【レポート】

JR神戸駅はなぜ神戸市の中心街から外れたところに位置している?

 

阪急・阪神・JRが集まる三宮駅前の交差点

去る12月21日、阪急電鉄及び阪神電鉄は、神戸市の「三宮駅」を「神戸三宮駅」に改称した。「神戸市の中心街最寄りの駅なのに、“三宮”という駅名では観光客に分かりづらいのではないか」という地元商工会などの意見を受けての処置である。

さて、三宮にはJR「三ノ宮駅」もあるのだが、こちらの駅名は変更されない。また、三ノ宮から西へ進んだところにJR「神戸駅」が存在する。JRの駅で、しかも都市名が冠されたこの駅名を見ると、関西圏外の人は、神戸市の中核をなす駅という印象を抱くだろう。

近代化遺産の指定を受けているJR神戸駅の駅舎

ところが実際には、神戸市役所も、大手百貨店やショッピングモールも、三宮界隈に立地する。JR神戸駅に至っては、明らかに中心街から外れた立地である。なぜ、神戸の中心街でもないところに「神戸駅」が存在するのだろうか?

兵庫港開港と外国人居留地

神戸市が近代都市として発展する端緒となったのが、幕末の兵庫港開港と、それに伴う外国人居留地の設置。神戸駅は、この兵庫港と外国人居留地のほぼ中間地点に造られた。

実際には、居留地の置かれた旧神戸村に近い兵庫港より東側の海岸が、新たに「神戸港」として開かれ発展していくのだが、いずれにせよ神戸駅からは近く、神戸駅周辺は当時の神戸における中心地となっていった。

東の浅草、西の新開地

神戸駅の西側に位置する新開地は、大正時代に入ると芝居小屋や映画館が立ち並び、東京の帝国劇場と双璧をなす「聚楽館(じゅらくかん)」という立派な劇場まで登場。「東の浅草、西の新開地」と言われるほど、全国有数の繁華街として栄えていた。

東京の浅草や大阪の新世界と並ぶ歓楽街であった神戸・新開地(大正後期~昭和初期)の新開地本通りの様子

一方、居留地のあった旧神戸村周辺も栄えていき、明治7年(1874)には「元町」が誕生。西洋文化をいち早く取り入れた商店などが建ち並んでいく。

昭和2年(1927)に神戸元町にて開店した大丸神戸店

新興都市「三宮」の成立

やがて元町界隈の北東部に隣接する三宮界隈が、新興住宅地として人口が増加。今度はこちらがビジネス・商業の中心地として発展を始め、神戸市役所も神戸駅近くからこちらに移されることとなる。

このように、神戸の中心地は江戸時代から昭和にかけて、兵庫津(平安時代に平清盛が整備し、室町時代には足利義満の日明貿易の拠点として栄えた港)周辺から神戸駅周辺・新開地、そして元町、さらに三宮へと少しずつ東に東に移動してきたわけである。

そのため、神戸駅は街の成長とともに、その役割を三ノ宮駅に受け渡した感があるが、JRに限っていえば、三ノ宮駅より神戸駅の方が立派な造りで、駅舎内には今も豪華な貴賓室が残っている。「神戸駅なのに神戸の中心じゃないの?」と思われた方、かつての中心駅であった名残を、是非神戸駅に見に行っていただきたい。

現在、JR神戸駅の貴賓室はがんこ寿司神戸駅店の店内奥からのみ見ることができる

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