『東京タラレバ娘(2)』(東村アキコ 著/講談社/税別429円)

漫画を評価する言葉といえば、「緻密な世界観」「圧倒的な描写力」「魅力的なキャラ造型」などが常套句だが、ネットで散見される『東京タラレバ娘』の感想はちょっと違う。

「破壊力がやばい!」「殺傷能力高すぎ!」「阿鼻叫喚!」など、ほとんど殺鼠剤かアサルトライフルのレビューにしか使われないようなボキャブラリーが並んでいるのだ(アサルトライフルのレビューなんて読んだことないけど)。

仮に、アラサー独身女性が密室で変死体となって見つかり、手に『東京タラレバ娘』が握られていたら、自殺でも他殺でもない「書殺」として、この本が凶器として押収されることだろう。

よくわからない喩えをしてしまったが、とにかくそれほどまでに今、読んだ女性を次々と「痛い!」「刺さる!」「死ぬ!」と半狂乱に陥れている漫画が本作なのだ。しかし、その「!」の部分に、どこか嬉々としたテンションの高さを感じるのは私だけだろうか。

アラサー女性の息の根を確実に止めるアサシン・東村アキコ

本作の主要登場人物は、フリーの脚本家の倫子、ネイルサロンを経営する香、居酒屋の一人娘として店を切り盛りする小雪の3人。ともに高校時代から親友同士の33歳で、しばらく彼氏がいないのも共通項だ。

注目すべきは、彼女たちがそれぞれ自立した職業に就き、そこそこ稼ぎもあって、それなりに成功や安定を収めていること。つまり、スペックだけ見たらじゅうぶん一人でも幸せに生きていける"はず"なのである。

しかし、彼女たちはまったく幸せと思えずにいる。その苦しみの原因は、"彼氏ほしい""結婚したい"というもはや内圧なのか外圧なのかわからないプレッシャーと、若い頃とは勝手が違う現状に追いつけず、理想の男性と理想の恋愛のハードルを上げ続けてしまった自意識との葛藤だ。

この、"自分がもう若くないことを受け入れられない"アラサー世代特有の痛い腹を執拗に探り当て、グリグリとえぐり続けるところが、この漫画の凶器として鋭利なゆえんだ。

倫子が10年前に"ダサいから"とフッた仕事仲間の男が、立派に成長&出世してはるか年下の女子と付き合い出したり。実力で評価されることが救いだった仕事すら、10歳年下の新人の枕営業によって横取りされたり。

若きイケメンモデルのKEYは、倫子たちの女子会を「行き遅れ女の井戸端会議」と切って捨て、「もう女の子じゃないんだよ? おたくら」と熾烈な暴言を吐く。さらには、倫子がお酒を飲み過ぎると現れるタラの白子とレバテキの幻覚までも、口を開けば「女は若さと美しさタラ」と手厳しい。

本作は一見、アラサー独身女性に対して脅しがキツすぎるように見える。彼女たちが割を食っているのは、若くてかわいい女性にばかりゲタを履かせる男たちも悪いし、"彼氏がいない""結婚していない"ことを必要以上にコンプレックスと思わせる社会にも原因があるだろう。

作者の東村アキコ氏も、1巻の巻末おまけマンガの中で、「別に私は『女は結婚しなきゃダメ』とか『女の幸せは男で決まる』とか『結婚できない女はかわいそう』なんて全く思ってません」ときっぱり明言している。にもかかわらず、なぜ作者は本作において女性を追い詰めることばかり言うのだろうか。本当はハートマン軍曹が描いてるのか。

「愛に甘い夢を見るのは20代で卒業せよ」という辛辣なメッセージ

1巻のラストで、倫子は一回りも年下のKEYから挑発的な誘い文句をかけられて一線を越えるという、いかにも少女漫画チックな展開を迎える。しかし、これって恋かしら……と心揺れる倫子に対して、タラとレバーは「酔って魔が差してセックスした」「それ以上でも以下でもないタラ」とアイスバケツチャレンジのような冷たい現実を浴びせかける。

倫子だけではない。2巻では香や小雪までもが、それぞれいわくつきの男性と夜をともにし、幸せになれる見込みのない色恋にハマっていくのだ。

彼女たちは、それがたとえ男の遊びや気の迷い、大人のグレーな関係であっても、体を重ねると気持ちまで許してしまい、そこになんらかの「愛」があるのではという甘い夢を見てしまう。

愛は男から与えられるものであり、セックスとはその愛を受け入れる行為であって、それはロマン輝くエステールのように尊いものだと、子供の頃から植え付けられてきたからだ。

しかし、タラとレバーはこう言う。

「あれは愛の行為なんかじゃない」

「愛という言葉に踊らされて」「おまえらはいつも」「リングの上でサンドバッグになって」「ボコボコに殴られてるんタラ」

「33歳にもなってどうしてそれに気付かないんタラ?」

昨今、日本の男性はAVのせいで"セックス=支配的・暴力的なもの"と思い込まされているのではないかと、しばしば指摘されるようになった。一方で、女性もまた、少女漫画というまほろばの湯に肩までどっぷり浸かった結果、"恋愛=受動的・依存的なもの"という幻想を刷り込まれて手放せなくなっている人は多い。

倫子の書いたネットドラマを、KEYが「夢見るおばさんに少女漫画みたいなドラマを提供するのがアンタの仕事」「少女漫画脳の乙女チックババアの書いた脚本」とこき下ろしているのは象徴的だ。

さらに東村アキコ氏は、「このマンガがすごい! WEB」のインタビューの中で、本作についてこう語っている。

「『これを読んだおかげで現実が見えて、そこそこのとこで妥協して高校の同級生と結婚しました』って報告してもらえたらうれしいですよね」

つまり『東京タラレバ娘』は、決してアラサー独身女性に非があると責め立てるための漫画ではない。ただ、彼女たちを毒する「少女漫画脳」というロマンティック・ラブ至上主義の洗脳を、いささかスパルタなショック療法によって解こうとしているのではないだろうか。

男に甘い夢を見てしまう「愛」の幻想からアラサー女性を解放し、自立させるため、作者はあえて鬼になっているのだ。

そのやり口の是非はともかく、それが多くの女性読者に"響いてしまった"のは事実だ。彼女たちの「痛い!」「刺さる!」「死ぬ!」に込められた「!」のテンションは、依存症患者が禁断症状にもだえる叫びにも、あるいはカルト信者が洗脳を解かれて目覚めた歓喜のカタルシスのようにも、私には聞こえるのである。

<著者プロフィール>
福田フクスケ
編集者・フリーライター。『GetNavi』(学研)でテレビ評論の連載を持つかたわら、『週刊SPA!』(扶桑社)の記事ライター、松尾スズキ著『現代、野蛮人入門』(角川SSC新書)の編集など、地に足の着かない活動をあたふたと展開。福田フクスケのnoteにて、ドラマレビューや、恋愛・ジェンダーについてのコラムを更新中です。