現代において、「個性」は重要なキーワードだ。ビジネスの世界では、企業の個性である「らしさ」が競争力の高い企業を作るための要素として注目されつつあり、個性を重視する傾向が強くなってきている。一方で、教育の世界では、個性重視を謳った「ゆとり教育」が学力低下を招いたという反省から、個性よりも学力を重視する「脱ゆとり」に方針転換がなされて久しい。個人レベルで言えば、やはり「個性が大切だ」という意見をよく耳にする。個性に対する考え方は、それが語られる文脈や分野によって様々だ。

個性とはいったい何なのか?

博報堂ブランドデザイン・東京大学教養学部『「個性」はこの世界に本当に必要なものなのか』(株式会社KADOKAWA アスキー・メディアワークス/2014年12月/750円+税)

そもそも、個性とはいったいなんなのだろうか。なんとなく個性が重要だと思っている人は多いにもかかわらず、個性とは何かを説明できる人は実はそんなに多くない。個性が本当に現代社会で必要なものなのか考えるためには、まずは個性の意味を明らかにする必要がある。

今回紹介する『「個性」はこの世界に本当に必要なものなのか』(博報堂ブランドデザイン・東京大学教養学部/株式会社KADOKAWA アスキー・メディアワークス/2014年12月/750円+税)は、個性の意味を問いなおすためのよいきっかけを与えてくれる。もっとも、本書には「個性とは◯◯のことである」といった明確な定義や答えそのものが書かれているわけではない。本書は、東京大学教養学部の研究者10人による個性についての談話から構成されており、そこで出される個性についての見解はあくまで話者それぞれのもので、明確な1つの「正解」があるわけではない。「とりあえず答えを知りたい」という人には向かないが、「いろんな意見に触れて自分なりの考えを深めたい」と思っている人には最適な本になりうるだろう。

9つの学問分野から見た「個性」

本書で「個性」について意見を述べている研究者の専門領域は非常に多岐に亘っている。具体的には、認知神経科学、文献学、生態学、哲学、物理学、統計学、政治学、天文学、言語学の9つの学問分野が対象になっており、当然ながら各研究領域によって視点に大きな違いがある。

たとえば、認知神経科学の研究者は個性を「脳の使われ方の違い」として上で、遺伝や環境因子がどれだけ個性の形成に影響しているかという視点で個性について語っている。統計学の研究者は「統計学は個性を切り捨てる学問ではない」と前置きをした上で、個性を測定するためのコストが高いことについて説明している。天文学の研究者は、天体の個性は基本的に初期条件によって決定されることを説明し、個性を理解するためには似ているものとの比較の視点が不可欠であると主張する。「個性」と一言で言っても、研究者の専門領域次第で、注目するポイントが多様なのは面白い。

個性は「固有性」と「共通性」の関係の中で理解される

このように学問分野によってそれぞれ視点には違いがあるものの、一方ですべての学問に通底するものも見出だせる。それは、個性が「固有性」と「共通性」との関係の中で理解されるということだ。

これは言語学を例にとってみるとわかりやすいかもしれない。言語は、基本的に他人とコミュニケーションをするために使われる記号の体系であるから、おのずから「共通性」が求められる。言語における個性は、この共通性を完全に欠く形では存在しえない。方言や若者言葉など個性を有した言語はたしかに存在するが、あくまでそれは共通性との関係の中で理解される。

この話は他の学問分野や、あるいは現実社会で個性について考える際にもあてはまる。単に「個性的になろう」とだけ思っても、同時に「個性的でない、共通するもの」についても理解していないとそもそもどう個性的なのかわかりようがない。ただお題目のように「個性重視」とか「個性を伸ばす」といった言葉を並べても、結局は何を目指せばよいのかわからず迷走してしまう。

各学問分野へ入門する前準備として読む

以上のように、本書のテーマは基本的には「個性」なのだが、必ずしもこのテーマだけにこだわって読む必要はないと思う。本書に登場する研究者はいずれも各学問の最先端研究者であるから、各章の談話は純粋に知的興味を刺激する。しかも、語り口は非常に平易でわかりやすい。各学問への入門書と言うにはさすがに情報量が足りない気がするが、各学問へ入門する前準備として読むのはありだろう。そういう意味では、進路選択に迷っている中学生・高校生あたりが読んでもいいかもしれない。

もちろん本書のテーマに沿って個性の意味を自分なりに考えるために読んでもいいし、9つの学問分野の「思考方法の違い」を知るために読むというのもいい。本書の読み方はひとつではない。各人の個性にあった読み方を試してみていただければ幸いである。


日野瑛太郎
ブロガー、ソフトウェアエンジニア。経営者と従業員の両方を経験したことで日本の労働の矛盾に気づき、「脱社畜ブログ」を開設。現在も日本人の働き方に関する意見を発信し続けている。著書に『脱社畜の働き方』(技術評論社)、『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』(東洋経済新報社)がある。