2014年11月1日、中華人民共和国・内モンゴル自治区の草原地帯に、中国の月探査機「嫦娥五号試験機」の帰還カプセルが着陸した。地球と月の往復航行を経て、探査機が地球への帰還に成功したのは実に約40年ぶりのことだ。そしてこの成功によって、中国の月探査計画「嫦娥」は、新たな段階に向けて大きく前進することとなった。

中国の月探査計画「嫦娥」

中国が進める月探査計画は「嫦娥計画」と呼ばれている。「嫦娥」という名前は、中国に伝わる『嫦娥奔月』という月にまつわる神話、またそのヒロインの名前が由来となっている。中国における『嫦娥奔月』は、ちょうど日本にとっての『竹取物語』という存在と等しく、また『嫦娥奔月』は『竹取物語』の由来といわれていることからも、このふたつの物語はよく似てもいる。例えばかぐや姫と嫦娥は、両者とも月からやってきて、地上で自分勝手に振る舞った挙句に月へ帰っていく。「不老不死の薬」が重要なアイテムとして出てくる点も同じであり、また彼女が月へ帰った日を祝うというところから、日本では十五夜、中国でも中秋節と呼ばれる伝統が残っている点も共通している。

嫦娥計画は大きく第1期の「月軌道の周回」、第2期の「月面への着陸」、そして第3期の「月からの砂や土の回収」の3段階に分かれており、段階を踏んで、徐々に難易度の高い目標に挑戦していくという計画が組まれている。第1期は2009年の「嫦娥一号」と2010年の「嫦娥二号」の成功によって完了し、第2期も2013年に「嫦娥三号」が成功し、現在も着陸機と探査車の両方が活動中だ。また嫦娥三号の同型機の「嫦娥四号」も計画されており、数年以内に打ち上げられるといわれている。

そして第3期として、現在2017年の打ち上げを目指し、「嫦娥五号」の開発が進められている。嫦娥五号は月へ打ち上げられた後、月面に着陸してサンプルを採取する。そして月から離陸して母船とドッキングし、最後は地球へ帰還するという、とても複雑なミッションとなる。

嫦娥五号の想像図。4つのモジュールから構成される複雑な構造をしている (C)中国国家航天局

しかし中国は、月への探査機の打ち上げや、月への着陸、また軌道上での無人機同士のドッキングなどはすでに実績があるが、月からの帰還、特に第2宇宙速度(秒速約11.2km)に匹敵するほどの大きなスピードで、地球の大気圏に再突入したことはなかった。

そこで中国は、月からの帰還する技術を実証するための試験機を打ち上げることにした。それが今回打ち上げられた「嫦娥五号試験機」だ。

約40年ぶりの地球と月の往復航行

今回打ち上げられた試験機は、公式には「中国探月工程三期再入返回飛行試験機」という非常に長い名前で呼ばれており、また愛称のようなものはない。以下、本稿では「嫦娥五号試験機」、もしくは単に「試験機」と呼称することとする。

機体は帰還カプセルと、スラスターや太陽電池パドル、通信機器などを搭載するサービス・モジュールの2つから構成されている。サービス・モジュールは、公開されている映像から「嫦娥一号」、「嫦娥二号」と同じ、通信衛星「東方紅三号」用の衛星バスが使われていることが分かっている。

カプセルは中国の有人宇宙船「神舟」の帰還モジュールを小さくしたような形をしている。これはすでに実績のある設計を使うことで開発のリスクを抑えた結果ともいえるだろうし、将来的に神舟宇宙船を使った有人月飛行を行う際の予行も兼ねているともいえよう。なお、神舟の参考とされたロシアのソユーズ宇宙船も、もともとは月への飛行を念頭に置いて造られており、神舟も月への飛行が可能な能力を持っていると考えられている。

嫦娥五号試験機の帰還カプセル。有人宇宙船「神舟」の帰還モジュールを小さくしたような形をしている (C)中国航天科技集団公司

嫦娥五号試験機の想像図 (C)中国政府

また、いくつかの報道によれば、嫦娥五号飛行試験機には細菌などの生物が搭載されていたとのことだ。ヴァン・アレン帯の外の高い放射線環境下で、生物がどのような影響を受けるかを実験する狙いがあったとみられる。

打ち上げに使われたロケットは長征三号丙改二型と呼ばれる機体で、今回が初飛行であった。また今回のミッション専用と思われるが、データ中継衛星「天鏈一号」を介し、ロケットからのデータをリアルタイムで地上に送ることができる装置が搭載されていた。天鏈一号は2008年から構築が始まったシステムで、通信を中継することにより、中国国内の地上局や海上の追跡船から見えない範囲に探査機や有人宇宙船がいても、途切れることなく運用ができるようにしたものだ。現在3機の衛星が軌道上に配備されている。

試験機を載せたロケットは、中国標準時2014年10月24日2時00分(日本時間2014年10月24日3時00分)、四川省にある西昌衛星発射センターから離昇した。打ち上げ後、試験機は月の軌道とほぼ同じ高度にまで上がる大きな楕円軌道に投入され、軌道補正を行いつつ、一路月へ向けて航行を始めた。

