――富野由悠季監督の作品には、女性の描き方について強さを感じる部分があります。安彦先生が漫画をお描きになった時、あるいは本作の制作において、女性の描き方を意識する部分はあったのでしょうか。

確かに富野監督は、僕よりも女性にこだわりが強かったと思うけれど(笑)。女性男性に限らず人物を描く時に、「リアル」というのは誤解を招くので「ナチュラル」に、ということは意識しています。アニメだから漫画だから誇張やデフォルメで描ける特色はあるにしても、"自然に描く"ということが、とても大事なのではないかと思っています。

――今回の制作過程における主な作業は、第1話に続いて絵コンテと第一原画のチェックとお聞きしました。

そうですね、基本は同じです。メカシーンは必ずしもそう多くないし、第2話は特に人間の芝居がメインですから、先ほどもお話した「ナチュラル」に表現することに注力しました。普段そう機会はないけれど、目にしたアニメーションが必ずしも「ナチュラル」ではないように思えることがあったので。ちょっと表現が違うかもしれないなとか。具体的には言えないけれど、そういう部分の違和感が強い部分もあり、「普通にやろうよ」ということを随分スタッフにも伝えました。チェックの上でも「普通はこうでしょ?」と。

――漫画のコマを絵コンテとしての画角に落とすことや、動きのあるアニメを意識してカットを描く作業は、漫画と比較してどのような違いがあるのでしょう。

実はそこまで違わなかったりするんです。やはりどちらを描いている時もそれぞれの癖が抜けない。漫画を描いていてもアニメの癖が抜けなくて、繋がりが気になったりね。どちらかと言えば、アニメーターの気分が抜けていない部分が多いかもしれない(笑)。ただ、これは手前味噌なんだけれども、今回は漫画のコマを絵コンテへ素直に移植しました。それをもとに原画を起こしてもらったら、けっこう正解だったということもあったんです。だから、自分の漫画の画は動くんだなとも思いましたね。

――今こうして『ガンダム』という作品の新たな視点を描いていく中で、ふと昔の現場が思い起こされたり、シンクロする部分は?

昔のことはあまり思い出したくない……(笑)。制作現場は、今の方が格段にいいから……。どこをとってもいい(笑)。絶対量にしてもそうだし、あるいはアニメーターと制作の関係というか。今の現場は、ちょっとギスギスしたところがなさすぎるのかな、という気がするくらいですよ。例えば、昔の画作りのスタッフと制作の間柄というのは敵味方みたいだったから、ある種いがみ合いに近い状態だった。そういう時代を経ているから、当然今は相互理解が進んでいるけれど、もう少し波風が立ってもいいんじゃないかって僕は思ったりします。現場にあまり行ってない……ということもあるから、もしかすると現場はものすごい波風が立ってるのかもしれないけれど(笑)。

――今の現場、若いアニメーターやスタッフに感じることはどんなことでしょう。

今お話したことにも通じることがあって、少しだけ批判的に言わせていただくと、ちょっと伸びやかさにかけるかなという気はしますね。具体的に言えば、少し細かいことを気にしすぎるということ。やはり細かいチェックを日常的に受けているから――それは現場でも、見る人からでもそうだよね。今のアニメファンは、割と細かいところや隅々まで見ている。それを前提として作っているから、どうしても細かいことを気にしてしまう不幸な側面があるかもしれない。

――それは技術的なことでしょうか、それとも姿勢のような?

両方ですね。板野くんをよく例に出すんだけど、彼は非常にやんちゃな若手で、時々処置にこまるくらいだった(笑)。でも、その中から(板野サーカスなど)新しい表現や手法が編み出されている。こういう例に表れているとおり、多少やんちゃな若手がいないと表現が進化しないという気はします。"やんちゃさ"という表現もやや大雑把なきらいはあるけれど、そういう面が今のところはあまり見られないかなあ……。