2001年から2005年までローティーン向けのファッション誌『ニコラ』の専属モデルとして活躍した後、女優業をスタートさせた新垣結衣。当時、沖縄県在住だったことから、週末になると東京を行き来する中学校生活を送っていたという。普通の学生と比べると両立が大変なのは当たり前なのだが、本人にとっては「人並みに悩んだり、楽しんだり」と大した問題ではないようで、「一生懸命生きていましたよ(笑)」と照れ笑いを浮かべる。

映画『くちびるに歌を』で臨時教員・柏木ユリを演じた新垣結衣
撮影:大塚素久(SYASYA)
ヘアメイク:野中真紀子(eclat)
スタイリスト:道券芳恵

そんな新垣にとって今年1本目の主演映画となるのが、2月28日から公開される『くちびるに歌を』。全国学校音楽コンクールの課題曲「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」の作者であるアンジェラ・アキのテレビドキュメンタリーが同名小説となり、映画では長崎・五島列島の中学校を舞台に、天才ピアニストだったとうわさされる臨時教員・柏木先生(新垣)と合唱部の生徒たちとの人間ドラマが描かれる。

同曲は、15歳の自分と今の自分が「手紙」を通して思いを交錯させていく歌。今では多くの人に知られる存在となった新垣は、どのような青春時代を過ごしながら芸能界の荒波へと挑んでいったのか。そして、それを支えた恩師とは? 楽曲の世界観に合わせて、「15歳の新垣結衣」を探った。

――幅広い世代に響く作品だと感じました。

台本読んだ時は「王道の青春映画なのかな」と思っていたのですが、撮影している最中とか完成した作品を観た時に「ただの青春映画ではない」と考えが変わりました。意外と大人の方にも響くポイントがあったり。私は主役として出させていただいていますけど、「観て下さる方の代表」という意識になったり。年齢を問わず、いろいろなことを思い出させてくれる映画だと思いました。

合唱部を演じた生徒たちが本当に伸び伸びとしていて真っ直ぐで。私は15歳の時にそこまで真っ直ぐじゃなかったかもしれないですけど(笑)、でも今よりはやっぱりがむしゃらだったなとか。そういうのを思い出しましたし、うらやましいなと思いながら見ていました。

――クランクアップの時に、生徒たちに手紙を渡したそうですね。

柏木は15歳だった自分と生徒たちを重ねていると思うんです。そして、新垣結衣自身も。15歳は私の人生の中で、本当にこれから大きな荒波に飲まれる直前という感じでした。

これからその道を歩むであろうみんなに、たぶん当時の私よりはみんな強いと思いますが、15歳の時の気持ちで伝えたくなってしまって。今はピンとこなくても、時間が経った時にちょっとでも支えになればと。おこがましいですけどね(笑)。

みんなは撮影現場で何かあるごとに歌でプレゼントしてくれました。私は"ピアノでサプライズ"のようなプレゼントをすることができなかったので、何かできることないかな、何かお返ししたいなと思って、手紙を書きました。きっと、喜んでくれたと思います。

――オファーを受けた時の心境は?

ピアノどうしようかなぁ…とは思いました(笑)。教師役ということに関しては、本職が教師ではない臨時教師なので、柏木の同級生で音楽教師の松山ハルコ(木村文乃)のようにみんなを引っ張っていかなきゃと意識することもありませんでした。全員の前で何かを教えることは緊張するんですけど、そういうシーンも少なくて。柏木と生徒たちの距離が最初はあったので、自然な流れに任せようと。教師役にはプレッシャーはなかったんですけど、本当にピアノですよね(笑)。

――相当練習したそうですね。

3カ月みっちりできるわけではないので、時間を見つけて自主練をしたり。やっぱり、やるからには「新垣結衣、ここ弾いてない」みたいに気を取られて観て欲しくないですし、できる限りのことはしたんですけど、本番になると指が動かなくなるんです。

でも、柏木も手が震えちゃったりするから、こういう感じなのかなって(笑)。それから、指導してくださった方はピアノだけじゃなくて、柏木の気持ちを考えた上で弾き方を教えてくださいました。すごくいい方に出会えたなと思いました。

ピアノへの憧れはずっとあったので、映像の中で私がバーンと弾いているのはうれしい(笑)。今回は基礎をやったわけではないですし、1曲の中でも撮影に使う部分を絞ってやっていたので、いつか一曲丸々を弾けるようにはなりたいと思っています。

――合唱コンクールの思い出は?

そんな大きなコンクールには参加してないですけど、校内の合唱コンクールは歌いましたよ。「カノン」をモチーフにした「遠い日の歌」という合唱曲を歌いました。結構難しいんですよ。「ランラララン」が続いたりとか。ほかのクラスはもうちょっと楽しい曲で、最後に振りをつけたりして楽しそうだったんですけど、友だちと「私たちの曲、難しいね」みたいに言っていた記憶があります。