――タマ子の自宅の甲府スポーツが実際にある店だったり、写真店の親子がとても似ていたりとすごくリアルな描写が印象的でしたが、それはどのように実現されたのでしょうか。

山下監督:無理に作り上げていくというよりかは、実際にある場所をお借りして撮りたいというのはありました。キャラクターを設定した上で、スポーツ用品店で撮りたいというのを制作部の人に伝えたらすごくいいところを見つけてくれたんです。特に秋と冬は家からほとんど出ない話なので、あの中だけでどう撮ろうかと考えていました。

前田:本当に1つの場所で撮っていましたよね。

山下監督:休憩中もあの部屋で寝てるし(笑)。まぁ、時間がない中撮っていたのでそんな帰る暇がないといのもあったんですけど。みんなすぐ暖簾にあたまをぶつけて、じゃらじゃら音が鳴って撮影に支障が出たり(笑)。

――『苦役列車』以来のタッグと聞いた時の感想をお聞かせください。

山下監督:またやれるのはうれしかったし、今回は脚本が向井(康介)ですけど、彼にも「前田敦子面白いよ」って言いたかったというか(笑)。だから、ちょっと誘ったんですよね。『苦役列車』の時は原作がありましたし、康子というキャラクターはオリジナルではありましたが、やはりゲストという感じで。今回はタマ子が主人公なので、前よりも近づけるというかやりがいがあるというか、そういう部分はあったかもしれません。

――"女優・前田敦子"が面白い?

山下監督:もう、全部ひっくるめてですね。できあがった『苦役列車』を見て、すごいなと思ったこともあったし、それとは別に舞台あいさつとか、取材とかで会う時の"前田敦子"も面白かったというか。そういうのもひっくるめてタマ子ができあがった感じがしましたね。

前田:私は『苦役列車』の初日舞台あいさつの時に「タマ子」の企画について聞きました。こういう話があると言われたんですけど、私は絶対にかなわないと思っていたんです。だって、公開してすぐの話ですよ(笑)。もう会えなくなるなと思っていたら、言われてビックリ。その場ですごく喜んで、あれよあれよという間に撮影になりました。ぎりぎりまで全然信じてなかったです。ぎりぎりまで台本もなかったですし、本当にあるんですかって(笑)。これから長いスパンで監督と会えることがわかって、すごく幸せだなと思いました。

山下監督:この1年くらい、なんか会ってるんですよ。『苦役列車』も意外としぶとかったよね(笑)。アカデミー賞もあったし、ずるずる会うんですよ(笑)。この1年は何かを一緒にやってきたという感じはしますね。

――山下監督のどの部分に魅力を感じますか?

前田:私はいつも言ってるんですけど、邦画に憧れを抱いたのは監督の『天コケ』(天然コケッコー)がきっかけなんです。同世代の子たちがすごくキラキラしていて、とってもうらやましいって思いました。

山下監督:全然、『天コケ』じゃないのを撮ってるけどね(笑)。

前田:そうですね(笑)。初期の頃の作品は監督が見なくていいと言うので見てないんですけど、『リンダリンダリンダ』や『マイ・バック・ページ』を映画館に見に行っても、その憧れは消えませんでした。『天コケ』だけじゃなかったので、私が本当に好きな監督さんなんだって…はい。ただの幸せ者です(笑)。

――タマ子と似ている部分はありますか。また、友人でタマ子のような人がいたらどう思いますか。

前田:どうだろう。でも、気になっちゃうと思います。すごく優しくしたくなっちゃいます。実際に、タマ子のまわりにいる人たちってみんな優しいじゃないですか。その気持ちがすごく分かります。絶対に悪い子じゃないと思います。たぶん誰にでもあることだと思うんですよ。駄目な時期を描いているだけであって。私は長い期間ではありませんけど、1日とか2日とか駄目になる瞬間は誰にでもありますよね(笑)。

山下監督:タマ子って友だちがまずいないんですよね。そういう子はやっぱり注目しちゃうというか。ついつい気になってしまう。もちろん、気にならない人もいると思うんですけど、タマ子はクラスの端っことかにいると気になるタイプですよね。誰ともつるまないけどなんか気になるみたいな(笑)。