"というのは?

私は特に、高いリスクを引き起こすと考えられている遺伝子変異のひとつ「コピー数多型」に注目しています。コピー数多型とは、お父さんとお母さんのそれぞれに由来する2コピーの遺伝子を持っているはずが、ある染色体の領域がごそっとぬけたり、重複したりして、1コピーになっていたり3コピー以上存在していたりすることをいいます。ヒトのゲノムの特定の領域のコピー数が変化すると、統合失調症や自閉症にかかるリスクが高まるのです。この遺伝子変異は非常にまれで、昨今の分子生物学の技術革新によってようやくわかるようになってきました。

現在の統合失調症の主な治療法は、ドーパミンやセロトニンといった神経伝達物質の作用を薬剤によって抑えることで症状を緩和しようというものです。これはこれまでの医師と患者さんの試行錯誤から、経験的に確立されてきたものですが、たとえば、ある薬は一部の患者さんにしか効かないことや、副作用が出るといった問題もあります。マウスを用いた研究によって、ある特定の遺伝子変異が統合失調症を引き起こすメカニズムを明らかにできれば、患者さんごとに治療法を変えたり、より副作用の少ない治療法を探索したりできる可能性も出てきます。