カーン氏の死後、感染は一気に加速

点滴投与で患者を必死に救おうと、カーン氏と病院スタッフは全力を尽くした。ただ、その奮闘むなしく感染は拡大していき、次第に首都に近い町でも感染者が出るようになっていた。この時期になっても、政府や海外の支援団体からの援助は得られなかった。

そんな中で、カーン氏もウイルスに感染して2014年7月に命を落とす。その後、首都でも感染が拡大し、一気にパンデミックの様相を呈した。そして2014年8月、ついにWHOが緊急事態を宣言。そこから終息宣言までおよそ1年半を要した計算になる。

このような現状に、Twitter上では「エボラがすごいスピードで広がる中、なぜ少数の医師と看護師がほぼ孤立無援の状態で闘わなければならなかったのか…なぜ世界が無関心でいられたのか…」という疑問の声や、「Nスペのエボラ特集。患者の間違った知識や風習が、大流行の要因かと思っていたけれど、違っていた。国際機関の認識の甘さがあったとは……」などの初動の遅さを指摘する声があがっていた。

カーン氏からのサンプルでワクチンを開発

カーン氏は感染拡大を水際で食い止めようとしていたが、一方で未来をも見据えた行動をとっていた。番組によると、カーン氏は患者治療の合間をぬって、感染者のウイルスサンプルをアメリカへと送り続けていたという。

「現時点でエボラ出血熱にはワクチンがないが、このサンプルをもとにウイルス撃退のきっかけをつかんでほしい――」。

カーン氏のそんな意志をくみとってか、サンプルを提供されたハーバード大学は解析された遺伝子データを無償で公開。そのデータを頼りに現在、エボラワクチンの開発が進んでおり、ヒトでの臨床試験も始まっているというのだ。

次代を担う人々が苦しむことがないよう、流行の最前線の地からエボラ出血熱撲滅のためのバトンをつないだカーン氏。その姿に、

「歴史に名が残る訳でもなく、ノーベル賞を受ける訳でもない。そんな無名の賢人が世の中にはいっぱいいる」

「シエラレオネで初期に感染を食い止めようとしたカーン医師の孤軍奮闘に胸が詰まった。彼をふくめ多くの医療スタッフも感染して死亡したという。国際社会の支援がもっと早ければ……。教訓を生かしてほしいと思う」

などのコメントがTwitter上にはあふれていた。

WHOは2016年1月14日、西アフリカでのエボラ出血熱流行の終息を宣言した。ただ、再発の可能性はゼロではない。そのときまでに、カーン氏が命を賭してまでつないだバトンが結実し、1人でも多くの患者が救われればと切に願う。

※写真と本文は関係ありません