西林克彦『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』(光文社/2005年9月/700円+税)

本を読む時、僕たちは「わかった」状態と「わからない」状態の2種類の状態しかないと考えがちだ。難しい本を読めば「わからない」し、逆に簡単な本を読めば「わかった」状態になる。読解力がある人は難しい本でも「わかった」状態になることが多く、逆に読解力がない人は簡単な本でも「わからない」場合がある。読解力をそのようにとらえると、文章を読んで「わからない」と思うことを減らしていけば、読解力は上がっていくということになりそうだ。

しかし、実際には文章に「わからない」と感じる部分がないにも関わらず、「深くは読めていない」という状態がありうる。今回紹介する『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』(西林克彦/光文社/2005年9月/700円+税)では、このような「文章の内容は理解しているように感じているが、実は深くは読めていない状態」を「わかったつもり」と名づけ、その問題について論じている。本書を読むと、普段から読書が好きで本を多く読んでいる人でも、実は「わかったつもり」の罠に嵌って深く読むことができていない可能性があることに気づく。文章を読むのが苦手で「自分は読解力がない」と感じている人はもちろんだが、「自分は読解力がある」と自信がある人もぜひ読んでみて欲しい一冊だ。

「わかったつもり」の悪質さ

「わかったつもり」は、ある意味では「わからない」よりも質が悪い。ある文章を読んで、「意味がわからない」と感じたのであれば対策の取り方は明確だ。意味がわからなかった言葉を辞書やネットで調べたり、その文章を読むために必須となる背景知識を別の本などで補完すれば「わからない」という状態は解消される。「わからない」という状態は自覚が可能なので、わかろうという努力さえすれば(読もうとしている文章そのものが破綻していない限りは)機械的に「わかる」状態まで達することができる。

一方で、「わかったつもり」という状態は簡単には自覚できないので厄介である。自分では「わかった」と思っているので、もうそれ以上の努力をしようという気持ちにはならない。「わかったつもり」は一種の安定状態なので、きっかけがないかぎりその状態は続いてしまう。たとえば他人から指摘されて「わかったと思っていたけど、実はよくわかっていなかった」とはじめて気がついたりする。そういう意味では、機械的に努力をしていけば脱することができる「わからない」状態よりもずっと質が悪い。いつも表面的でいい加減な読み方しかできないのは、「わからない」ことよりも「わかったつもり」であることのほうに原因がある。

本書では、この「わかったつもり」がどのようにして発生し、どうすればその状態を壊していけるのかについて様々な事例を挙げて説明されている。認知心理学の分野で行われた実験なども紹介し、僕たちが普段「どのようにして文章を読み、どのようなプロセスを経て内容を理解するのか」を解き明かす。そういう意味では、「よりよく読むためにはどうすればいいのか」といった実用面だけでなく、「人間はどのようにして誤読やいい加減な読み飛ばしをするのか」といったメカニズムも知ることができ、大いに好奇心を刺激される。

強力すぎる文脈の力

本書を読むと、いかに人間が「文脈」から影響を受け、文章を読む時に部分を読み飛ばしているかということに気づく。たとえば、ある文章を読んでいて「ああ、この文章は◯◯について書かれたものだな」と一度強力に思い込んでしまうと、細部の内容を勝手に推測し、時には捏造して自分が採用した文脈に沿うものに変えてしまう。詳しくはぜひ本文の例題を通じて実感していただきたいのだが、思った以上に僕たちは細部をいい加減に読んでいる。

読書術の本などを読んでいると、「ざっと読む」であるとか「読み飛ばして概要を掴む」といった方法が紹介されていることがあるが、本書を読むとこういった読書術と、細部まで丹念に読む行為との間には大きな乖離があることがわかる。もちろん、その読書の目的次第では「ざっと読む」ことが有効であることに異論はないが、すべての読書をそういった読み方に置き換えてよいかどうかは疑問が残る。また、時々「自分は読むのが速いほうだ」というタイプの人に出会うことがあるが、もしかしたらそれは人よりも強固に文脈を形成しで強引な読み飛ばしをしているだけなのかもしれず、もしそうだとすれば本書に目を通して読み方を見なおしてみてもいいかもしれない。

国語の試験問題に対する違和感

本書の最後では、センター試験の国語の問題を取り上げ、国語教育についての筆者の提言が行われているがこれも非常に面白い。学生時代、現代文の試験問題を解いていて問題文の選択肢の内容に納得がいかないという経験をしたことがある人も少なくないと思うが、この部分を読むとその違和感の理由がはっきりするかもしれない。

社会生活を営む以上、読解力は必要不可欠な能力だ。その読解力を伸ばすためにも、ぜひ本書で「わかったつもり」の存在に気づき、その排除方法を学んでみてほしい。


日野瑛太郎
ブロガー、ソフトウェアエンジニア。経営者と従業員の両方を経験したことで日本の労働の矛盾に気づき、「脱社畜ブログ」を開設。現在も日本人の働き方に関する意見を発信し続けている。著書に『脱社畜の働き方』(技術評論社)、『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』(東洋経済新報社)がある。