嫦娥五号試験機を搭載した長征三号丙改二号ロケットの打ち上げ (C)国家国防科技工業局

このとき試験機が投入されたのは「自由帰還軌道」(Free return trajectory)と呼ばれる軌道で、この軌道に乗ると、マラソンの折り返し地点のように月の裏側を回り、そのまま地球に向けて帰ってくることができる。スラスター噴射などの大きなエネルギーを使うことなく、地球と月との間を往復することができるため、過去にソヴィエトのゾーント計画でも使われた他、アポロ計画でもミッション中に事故などが発生した際の緊急帰還用の軌道として設定されており、実際にアポロ13ミッションで使用された。映画『アポロ13』でも、エド・ハリス演じるジーン・クランツが、黒板にチョークでまず地球と月を描き、そしてそれらを結ぶように8の字の自由帰還軌道を描いてみせる、印象的な場面がある。

自由帰還軌道の概念図 (C)NASA

試験機は10月28日の夜、月に最接近し、その裏側を回り、今度は地球へ向けて進路を取った。このとき撮影された写真は即座に公表され、その中でも月と地球とを同じフレーム内に収めたものは、大変美しいものであった。

嫦娥五号試験機が撮影した地球 (C)国家国防科技工業局

嫦娥五号試験機が撮影し月面 (C)国家国防科技工業局

嫦娥五号試験機が撮影した月と地球。『スペース1999』のオープニングを思い出す構図だ (C)国家国防科技工業局

試験機は復路も順調に飛行し、11月1日6時53分(日本時間、以下同)、地球から約5,000km離れた地点でカプセルが分離された。そしてカプセルは7時10分に大気圏に再突入し、大気圏の上層部をスキップするように飛行し速度を落としつつ飛行、やがて7時22分に完全に大気圏内に入った。7時32分、高度10kmでパラシュートを展開し、そして7時42分に内モンゴル自治区の草原地帯へ着陸した。カプセルは原型を保っており、ミッションは成功であった。

着陸した嫦娥五号試験機の帰還カプセル (C)国家国防科技工業局

北京へ運ばれた嫦娥五号試験機の帰還カプセル (C)国家国防科技工業局

なお、いくつかの報道によれば、サービス・モジュールはカプセルの分離後、スラスターを噴射して軌道を変え、地球と月のラグランジュ2へ向かったという。さらにその後は月軌道に入り、嫦娥五号の運用に向けた実績を積むとのことだ。

ミッションが成功したことで、嫦娥五号が実現する可能性は大きく高まった。あとは月から離陸する技術だけが未経験だが、こればかりは実際のミッションでやってみる他ない。

一方、宇宙開発史に照らし合わせてみると、地球と月の往復飛行に成功したのは、1976年8月22日に帰還したソ連のルナー24以来、約38年ぶりのこととなる。ただしルナー24は、月面に着陸して石を採取して持ち帰ってくるという、嫦娥五号試験機より数段上の技術力を要するミッションであった。今回と同じような自由帰還軌道を使ったミッションに限れば、1970年10月27日に帰還したソ連のゾーント8以来、約44年ぶりのこととなる。

着実に進む嫦娥計画

冒頭でも述べたが、嫦娥計画は、段階を踏んで難易度の高い目標に挑戦していくという、着実に歩みを進める方法が採られている。

だがその一方で、貪欲さも持ち合わせている。例えば嫦娥一号は、中国にとって初の宇宙探査機であったこともあり、予備機が用意されていたが、嫦娥一号が問題なく成功したことで、その予備機は嫦娥二号として打ち上げられた。嫦娥二号は、機体自体は一号とほぼ同じだったが、使用するロケットや軌道を変えて、一号よりも早く月に到着するルートを取った。また月探査終了後は地球と太陽のラグランジュ2へと飛行し、さらにその後は小惑星トータティスのフライバイ観測も行い、現在も深宇宙を飛び続けている。嫦娥三号でも予備機として嫦娥四号が用意されており、嫦娥三号が成功したことで、四号では月の極域への着陸を計画していると伝えられる。

つまり失敗しても挽回ができるよう予備機が常に用意されており、それが不要となれば、新しいことに挑戦するミッションに変えて打ち上げられている。

中国が、嫦娥計画以降の月探査をどうするか、あるいは有人月探査を行うのかどうかは、まだ公式には決定されていない。だが、この着実さと貪欲さを持ち続けるかぎり、人類が月に帰還する日はそう遠くないのかもしれない。

参考

・http://www.spacechina.com/n25/n144/n206/n133097/c709628/content.html
・http://www.sastind.gov.cn/n112/n52194/c424069/content.html
・http://www.sastind.gov.cn/n112/n117/c428843/content.html
・http://www.sastind.gov.cn/n112/n117/c431526/content.html
・http://www.sastind.gov.cn/n112/n117/c431887/content.html