子供の頃、ただ漠然と「大人というゴール」を目指していた人たちも、やがては「社会人」という大人になり、当初目指していたゴールの向こう側、すなわち「大人になってからの人生」を歩んでいる。

きたみりゅうじ氏の著書『人生って、大人になってからがやたら長い 』(発行 : 幻冬舎)は、その中で起こる各種の人生イベント――結婚、出産、独立、保険加入、住宅購入、体力の衰えなど――にて味わう苦労と喜び(主に苦労)を、きたみりゅうじ氏が自身の実体験を元にコミカルなイラストで描いたものである。

すでに「大人の人生」を歩んでいる方は深く共感し、これから迎える方は人生のヒントが見つけられる1冊となるはずだ。

大人って大変なことばかり、でも大人だからこそ味わえるものもある

人生って、大人になってからがやたら長い 』(著者 : きたみりゅうじ、発行 : 幻冬舎)

本書は、次の5つの章で構成されている。

  • 30歳ってすごく大人だと思ってた。
  • 仕事を頑張ることが大人だと思ってた。
  • 正解を知ってることが大人だと思ってた。
  • 自分はもう少し大人だと思ってた。
  • 少しずつ、「大人であろう」と思っている。

この章タイトルからもわかるとおり、本書では、いわゆる"大人"の実態について、きたみ氏の子供時代のイメージと照らし合わせながら世知辛い現実をコミカルに描いている。

思わず吹き出す笑い話や改めて考えさせられる深い話がいくつも詰め込まれているが、ここではその中から筆者の印象に特に残ったものを1つ紹介しよう。

正解を求めるのはほめられたいから――ただし本当にほめてほしいのは……

紹介したいのは「正解を知ってることが大人だと思ってた。」という章の中のお話。ここでは、きたみ氏がセミナー講師を務めたときのエピソードに絡めてさまざまな考えを紹介している。

章タイトルのとおり、若き日のきたみ氏は、大人と言えば「正解を知っている」存在だと考えていたという。何かを聞いたら正解をズバリ教えてくれる、そんな人間を想像しており、セミナーを聴講した際には講師へ積極的に質問を投げかけていた。

では、その"正解"とは何なのか。きたみ氏は「他者に否定されてない選択肢」と、無意識のうちに思い込んでいたことに気付く。すなわち、正解を聞くという行動は、「『正解を聞く』というかたちをとることで、『間違えていない』という逃げ道を作ってカシコぶってた」のだろうと分析している。おそらくある程度の社会人経験を積んだ方なら共感できるエピソードだろう。

その後、"大人"になったきたみ氏は、こうした思考の根源にあるものを考える。突き詰めて導き出した答えは、「『ほめられたい』という承認要求」。ほめられたいからこそ、間違わない選択にするために"大人"に聞いて正解を求めていたのだろうと振り返る。

しかし、"大人"になったきたみ氏は、そもそも誰に一番ほめられたかったのかと考えはじめる。そして至った結論は「他人ではなく、自分」である。

自分にほめられたいなら、正解は自分にしかない。他人にできるのは、それを直接教えるのではなく、導き出す手助けをする程度。他人に正解を求めるのは間違いだったと回顧している。

こうした思考を巡らせた結果、現在では、"大人"とは「正解を知らなくてもスタスタと歩いていくことができる」人と考えているという。

驚くべきは、深い話を面白く読める点

前節ではきたみ氏のエピソードを短絡的に紹介してしまったが、書籍の中では、こうした思考のプロセスをイラスト付きで過去の自分と照らしながら、丁寧に説明している。

しかも、「正解を知ってることが大人だと思ってた。」の話もこれだけで終りではない。その後、学校の先生や業界の先輩、自身の趣味の話も交えて、いわゆる"大人"としての振る舞いや思考についてコミカルに紹介している。

とにかく特徴的なのは、非常に深い話題に入り込みながらも、堅くならずに読める点。こうしたきたみ氏ならではの技術には感服するところだ。

そのほか、書籍の中では、子供が生まれて将来を見越した必要経費を真剣に試算したときの話や、マイホームを購入したときの話、フリーイラストレーターとなって収入を追い求めた一方で精神的に危なくなったときの話、義父が亡くなった時の話など、きたみ氏の身に起きたさまざまな出来事を交えて、"大人"をテーマにしたさまざまな思考を紹介している。

面白おかしく読み進められながらも、人生を大局的に振り返る良い機会を与えてくれる。そんな印象の書籍である。