6月28日から7月8日まで、ドイツのボンで開催されている世界遺産委員会。日本から推薦していた『明治日本の産業革命遺産』は日韓問題で揺れに揺れたが無事登録された。国際問題にまで発展し、連日ニュースをにぎわせたため、審議の行方を固唾(かたず)をのんで見守っていた人も多かっただろう。

軍艦島はもともと小さな瀬だったのを6回も埋め立てて拡張した(撮影: 佐藤圭一)

しかし、肝心の遺産価値そのものにはあまりスポットライトがあたっていないように思われる。そこであらためて、世界遺産に詳しい世界遺産アカデミー/世界遺産検定事務局の研究員・本田陽子さんにうかがってみることにした。

明治の重工業にまつわる産業遺産ということは分かるのですが、もう少し詳しく遺産価値を教えてください。

幕末に何が起こったか、ということからひもとくと分かりやすいかもしれません。1840年に隣の清(中国)でアヘン戦争が起こりました。あの大国である清がヨーロッパの島国(英国)に負けた、というのは日本にとってものすごい衝撃だったのです。さらに、黒舟来航など国際的な脅威が高まる中で海防が大事だということになり、造船や大砲の製造に取り組み始めました。

「造船」は遺産名にも入っていますね。

そうなんです。最終的に正式な遺産名は『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』となりました。それまでは船といえば風力という不安定な要素に頼っていたのですが、蒸気を導入すれば自在に操作できるわけです。幕末に開港した長崎では、蒸気船を造るための造船所や故障した際に修理留守ためのドックなどが築かれました。それらは構成資産に含まれています。

佐賀市の三重津海軍所跡。長崎から西洋技術を持ち帰った佐賀藩士がドライドックを築いた。現在日本最古であり、地下遺構として残されている

ということは、遺産名にある「鉄」や「石炭」もつながってきますよね。

九州の石炭産業の発展に尽力した團琢磨(だんたくま)氏

その通り! 船の素材して鉄が必要だったわけです。また、外国船が日本に攻めてきた場合には攻撃しないといけませんから、大砲を各地に作る必要がありました。そこで、製鉄所や反射炉(鉄を溶かす溶解炉)が構成資産に含まれているのです。そして、それらを製造したり船を動かしたりするための動力が石炭だったということなんです。九州の各地の炭鉱跡も含まれています。

8県23資産にまたがる、というと全体像がつかみにくいのですが、こうして関連性が見えてくると割とすんなり理解できるのではないでしょうか。つまり、「鉄(素材産業)」「船(総合産業)」「石炭(エネルギー源)」が三位一体となって、明治期の日本は急速に発展したということを今回の遺産は示しているのです。

構成資産の中には旧グラバー住宅や松下村塾など、日本の近代化に大きく貢献した人物にゆかりのある建造物も含まれますね。

スコットランド出身の商人グラバーは、西洋の採炭技術を導入して日本最初の蒸気機関による竪坑を開発しました。旧グラバー住宅は日本に西洋技術を伝えた拠点だったと言えます。一方、海防の重要性を感じていた吉田松陰は、自力で産業近代化の実現を図ろうと松下村塾で説きました。ほかにも、福岡出身の実業家で三池炭鉱の採炭技術の近代化を進めた團琢磨(だんたくま)などの数々のすばらしい人材や、さらには数え切れないほどの多くの工員たちがこれらの産業遺産を支えてきたのです。

炭鉱と言えば軍艦島が有名ですよね。海中で石炭を掘っていたと聞きましたが。

九州の三池や筑豊では良質な石炭が採れるんですが、その石炭は海底にもつながっていました。地中や海中を数百m、場所によっては1,000m近く掘り進んで、しかも網の目のように路線が張り巡らされていたんですよ。アリの巣みたいですね。

軍艦島は今回の登録を受けて、観光クルーズが予約でいっぱいになっているようです。今夏に上映される『進撃の巨人』のロケ地にもなっていますし、23の構成資産の中でも最も注目度が高いのではないでしょうか。

ただ、「軍艦島」の通称の由来ともなっているマンション群の廃墟跡が生み出す景観というのは、実は世界遺産として評価されているポイントではないのです。海底奥深くから石炭を掘り出すために使われていた鉱業所の施設や坑道跡などが、最盛期の石炭産業の状況をよく示しているということが評価されました。そちらは危険なので見学できません。

もちろん、廃墟跡も石炭産業を支えた人々がどのような生活を送っていたか、ということを垣間見ることができる貴重な遺産だと思います。ただ、あまりに風化が進んでいるので、今後どのように維持していくかというのは大きな課題となっています。

それでは、本田さんが特にオススメする訪問先はどこでしょう?

ちょうど軍艦島の話が出たので石炭に関わる産業遺産で言いますと、熊本県荒尾市にある「万田坑」は施設全体がそっくりそのまま残っていて見学できますので、非常に見ごたえがありますよ。実は私は実家が熊本県でして、地元から世界遺産が誕生したのは非常にうれしく思っています。

万田坑の工作機械が置かれた職場の内部。「ご苦労さん」の看板が残っている

万田坑に残る竪坑内を昇降するケージ。1回で20人以上の炭鉱マンが昇り降りした

それから、石炭採掘の歴史をじっくりと知りたいのなら、隣の福岡県大牟田市にある石炭産業科学館がオススメです。ここには世界遺産となった宮原坑で戦中に働いた朝鮮人労働者の「壁書き」が展示されています。輝かしい歴史ばかりではなく、そうした点もしっかりと伝えているのが好感がもてました。

大牟田市の宮原坑とそこから直結して石炭を運んだ線路跡

大牟田市の石炭産業科学館。地味ながらも丁寧な展示

朝鮮人のお話が出たところで、どうしても避けて通れない話題かと思いますが、今回の日韓の動向についてはどのように感じましたか?

今回の一連の報道を見ると、「勝った」「負けた」「折れた」という言葉が非常に目に付きました。本来、世界遺産の制度は勝ち負けを争うゲームではもちろんありませんが、そこにばかり焦点があたってしまった異例なケースでした。そこの議論はかなり出尽くしている感もあるのでほかのメディアに譲りますが、他の委員国に対する印象は決していいものではありませんでした。

世界遺産委員会では多岐にわたる審議が行われるので、この問題にばかり時間をとられるわけにはいかないわけです。多くの委員国が日韓両国のロビー活動というかプレゼンテーションに巻き込まれる形になったので、「もっとほかにも大事な問題があるんだけど」というのが正直な気持ちだったのではないでしょうか。

審議も延期になり、どうなることかと思いました。

そうですね。今回は多くの自治体でパブリックビューイングを予定していたので、主催者や会場の市民のみなさんも「まだ決まらないの!? 」とヒヤヒヤしたと思います。審議については、日韓両国がうまくまとまるようにドイツのベーマー議長も直前までいろいろと調整してくれたようです。また、各省庁の関係者の方なども寝る間もないほど大変だったと思います。ともかくお疲れさまでした、とねぎらいたいですね。

筆者プロフィール: 本田 陽子(ほんだ ようこ)

「世界遺産検定」を主催する世界遺産アカデミーの研究員。大学卒業後、大手広告代理店、情報通信社の大連(中国)事務所等を経て現職。全国各地の大学や企業、生涯学習センターなどで世界遺産の講義を行っている。