遊女にとっても27歳は人生の大きな分岐点だった

女性にとっての「27歳」は悩ましい時かもしれません。仕事でキャリアを積んでいきたいけれど、親からは結婚のプレッシャー……。なにかと不安になってくる頃ですよね。そんな女性としての分岐点である27歳は、江戸時代の遊女たちにとっても大きな選択を迫られる年齢でした。仕事をとるかはたまた結婚をとるか。運命の分かれ道に立たされた遊女の決断とその未来とはどんなものだったのでしょうか。

「苦行十年」と呼ばれた遊郭の真実

遊女になるためには、まず遊女見習いとして、姉貴分の遊女に付いて遊女のイロハを学びます。そして、17歳になると華々しくデビューし、一人前の遊女として独り立ち。その後は引退するまでずっと遊女として務めます。

遊女の引退の時期はだいたいデビューから10年と決まっており、これを「年季明(ねんきあ)け」と呼びます。しかし、無事に年季明けできる遊女もいれば、借金が残っているために働き続けなくてはいけない遊女もいました。

遊女に借金? 遊女ってもうかるんじゃないの?? そんな疑問が浮かびますが、実は遊女は借金だらけ。どういうことかというと、そもそも遊女は貧乏な家族を助けるために売られたり、自分から名乗り出たりして、買われた少女がほとんどでした。なので、遊郭に買ってもらった額を、10年間かけて身体で返すというのが名目だったのす。

そして、遊女としてデビューしてからも出費がかさみます。彼女たちは生活費から商売道具である着物やかんざし代まで、全て自分で買わなければいけませんでした。さらには、妹分の遊女の面倒からデビュー費用までもが全て遊女持ち。これでは借金はふくらむ一方。彼女たちの働いたお金はほぼ借金の返済にあてられ、手元に残るお金は雀の涙ほどだったのです。

「身請け」は遊女にとって玉の輿だった

では、遊女には年季明け以外に遊女を辞める方法はなかったのでしょうか? いえいえ、そんなことはありません。たったひとつですが、「身請け」という方法がありました。遊女の借金を肩代わりし、さらに年季明けまでにその遊女が稼ぐはずの額を払ってなじみの客が身柄をもらい受けてくれるのです。そのため遊女を身請けしたのは、身分の高い大名や豪商といったような今でいう大企業の社長が多かったのですが、中には著名な文化人もいました。

例えば、当時大人気の売れっ子作家で、遊郭を題材にした本をたくさん執筆した山東京伝(さんとうきょうでん)。京伝は菊園という遊女を身請けして妻にしました。さらに、菊園が結婚3年目で病死してしまった後にも、玉の井という遊女を妻に迎えいれています。また、京伝と親交のあった作家で、名だたる狂歌を生みだし、日本で初めてコーヒーを飲んだとされる大田南畝(おおたなんぽ)も、三保崎という遊女を愛人にしていました。

遊女は文化人にとても人気だったようで、京伝は「妻にするには遊女に限る」という言葉を残しています。遊女は容姿端麗なだけでなく、そこらの文化人にも劣らない教養を持ち合わせていたので、「ぜひ嫁に! 」と考えた文化人がいても不思議ではありません。

身請けされた遊女は借金苦から逃れられる上に、一気にお金持ちになれたのです。まさに玉の輿に乗るというわけですね。うらやましい限りです。

結婚? 仕事? 遊女の幸せとは

遊女の幸せは結婚? それとも仕事?

しかし、身請けは「遊郭一番のもうけ話」と言われたほどに莫大(ばくだい)な額で取引されるため、ままあることではなく、遊郭No.1の遊女ですら夢のまた夢でした。そんなわけですから、一介の遊女に持ち上がる身請け話なんてほぼなく、たいていが年季明けを迎えて遊女を引退していました。

遊女の引退後の未来はさまざま。ひとつは夫婦となる相手を見つけて結婚すること。いつの時代も結婚は女性の憧れ。キャリアウーマンだった彼女たちの幸せも、やはり結婚だったということでしょうか。しかし、遊女は家事が全くできず、さらに仕事柄子供も産みにくくなっていたため、庶民の妻には向かなかったと言います。華があってうらやましがられた反面、疎まれもしたようです。

遊郭に残る道は2つ

もうひとつは、「遣手」という遊女の教育係になる道です。遊郭のことは何でも知っている「海千山千の女」というわけですね。遊女に客のあしらい方を教えたり、働きの良くない遊女を叱ったりと、さまざまな仕事をこなしたようです。

今でいうお局様のような存在だったようで、その分小言も多く、遊女たちからは嫌われたとか。しかし、お局様がいないと仕事が回らないのも事実。遣手がいないと遊女はだらけて仕事をしなかったので、遊郭において重要な役割を担っていたのです。

また、まだまだ現役で遊女を続けるものもいたようです。というのも、これまでの借金が払いきれず、家を出てしまった手前、親を頼ることもできなかったので、遊女を続けるしかなかったからだとか。

さらに、遊郭という特別な世界で10年間も暮らしてしまうと、普通の暮らしに戻ることはなかなか厳しかったのです。家事も自分の身の回りの世話ですらできないまま世間に放り出されるのですから当然ですね。考えただけでもゾッとします。

現在でも、女性の幸せは結婚か仕事かとよく問われますが、遊女はどちらにも幸せを見いだせなかったのではないでしょうか。そんな境遇でも現状をよくするために必死で生きた遊女の姿はたくましく、尊敬の念を抱きます。よく分からない未来のことで悩むより、彼女たちのように今をどう生きるかを大切にすることも、大事な気がしてきませんか?

※写真はイメージで本文とは関係ありません(c)Flickr/Keisuke Makino

筆者プロフィール: かみゆ歴史編集部

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史全般、世界史、美術・アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『一度は行きたい日本の美城』(学研パブリッシング)、『日本史1000城』(世界文化社)、『廃城をゆく』シリーズ、『国分寺を歩く』(ともにイカロス出版)、『日本の神社完全名鑑』(廣済堂出版)、『新版 大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)など多数。また、トークショーや城ツアーを行うお城プロジェクト「城フェス」を共催。
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