【インタビュー】

『テルマエ・ロマエ』作者ヤマザキマリさんが語る、とらわれない生き方とは?

1 好きなことと、生きていくための仕事は分けて考える

 
  • <<
  • <

1/2

『テルマエ・ロマエ』『スティーブ・ジョブズ』など数々の作品を世に送り出している漫画家ヤマザキマリさんが、このほど『とらわれない生き方 悩める日本人女性のための人生指南書』(KADOKAWA/メディアファクトリー)を刊行した。日本とイタリアを始め世界中を行き来して活躍する同氏に、仕事と生き方への思いを伺った。

「仕事とプライドを融合させない」

--「好きなことと生きていくための仕事は違う」という話が出てきますが、仕事を選ぶときに意識されていることはありますか?

ヤマザキマリさん
1967年東京都出身。17歳のころ絵の勉強のためにイタリア・フィレンツエで海外生活を送り、貧困生活ゆえに入賞金目当てで漫画を描きはじめる。シングルマザーで息子を産み育て、その後イタリア人夫と結婚、すさまじいイタリア人の姑たちとの同居生活を経て中東、ポルトガル、シカゴなどで生活し、現在ふたたびイタリア在住。『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)でマンガ大賞2010、および第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。

気が進まない仕事は山のようにやってきましたが、人生で初めての仕事がちり紙交換だったので、後の仕事はどれを取ってもあの地道な肉体労働に比べたら楽だし優遇されている気分になります。意識しているのは、お金を稼ぐ目的で選んだ仕事とプライドを融合させないこと。生きるために選んだ仕事に対しては、常にそういう意識ですね。

あと、「やりたくもないことをやっている」と思った瞬間に超やりたくなくなるので、一切考えないことにしています。"郷に入ったら郷に従え"で、「たのしくやろうぜ」というノリでやる。やっぱり「マザー」(※同書内で使われている用語。「心の核に存在する、ゆるぎない自分」の意味。自分の中にいるもう一人の自分)の意識を感じるうちは何をしても大丈夫だという気持ちになれる。「基本あなたは何だってできる、何やったっていいじゃない本質は変わらないんだから。やりたくない事をやったからってなにもそれに嫌々染まる必要もない」って、自分に言い聞かせています。

--その自信のようなものは経験から来るものでしょうか

子供のときから自意識も無いままにいろんな経験をしていますので、それが大きいのかと。母子家庭だったり、早くから一人で海外旅行をしたり、縁もゆかりも無い外国で暮らすようになったりしたことで「ある程度のことは自分でやりくりします」「わからなかったら、これとこれ合わせれば応用できます」と判断できるくらいの柔軟性は身に付いたのでしょう。そのおかげで、お金のためにやることも、自分のためにやることも含めたいろんな仕事も平気でできましたし、やることがお金と結びつかなかったって困惑したりすることもない。自分の意志と決断力を信頼すれば、どんなこともいくらでもできると思います。

--どうやって楽しくするんですか?

例えば、以前札幌の「日本イタリア協会」事務局で事務職をやったことがありますが、最終的には語学学校を立ち上げることになりました。事務職もやったことはないし、学校を運営するなんて事も初めてでしたが、とにかく携わる事にはワクワクしたかった。だから自分もそこに教師として教えに行ってました。経験に自分の知っている事を知りたがっている人に教えて上げる充足感のような行為にも、それなりの喜びがあると言う事を知りました。それからイタリア語を教える先生を探しに行って、そこで「イタリア映画の夕べ」を企画する、「イタリアワイン会」をやる。さらにそこから広がっていって、いろんなイタリア関係のイベントを仕切れるようになりました。皆も喜んでくれますが、わたしも一緒に楽しくなれる。それに、そうやって行動しないと、自分が責任者としている意味がない気がしたんです。せっかく十何年もイタリアに行って、イタリア語ができて、イタリアの食文化などが分かってるのに、それを学びたい、知りたい、という人がいるなら有効利用しないのはもったいない…。

たとえお金のため、生きて行くために選んだ職業にしても、携わっている限り、心地悪いのが嫌なのかもしれない。自分が正しいと思っていることは主張したいし、もし文句を言ってくる人がいても、それはそれでいいんです。文句大歓迎だし、ディスカッションしたい。基本的に立ち止まっていられない。回遊するマグロのような人かもしれないですね。

人よりも土地と触れ合いたい

--それは世界のあちこちに行かれるのと通じるものがありますね

そうですね。その場に行って、その場に適応するのと同じです。自分のまわりにボーダーを作らないんです。誰が入って来たっていいんですよ。だってそれで失うものなんてないですから。色んな人が来てごちゃごちゃにしても、私はあとでそれをゆっくりメンテナンスできるし、戸惑いに飲み込まれそうになっても必ず冷静な自分がどこかで戻ってくる。ただ私は私という形でそこに毅然(きぜん)といるわけだから、表面上どんな混乱があっても安心はしていていいんだって心底では思っています。

--「私は私の形」というのがこの本に出てくる「マザー」につながっていくんですか?

核心ですよね。必ず、自分を守ってくれる存在というか、「泣きわめこうが悲しもうが何してようが絶対に程よきところで収まるから大丈夫」っていうような自己コントロールを無意識にしていると思うんです。その心底から自分の様子を客観的に傍観しているような意識を「マザー」と呼んでいます。

まあ、母体ですよね、自分の中でも最も原始的な部分だと思いますよ。生き抜きたいと思うじゃないですか、生き物である限りはどの動物も。虫だって殺されそうになったら逃げるし。多分、それと同じ働きかけなんだと思います。後天的に身につけてきた余計な感情だとか余計な精神性が邪魔して「ああ、私もう駄目だ」とかなるわけですけど、そのときに本能的なものが「そんな小さいとこに固まってるんじゃないよ、ばかばかしい」って信号を送ってくるという感覚ですね。

その辺はやっぱり私が北海道で育ったり野生児だった部分が強いかもしれません。そこで自分が他の動物と違って精神というくせ者を背負って生きている事を認識し、不必要な思惑に振り回されないようコントロールしていく術が自然と身に付いたのかもしれない。海外に行くときも、土地の人間達と触れ合うということは実は二の次三の次。人間よりもその土地と触れ合いたい。地球上の、行ったことない土や海や空や草や木、時空の軌跡、その土地が通り過ぎて来た歴史。そういうものの方がわたしにとっては興味があります。人との触れ合いは必然的に生じてくるものなので、それよりもそれまで知らなかった地球の部分というものに対する好奇心や興味の方が圧倒的に強いのです。新しい場所を訪れる時は、まずはその土地に歓迎をされたいです。

  • <<
  • <

1/2

インデックス

目次
(1) 好きなことと、生きていくための仕事は分けて考える
(2) 「漫画によっていろんなことできる」自信がついたきっかけとは

転職ノウハウ

人気記事

一覧

イチオシ記事

新着記事