手軽に食べられる駄菓子の代表格である「うまい棒」を素材に、古くから人々の信仰の対象となってきた「仏像」を彫ったアート作品「うまい仏(うまいぶつ)」。この作品はそのユニークさで注目を集め、アート界を超えた広がりを見せているので、見たことがある読者もいるかもしれない。

「うまい仏」

この一度見たら忘れられない、インパクトある作品を生み出した気鋭の現代美術家が河地貢士氏だ。彼は「うまい仏」のほかにも、スナック菓子を素材として使った一連のシリーズや、漫画雑誌を土代わりにして植物を育てる「まんが農業」など、ユニークな発想を数多く具現化している。

今回は、「うまい仏」の誕生秘話や、スナック菓子を題材としたアート作品は「ほぼやり尽くした」という同氏がいま取り組んでいる新作などについて、直接お話をうかがった。

――まず最初に、これまでの経歴を教えてください。

岐阜県多治見市の出身で、名古屋芸術大学を卒業しました。今はもうなくなっているんですけれども、美術学部デザイン科の造形実験コースを卒業しました。

――「うまい仏」から河地さんを知ったのですが、大学時代は彫刻を中心に制作されていたのでしょうか?

造形実験コースという名前からもわかるように、紙、木、映像、パソコンなど、さまざまなメディアを使用して制作をしていました。ただ作るのではなくて、コンセプトを重視した課題を多くこなしていたように思います。

現代美術作家・河地貢士
岐阜県多治見市生まれ。名古屋芸術大学美術学部デザイン科造形実験コース卒業。 東京を拠点に国内外で活動中。インスタレーション、ドローイング、彫刻、写真、映像、ワークショップ、プロジェクト企画など様々な手法で、 日常におけるフィクションをテーマに制作を行う。うまい棒を円空仏風に彫った「うまい仏」や、漫画雑誌を苗床に野菜を栽培する「まんが農業」などは国内外のメディアで広く紹介される

――学生時代によく用いていた手法は何ですか?

映像をよく作っていました。そのほか、インスタレーションを制作することも多かったです。なので、今やっていることとかなり近いですね。とにかく新しい何かを作りたいと思っていました。

――大学卒業後はすぐアーティストとして活動を開始されたのでしょうか。

いいえ、就職しました。というのも、とにかく東京に出たいという思いがあったので、大学の制作課題で培ったMacのスキルを生かせる仕事を探し、デザイナー職に就きました。

最初はお菓子のパッケージデザインを行う会社に入りました。その後、YMOなどのディレクションで知られるアートディレクター・奥村靫正さんの事務所に入り、グラフィックデザインを中心に行っていました。働きながらも創作活動は続けていましたが、積極的に発表はしていませんでしたね。

――では、アート活動に専念される決意をされたのはいつごろだったのでしょうか。

きっかけは、祖父が亡くなったことでした。人はいつか死ぬ、終わりってあると強く感じたので、やりたいことをやろうと思って、アート活動に力を入れようと決めました。

「うまい仏」を作ったのも、祖父の死がきっかけだったんです。最初に亡くなった近親者だったので、通夜に一晩つきそうとか、お坊さんとの打ち合わせに立ち会うとか、仏教的な行事をこの時初めて体験しました。自分の家の宗教が仏教であることは頭では分かっていたんですけれど、このとき初めて実感し、この感覚を作品にしたいと思ったんです。

「うまい仏」

――「うまい棒」を素材に仏像を彫るという発想が非常にユニークですが、なぜあえて「うまい棒」を素材にしようと考えたのでしょうか?

まず最初に、祖父の死によって、"日常"に仏教という"非日常"が入り込んできたという感覚を作品にしようと考えました。そして、"日常"とは何かを考えている時に、"食べる"というキーワードが浮かび、さらに"スナック菓子"を食べられる状況というのは、平穏で何にもない「THE 日常」だと仮定しました。そして、このふたつを組み合わせたらこの体験を再生できるかなと思ったんです。

また、美術界には、過去の作品を参照して制作を行うならわしみたいなものがあるんです。それに習い、江戸時代の僧侶・円空が彫っていた「円空仏」という仏像のあり方と、"うまい棒"に仏像を彫る行為の共通点が多いということで、そのコンセプトを現代的に解釈しました。