創業時のケイズデザインラボは、3Dプリンタなどのハードウェア販売や3Dプリントショップの開業サポートなどを手がけていた。高等専門学校や工業高校、ポリテクセンターなどへの販売を主体とした業務からスタートし、現在に至る。

原氏よれば、これまで3Dプリンタのブームは3回あったという。

「最初が2000年です。ローランドDGが小型切削加工機を出した。これからだという時に、日本製で300万円以下の3Dプリンタが登場したのです。また、その頃、いまや2大大手メーカーとなった3D systemsとStratasysの製品を扱う大手商社が出てきたので、普及が始まると感じました」(原氏)

しかしハードウェアコストが高く、出力すべき3Dデータがほとんど存在しないという問題があり、実際には普及に至らなかったという。

「日本の製造業は非常に優秀で、設計者が未熟な設計図面を出しても試作業者の方で汲み取って、いい塩梅に仕上げてくれるという風土があった。だから、3D化する必要性があまりなかったのです」と原氏は理由を説明する。

2度目のブームは、原氏がケイズデザインラボを創設した直後の2007年頃だという。ちょうどフルカラー3Dプリンタが世に出たこともあってメディアが注目し、原氏にもメディア出演依頼が相次いだという。

「『夢の3Dコピー機』というような言い方で取り上げられましたが、データを作る方の重要性には誰も注目せず、完成品がポンと出てくるようなイメージを持たれていたようです。当時は、印刷会社が『そろそろ3D印刷機を入れよう』というような感覚で導入して大失敗したということもありました。うちとしては機器導入が増えたのですが、心の痛む状況でした。データの扱いをどうするのかと問うと『何年もPhotoshopをやってきたから大丈夫』という感じでした」(原氏)

根本的に2Dと3Dのデータが違うという以前に、見た目を整えるグラフィックスデータ作りと設計用のデータ作りの違いすら理解されていないまま、ただ3Dの造形物が簡単に出力できるというイメージだけが先行したため、このブームも一過性のものに終わったという。

そして現在に続く、第三次ブームともいえる時期の始まりが2012年頃だ。米国で起こったFabLabのブームや、オバマ大統領が演説の中で3Dプリンタに触れたことをきっかけに盛り上がりを見せた。

「メディアが何とか元年と騒いではしぼみ、何度か繰り返してから定着するというのが日本の常ですから仕方がないことですが、このブームもいつまで続くかなと思ったりもしました。ただ、過去のブームと圧倒的に違うのは、基本特許の切れた技術がいくつか出てきたことで個人向けに10万円台の非常に安価な3Dプリンタが出てきたことや、3Dデータを安定して送受信できるだけのインフラ環境が整ったこと。これらの影響は大きいだろうと感じています」(原氏)

日本では若干ブームがしぼんでしまったように感じる部分もあるが、海外ではしっかり定着してきているという。また、今回のブームではWeb系やIT系、ファッション系といった非製造業からの注目が高まったのも特徴だという。