フィギュアスケートの世界国別対抗戦でショートプログラムとフリーで1位となった羽生結弦選手

フィギュアスケートの世界国別対抗戦の男子フリーが4月17日、国立代々木競技場第一体育館で行われた。日本の羽生結弦選手は192.31をマークし、ショートプログラム(SP)とフリーで共に1位となり、日本の2大会連続の3位に貢献した。

圧巻の「羽生劇場」で日本の3位に貢献

シーズン最後の大舞台となるフリー。「オペラ座の怪人」の調べに乗せて、苦難続きだった2014-2015シーズンのうっぷんを晴らすかのように、20歳のファントムが華麗に舞った。

冒頭の4回転サルコウは鮮やかに着氷。続く4回転トゥーループは3回転となってしまったが、ミスらしいミスはこれだけ。ここから「羽生劇場」が幕を開けた。

3回転フリップ、3回転ルッツ-2回転トゥーループ、トリプルアクセル-1回転ループ-3回転サルコウ…。会場まで駆け付けてくれたファンに感謝の気持ちを伝えるかのように、一つひとつのジャンプを丁寧に決めてみせた。コンビネーションスピンやステップシークエンスもしなやかに舞い、最後は恍惚(こうこつ)の表情でフィニッシュ。会場からは割れんばかりの拍手がわき起こった。

「完璧な演技とは言えなかった」というものの、2位以下を15点以上も突き放す圧巻の192.31をマーク。フリーとSPで共に1位となり、一人で合計24ポイントを獲得。男女シングルとペア、アイスダンスのそれぞれで順位に応じたポイントが加算され、その総合ポイントで最終順位を決める対抗戦において、日本の3位(103ポイント)に大いに貢献した。

苦難続きのシーズンラスト、自身の責任を果たす

ソチ五輪で金メダルを獲得した次のシーズンとなる今季は、羽生選手の競技人生にとって、忘れがたい1年となっただろう。

昨年11月のグランプリ(GP)シリーズ中国杯では、フリー直前の公式練習で中国のエン・カン選手と激突し、氷上に激しく体を打ちつけて頭部から流血を伴うケガを負った。

体調が万全ではない中、GPファイナルと全日本選手権で優勝を飾るも、全日本選手権後に「尿膜管遺残症」と診断された。手術をして練習を再開すると、今度は右足首をねんざするというアクシデントに見舞われた。

思い通りに練習できないまま臨んだ世界選手権は、親友でもありライバルでもあるハビエル・フェルナンデス選手(スペイン)に僅差(きんさ)で敗れ、銀メダルに終わった。それでも、敗戦から約3週間後の今大会で、日本のエースとしての責任を全(まっと)うした。

感じられた「フォア・ザ・チーム」

四大陸選手権4位などの成績を収め、現在はコーチとして活動する元フィギュアスケート選手の澤田亜紀さんは、今大会の羽生選手の演技をどう見たか。

「SPでは、ジャンプコンビネーションで転倒してしまうミスはありましたが、それ以外の要素は、それぞれ加点がもらえるようなジャンプ・スピンで、転倒してしまった分をしっかりカバーできたという印象です。演技後はすごく悔しそうな表情をしており、キス&クライに戻るときにも、ルッツの軌道の確認をしながら帰っていたので、なぜ跳べなかったのかを自分なりに確認していたのではないかと思いました」。

その確認作業は結果的に翌日のフリーで生きた。2回のルッツをしっかりと跳びきり、"修正能力"の高さを見せた。

「フリーでは、冒頭の4回転サルコウ後に演技構成を予定より変更していましたが、目立ったミスなどはなく、今シーズンを締めくくる良い演技だったのではないかと思います」と話す澤田さんは、この演技変更に羽生選手の「フォア・ザ・チーム」の精神を感じたという。

「過去の世界国別対抗戦では、高橋大輔さんが『個人だったらこのジャンプを行っていたが、団体戦ということだったので、このジャンプに変更した』と、チームのためにあえて無理に挑戦をせず、ミスをしない演技を選んだことがありました。羽生選手が演技構成を変えた真意は分かりません。ただ少なからず、頭の中に『チームのために…』という想いがあったのかもしれません」。

例えば、後半のトリプルアクセル-2回転トゥーループのコンビネーション。本来ならばトリプルアクセル-3回転トゥーループを予定していたが、序盤の4回転トゥーループが3回転となり、ジャンプルールによる得点減を避けるため変更を余儀なくされた。

羽生選手ならば、もっと高得点を狙えるプログラムに競技中に変更できる可能性もあったが、「チームジャパン」のために確実に得点を狙いにいったのではないか――。澤田さんはそう感じられたという。

来季こそ300点超えなるか

19日のエキシビションでは試合で成功例がない4回転ループに成功し、来季はフリーで4回転を今季より1回多い3回跳ぶ意向を示すなど、飽くなき探究心を持つ羽生選手。自己ベスト293.25の天才が充実したオフシーズンを過ごし、万全の体調で来季を迎えることができたならば、前人未到の300点台も夢ではない――。そう思わせてくれた大会だった。

取材協力: 澤田亜紀(さわだ あき)

1988年10月7日、大阪府大阪市生まれ。関西大学文学部卒業。5歳でスケートを始め、ジュニアGP大会では、優勝1回を含め、6度表彰台に立った。また2004年の全日本選手権4位、2007年の四大陸選手権4位という成績を残している。2011年に現役を引退し、現在は母校・関西大学を拠点に、コーチとして活動している。