世界遺産リマ旧市街の北に位置するサン・フアン・デ・ルリガンチョ(SJL)区で、家族とともに温水プールやスイミングスクールなどを経営するマリオ・ネルソン・ビジャルバ・ガジェゴさん(39歳)。「人が好き、外国人と話すのが好き」という彼は、外国人との会話を楽しむ目的で英語や日本語を学んだり、観光客の多い旧市街のレストランで働いたこともあるとか。その後日本に渡り、日本人の奥様であるナツキさんに出会いました。「日本での思い出はいいことばかり」というマリオさんは今、日本での経験を活かしながら仕事に励んでいます。

マリオさん/ペルー・リマ出身/39歳/スイミングスクール経営者

■これまでのキャリアの経緯を教えてください。

リマで工業機械の整備技術を学んだ後、25歳の時に愛知県にある自動車関連の工場に就職しました。周りはブラジル人ばかりでペルー人は少なかったけど、みんないい奴ばかりでしたよ。毎日残業はあったけど、ちゃんと残業代ももらえたし、休暇もくれました。だから、1年に1回は両親の顔を見にリマに帰っていました。

仕事でのストレス発散は、何といっても終業後にブラジル人やペルー人など仕事仲間とやるサッカー! 給料日には友達と飲みに行ったり、東京へ遊びに行ったりしました。そこで出会ったのがナツキです。最初は友達として付き合い始めたけど、もうほとんど一目惚れですね。彼女は私にとって本当に特別な存在です。

そのまま日本で働き続ける予定でしたが、いつもの休暇でペルーに一時帰国して再び日本に戻ったら、もう仕事がないと言われました。失業保険があったので仕事を探しながら1年ほど日本に残ったんですが、実家のことも気になっていて。当時実家はレストランとプールを経営していたんです。私は日本にいる間、仕事や経営についてだけでなく、いろんなことを学びました。だから家業ももっとよくしたいって思ったんです。それでペルーに帰る決断をしました。もちろん彼女と一緒にね。

私たちがリマに戻った当時、実家が経営していたのは普通のプールで、夏の間2カ月しか営業してなかったんです。それではあまりにもったいないと、設備を整え温水プールにし、1年中利用できるようにしました。お客さまがゆっくり過ごせるよう、サウナやジム、リラックススペースも造り、2年前には念願のスイミングスクールも始めることができました。

奥様のナツキさんと。ナツキさんは同じ敷地で日本人向けのバックパッカー宿を経営。宿泊客はマリオさんの温水プールを利用できるという特典が

■現在のお給料について教えてください。

収入は上々です。特にウチのようなサービス業は、以前に比べその付加価値がぐっと上がっています。ペルー経済が安定しているので、余暇を楽しむ人が増えているんです。もちろんそれに見合うだけのサービスを提供しないとダメですけどね。近所の人たちにもっと利用してもらえるよう、日々努力しています。

■今の仕事で気に入っているところ、満足を感じる瞬間は?

お客さんのお世話をすることが好きなんです。お客さんをもっとよく知り、理解していく。そういうことには夢中になれます。お客さんから学ぶことは多く、一方で日々我慢強くなっています。お客さんが幸せで、私達のサービスに対し満足してくれることに喜びを感じますね。

■逆に今の仕事で大変なこと、嫌な点は?

リマ新市街には設備の整った温水プールがいくつもありますが、SJL区ではまだまだ珍しく、温水プール自体を知らない人もたくさんいます。最近はお湯のシャワーが一般的になってきましたが、ここではまだまだ水シャワーの人も多いですからね。温かいお湯に入ること自体に抵抗がある人も少なくないんです。

また、ペルーの公立学校は水泳の授業がないところが多く、きちんとした泳ぎ方を知らない。だからみんな好き勝手なことを言うんです。「自分の子を優先しろ」とか「私は自分の好きなように泳ぎたい」とかもういろいろ。しまいには、なぜクレームを言ってるのか自分でも分からないくらい興奮しちゃう人も出てくる。そういうお客さんたちに一つずつルールを説明するのは、忍耐以外の何ものでもありません。妻曰く、当時は毎晩クレームの夢にうなされていたそうですよ。

でも、今では随分よくなりました。マナーを守るお客さんが多くなり、みんなが快適に過ごせるようになってきました。もちろん、これからも相当努力が必要ですけどね。