カンフーと言えば、ブルース・リー(李小龍)を連想する人も多いだろう。香港では今、リーの全てを物語る特別展が開催されている。あの黄色いスーツはもちろん、子役時代や詩人としてのリーなど、カンフースターとして知られてきた彼の、人間としての魅力に迫る貴重な展示となっているのだ。

香港文化博物館の前には、今回のために特別に制作された高さ3.5mのブルース・リーの彫像が!

世界中から集められた5年間だけの特別展

この特別展「武・藝・人生 ─ 李小龍」は、「香港文化博物館」で開催されている。リー没後40周年、そして彼の代表作「燃えよドラゴン」の公開40周年にあたる2013年から、2018年7月20日までの5年間限定で実施となる。米国のブルース・リー・ファンデーションの協力により、世界各国から600点以上ものブルースリーに関する品物や文書を収集し公開している。世界中の関係各所に連絡を取り、2年以上かけて準備してきた香港文化博物館挙げての大作だ。

脚技やヌンチャクさばきを再現した3Dアニメーションや、香港の著名監督が手掛けたドキュメンタリー「李小龍風采一生」(75分)などの映像作品も上映している

詩人・哲学者・ダンス好き? 意外な素顔に迫る

展示は幼少期の写真や、夫であり父として家族の一員であったリーの人間的な側面を感じられるコーナーから始まる。リーは1940年にアメリカのサンフランシスコで生まれたが、直後に香港に渡航。当時の出国証明書のレプリカでは生後3カ月の愛らしい姿を見ることができる。

カンフースターになる前のリーというとイケメンで踊り好き、特にチャチャチャが得意だったそう。得意だったダンスを披露した映画の映像もここで楽しめる。映像の隣には、相手が上手に踊れるようステップの詳細を丁寧な文字で書き込んだ手帳も展示されている。

そのほか、よく書いていたという詩や小学校時代の優秀とはいえない成績表などもある。カンフースターの姿からはあまり想像できない、繊細で気配り上手で周囲から愛された人間として、今まで知られていなかったリーの魅力が紹介されているのだ。

1941年、香港渡航時の証明書のレプリカ。出生名が「李鎮藩」だったというのもほぼ初出 Courtesy of the National Archives at San Francisco, US

幼少期のリー Courtesy of the Bruce Lee Foundation

香港映画「The Orphan」(1960年)のダンスシーン Collection of Hong Kong Film Archive

ダンスのステップを書き込んだノート Collection of the Bruce Lee Foundation

リー一家(1970年代) Courtesy of the Bruce Lee Foundation

1960年代のリー作の詩「Walking Along Lake Wash」Collection of the Bruce Lee Foundation

カンフー・マスターの軌跡

生まれた翌年に香港に戻って幼少期を過ごしたリーは、1953年13歳の時に拳法・詠春拳(えいしゅんけん)を習いはじめ、武術に出合った。1959年には勉学のために再びアメリカに戻り、大学在学中の1962年にはシアトルで自身のカンフーの学校を開いている。その後、伝統武術からさらに実践的なものを追究し、武術と哲学を提唱する截拳道(ジークンドー)を創始したのだ。

カンフー・マスターのコーナーでは、武術について集めた多くの資料や、道具を通してどれだけ考え実践してきたかが分かる展示がされている。もともと詩や哲学を好み、読書好きだったと言われるリーが、こと細かく武術に対する信念や方法、型などを書き込んだ数々の直筆メモは必見だ。

1960年代のリー Courtesy of the Bruce Lee Foundation

実際に使っていたヌンチャク(1960年代) Collection of Mr Kenneth Y. Hao of Hillsborough, California, US

トレーニングに使っていたファイティング・バッグ(1960年代) Collection of the Bruce Lee Foundation

あのスーツや映画の裏話も! 俳優としてのリー

リーの父は広東オペラの歌手で、実はリーは幼少時代、香港で子役俳優としてデビューしている。その後、1967年にアメリカで出演した「グリーン・ホーネット」で人気が出たものの、その後は鳴かず飛ばず。1969年に「来年、アメリカで一番有名なアジアの俳優になり、そして1,000万ドルの収入をもらう」と宣言。実際、1971年に「ドラゴン危機一発」が大ヒットしたのだ。これからという1973年7月20日、32歳の若さで逝去。日本では没年の12月に、あの代表作「燃えよドラゴン」が公開された。

俳優コーナーでは、1970年代に香港に再び戻り制作された人気作品の貴重な衣装や小道具が展示されている。「燃えよドラゴン」では主演に加え武術監督も担当し、彼が描いた30枚もの絵コンテから、彼の変わらぬ武術へのこだわりを垣間見ることができる。

リーの死後、5年経ってから公開された映画「死亡遊戯」(1978年) Collection of the Hong Kong Film Archive

「死亡遊戯」で着用したあの黄色のトラックスーツ、プライベート用の眼鏡なども展示されている Collection of Hong Kong Film Archive

武術監督を務めた「燃えよドラゴン」で、リーが描いた格闘シーンの絵コンテ(1972~1973年) Collection of Mr Kenneth Y. Hao of Hillsborough, California, US

また、九龍城近くにあった家を再現し、2,500点以上もの所蔵物から300点をピックアップして展示しているコレクターズ・コーナーもある。武術や芸術に関するものから、歴史、地理、文学、バレエに至るまで、さまざまなジャンルの書物が展示されている。漢字は不得意だったリーだが、外国人にカンフーを教えることを反対していた中国人の武術協会の年配の方に宛てた直筆の漢字の手紙などもあり、何事にも熱心だったことが分かるコレクションとなっている。

所蔵本のそこかしこに、詳細に記したメモやデッサンが Collection of Kenneth Y. Hao of Hillsborough, California

※記事中の情報は2014年10月取材時のもの