JR北海道がこのほど発表した、函館本線流山温泉駅の新幹線200系を撤去するニュースは、瞬く間に全国の鉄道ファンに広がったようだ。インターネット上では、「たしかに老朽化が激しかったから、やむをえないのでは?」「野ざらしだったのがもったいない」「手入れすればまだ保存できたのでは?」などの声も。「予備知識なしで列車に乗っていたら、突然新幹線が現れたので驚いた」という体験談も見られた。

流山温泉駅のホームのそばに設置された新幹線200系。道民の間では、新幹線といえばいまだ「団子鼻」のイメージが強い

実際、函館駅から列車で50分以上も離れ、周囲に雑木林と草原が広がるばかりの無人駅の一角に、ぽつんと新幹線車両が展示されているのは、なんとも不思議な光景ではある。「新幹線が走っていない北海道にあった唯一の新幹線」の、最後の姿を見てきた。

「北海道新幹線誘致」の役目を終え、老朽化も進んでいた

流山温泉駅は、JR北海道グループが開発した温泉施設「流山温泉」のオープンに合わせて2002年4月に開業した無人駅。流山温泉は世界的な彫刻家、流政之(ながれ・まさゆき)氏がプロデュースしたことで知られる。温泉施設に隣接してオハ51形客車2両が設置されており、この客車は以前、休憩場所として開放されていたそうだ。

駅周辺には温泉施設と併設のキャンプ場などがある以外、主だった建物は見当たらない。流山温泉駅に列車が停車するのも、流山温泉が営業している時間帯のみ。

先頭車2両とグリーン車1両を展示。片方の先頭車は木々に阻まれ、よく見えなかった

駅名標と先頭車両。ここだけを見ると、老朽化はそれほど感じられない

流山温泉は駅から徒歩数分の距離にある

流山温泉の施設付近から200系を眺める

駅のホーム横に静態保存されているのは、新幹線200系の先頭車2両・グリーン車1両の計3両。1981年に製造され、東北新幹線大宮~盛岡間開業と同時に「やまびこ」「あおば」として活躍。2001年9月の引退までに計811万km、なんと地球202周分も走行したという。

流山温泉駅が開業した2002年当時、新幹線の北海道延伸はまだ決まっていなかった。そこで北海道新幹線開業への架け橋となるようにとの思いを込め、JR北海道によって同車両が設置されたそう。その後、イベントなどで車両の内部が開放されたこともあるとか。

しかし、北海道新幹線の札幌延伸が決定し、当初の目的であった北海道新幹線誘致の役割を終えたことに加え、設置から10年以上が経過し、車両の老朽化が激しくなったことも理由となり、このほど車両の撤去が発表された。仮設工事の後、6月中に車両解体と撤去工事に着手。6月末までには全車両の撤去を完了させる予定だ。

展示車両の来歴を記した銘板

車両側面は塗装の劣化が著しく、痛々しい

車体側面には車両番号「215-15」が残る

窓から普通車の車内が見えた

実際に筆者が目にした撤去間近の200系は、一様に老朽化しているというより、場所によって劣化の差が激しいように感じられた。側面はかなり劣化しているものの、台車部分や内部は比較的原型を保っているように見え、「このまま撤去するのはもったいない。補修すればまだまだ保存できるのでは?」とも思えた。

とはいえ、長らく縁遠い乗り物であった新幹線を身近なものとして、北海道民、とくに道南在住の子供たちに示してくれた役目は、北海道新幹線の工事が着々と進み、新幹線が現実になりつつある今、たしかに終わったのかもしれない。「できることなら、新幹線実現への歩みの1ページを記した記念碑として、その一部だけでも残してほしい。北海道新幹線開業の折に、新駅などで展示してもらえたなら、北の大地にやってきた200系も本望だろうに……」、撤去間近の車両を前に、そんなことを考えてしまうのだった。