制御システムや数値計算などのソフトウェア開発ツール群「MATLAB/Simulink」の開発企業であるMathWorksは2013年10月29日に、顧客向けイベント「MATLAB EXPO JAPAN 2013」を東京都港区台場のホテル「ホテル グランパシフィック LE DAIBA」で開催した。イベントへの参加は事前登録制(当日登録も受け付けていた)で、参加料は無料である。

「MATLAB EXPO JAPAN 2013」は講演会と展示会で構成されており、会場ホテルの宴会場フロアを借り切って宴会室を講演会場に、廊下とロビーを展示会場と受け付けなどに割り当てていた。講演会のプログラムは、午前が1本だけの講演トラックが進む全体講演、午後が7本の講演トラックが並行して進む技術講演になっている。展示会では、MathWorksとパートナー企業各社がテーブルトップ形式で製品や技術、応用事例などをそれぞれ出品していた。

午前の全体講演は「基調講演」トラックで、MathWorksの代表者による講演と、ゲストによる招待講演で構成されている。今年はMathWorksからDesign Automation Marketing Directorを務めるPaul Barnard氏が講演し、ゲストとしてはNTT コミュニケーション科学基礎研究所の所長を務める前田英作氏が講演した。本稿ではPaul Barnard氏の講演概要をご紹介する。

基調講演の会場。講演の開始前に撮影したもの

MathWorksのPaul Barnard氏による基調講演のタイトルは「Embracing Complexity~複雑性を受け容れる」である。最近のMATLAB EXPOの基調講演でMathWorksは、特定のキーワードを用いて話をすることが多くなっている。例えば前年の基調講演では、「スマート」がキーワードとなっていた。

今年のキーワード「複雑性」も前年の「スマート」と同様にトピックであり、また、定義が曖昧な言葉でもある。複雑性を「複雑さ」と考えれば、現実の世界は極めて複雑であり、その挙動を解析することは非常に難しい。現実の世界に比べると人間が開発するシステムは単純ではあるものの、過去に比べるとはるかに複雑になっている。

なお講演では触れなかったので補足しておくと、ここで重要なのは、世界やシステムなどを構成する要素が多いということだけではなく、要素の種類が多いということだ。同じ種類の要素の数が増えているだけでは「複雑性」が高まっているとは言い難い。規模が大きくなっているだけである。大規模化と複雑化は違う。

複雑性のあるシステム(あるいは世界)では、違う種類の要素が、同じ種類だけではなく、異なる種類の間でお互いに影響を及ぼす。そして要素の種類が多い。複雑性を有するとは、このような意味である。

Barnard氏は講演で、複雑性を有するシステムの例を挙げつつ、対処する手法についてキーワードとともに解説した。最初の例は、自動車エレクトロニクスである。対処法のキーワードは「コラボレーション(協調)」だ。

今日の自動車エレクトロニクスは、様々な機能を実現している。車種やグレードなどによる違いはあるものの、10個~100個のマイコンが1台の自動車で動く。マイコンが実現する機能はそれぞれ違う。すなわち、異なる種類の要素が数多く存在しており、互いに影響を及ぼす。このため、自動車のエレクトロニクスシステムは、高い水準で複雑性を有すると言える。例えば、前方車両を認識して車間距離を一定に維持しながら走行する機能「アダプティブ・クルーズ・コントロール(ACC)」を実現するためには、エンジン制御、ブレーキ制御、横滑り制御といった異なる機能が連携する必要がある。

複数の機能が連携することで動作する、このような複雑性を有するシステムを開発するためには、複数の機能を協調して(コラボレーションして)動かすためのプラットフォームが欠かせない。言い換えると、個々の機能を担当する技術者チーム同士が協調して(コラボレーションして)開発を実行するためのプラットフォームが必要である。

今日の自動車エレクトロニクスが実現している機能の例

自動車の電子制御ユニット(ECU)で複数の機能を協調して(コラボレーションして)動かすためのプラットフォーム

続いてのキーワードは「モデリング」と「シミュレーション」である。複雑性を有するシステムでは、センサによって観測データを取得し、取得したデータを整理し、そしてデータを解析することで知識として理解し、さらには適切な行動(アクション)へと結びつけている。ここではMATLABの応用事例として、英国に本拠を構える大手小売りチェーンTesco(テスコ)のサプライチェーンを挙げていた。

Tescoは全世界に2,979の店舗を有しており、23カ所の倉庫があり、1週間に5,800万ケースの製品を出荷している。Tescoのサプライチェーンでは、気象データから売り上げの変化を予測することで、期限切れなどによる製品の廃棄量を大きく削減した。

気象データと食材売り上げの関連では例えば英国では、気温が10℃上がると、バーベキュー用肉類の売り上げは3倍に跳ね上がり、レタスの売り上げが45%伸び、コールスローサラダの売り上げが50%伸び、芽キャベツの売り上げは25%ダウンするという。Tescoが出荷する生鮮食料品の数量は1週間で1,600万ケースに達する。気象状況の変化が売り上げに与える影響は小さくない。

Tescoのサプライチェーンでは気象状況の変化を1日に3回の割合でシステムに入力し、在庫の動きをシミュレーションし、小売店における注文の動きをシミュレーションする。こうして在庫と出荷を適切な値に調整することで、在庫のコストと廃棄(売れ残り)のコストを減らすことができた。

小売店における発注作業のシミュレーター。なおTescoの代表者が2012年の英国MATLAB EXPOで講演している。講演内容のビデオはこちら)で閲覧できる

サプライチェーンが挙げた成果。販売促進の効率を30%向上させ、夏期における食料品の廃棄額を600万ポンド減らし、在庫のコストを5,000万ポンド減少させ、小売店における廃棄額を3,000万ポンド削減した

「モデリング」と「シミュレーション」に関するもう1つの応用事例としてBarnard氏は、風力発電器(講演スライドでは「ウインドタービン」と表記)を挙げていた。風力発電器は機械系と電気系の両方のサブシステムで構成されており、なおかつ機械系は羽根の制御系と回転系に分かれている。いくつもの異なる要素で構成されており、複雑性を備えたシステムと言える。

風力発電器(ウインドタービン)の概要。羽根(ブレード)と空気(風)が作用する系、羽根の回転を伝達する系、発電器を回転させて電気を発生させる系などが存在する

風力発電器(ウインドタービン)のモデル記述

最後のキーワードは「自動化」である。設計作業や検証作業などを自動化することで、作業時間を短縮し、技術者の負荷を減らす。自動化の最初の事例は、NTTドコモのドコモ北京研究所による携帯電話システムのシミュレーションである。数週間かかっていたシミュレーション時間を並列化と自動化によって数時間に短縮した。この結果、携帯電話セルにおける端末のデータ通信に関する検証シナリオを5倍に増やすことができた。

携帯電話システムのセルにおける端末のデータ通信を検証