「ハリウッド映画の制作に携わりたい」映画好きの人間であれば、過去に一度はそんな夢を思い描いたことがあるのではないだろうか。そんな夢を46歳にして叶え、映画『アイアンマン3』ではパワードスーツの造形などに携わったCGモデラー成田昌隆氏を今回は紹介したい。証券マンから転身した彼はどのような道を歩み、今の地位についたのか。クリエイターになるまでの道のり、そして最新作『アイアンマン3』のCG制作について話を伺った。

成田昌隆
1963年生まれ、名古屋市出身。名古屋大学工学部 電気電子工学科を卒業後、NECへ入社。衛星通信アンテナ事業部にて電子回路とファームウェア開発に3年間従事する。その後、日興證券へ転職。IT部門にて技術リサーチを担当し、1993年にシリコンバレー先端技術研究所開設に伴い米国赴任。2008年、ハリウッド映画業界で働くという自らの夢を追うため、米VFX業界への転身を決意。2009年4月、46歳にしてハリウッドのVFX業界にプロデビューを飾る。デジタルドメインとのフリーランス契約後、メソッドスタジオの専属モデリングスーパーバイザーを経て、現在はデジタルドメインに戻り『アイアンマン3』のモデリングリードを務める。『アイアンマン3』では実質的にCGモデリングの責任者を担当した

――現在、デジタル・ドメインにリードモデラーとして所属している成田さんは、映画『アイアンマン3』の制作において、どのような部分を担当したのか教えて下さい。

この作品には、35体の新たなパワードスーツが登場する設定なのですが、実際に映画の中で大写しで見られるスーツは14体です。我々は、これらの造形をマーベルのビジュアル開発チームと協力しながら制作しました。 マーベルがコンセプトデザインを起こし、それを元に立体を作成していったのですが、元々デザイン画は"いかにかっこ良く見せるか"ということを重視し描かれたものなので、機能面で矛盾したりするのです。腕の付け根などの可動部を物理的にしっかりと動かせるようにデザインを変更しつつ、アイアンマンとしてバランス良く、どこから見てもクールなプロポーションに仕上げていかなければいけません。そこがモデラーとしての腕の見せ所なんです。

――この作品では『アイアンマン』シリーズとして初めてパワードスーツの内側のメカニカルな部分がしっかりと描かれています。その工学的なデザインについては何か参考にしたものなどはあったのでしょうか。

特に何かをイメージしたということはありませんね。ただ、これまでの作品との整合性はとらないといけないので、『アイマンマン』シリーズと『アベンジャーズ』でパワードスーツがどういう構造で描かれているかを研究しました。とはいえ、パワードスーツの内部メカの内側を見せるのは新しい試みなので、完全には参考になりませんでしたね。あとは、これまで私がIT関連やエンジニアリング系の仕事をした経験があるので、その知識などを無意識に取り込んでいた部分もあると思います。

――近年では、ハリウッド映画のCG部門などで活躍する日本人クリエイターも増えてきましたが、成田さんのように別の業種から"転職"してハリウッド映画に関わった人はあまり聞きません。その経緯を教えて下さい。

子どもの頃から、テレビで洋画劇場などを観て育ってきたので、ハリウッド映画が大好きだったんです。その頃から漠然と"ああいう映画の仕事がしたいなぁ"とは思っていたんですが、日本に住んでいるとハリウッド映画の制作なんていうのは"仕事"として考えられるようなものじゃないですよね。特に我々の世代は外国というのはまったく別世界で手の届くようなものじゃないと。ですから、普通に日本の大学に通い、日本の企業に就職したわけです。で、仕事の関係で偶然アメリカに派遣されることになりまして。実際にアメリカで生活してみると、ハリウッド映画を作る人たちをなんとなく身近に感じるようになったんです。ちょうどその時期に映画『トイ・ストーリー』が公開されて大ヒットしたこともあり、CGがかなり注目されるようになっていました。私自身、そのときはコンピュターのプロフェッショナルとして仕事をしていたので、映画への憧れと自分の強みを活かせば映画の世界に入れるのではないだろうかと思うようになりました。

人類滅亡の危機をかろうじて回避したアベンジャーズ。しかし、米合衆国政府は、未曾有の危機に際してヒーローという"個人"の力に頼ることを危惧する。一方、トニー・スターク(ロバート・ダウニー Jr.)自身はまだ見ぬ敵の影におびえ、何かに憑かれたかのように新型アイアンマンスーツを次々に開発していた。心身ともに極限まで追いつめられたトニー。アイアンマンの最後の戦いが、いま始まる

――なるほど。アメリカに住んでみて、ハリウッド映画を身近に感じることができたわけですね。

そうですね。そして、仕事の一環としてコンピューターゲーム関連の展示会に行く機会があり、そこで3DCGソフトウェア「LightWave3D」のデモを初めてみたんです。それを見て、このソフトを使えば自分でもアニメーションが作れるようになるのではないか、そうしたら映画会社が私を雇ってくれるんじゃないかと思ったんです。そう思いついて、その場でそのソフトを購入し、それからは、平日は仕事後19時~夜中の2時まで、休日は朝7時~24時くらいまでCGについて勉強し続けました。で、3年間ほど勉強し、その間にアニメーション映像を3本作り、それをのべ100社くらいのCGスタジオに送った結果、Pacific Data Images(現在のドリームワークス)が興味を持ってくれたんです。

――そこから成田さんのCGアーティストとしてのキャリアがスタートしたと。

実は、そうではないんです。ちょうどその面接直後に父親を亡くしまして。それまでずっと3年間、仕事とCGの勉強にすべての時間を費やしてきたのに、それをきっかけにぽっかり心に穴があいてしまって。何もやる気がおきなくなってしまったんです。また、時を同じくして、娘が生まれたり、会社でも責任のあるポストを任されるようになるなど、一気に現実に引き戻された感じがしたんです。それで、夢を諦めて、それから10年間証券会社で働き続けました。

――では、1度掴みかけた夢を諦めてしまったのですか?

そうなりますね。ただ5年ほど前にリーマン・ショックの前兆などが起きて、私の勤めていた証券会社の海外業務が縮小されることになり、日本に戻らなければならないという雲行きになったんです。その時点で、15年間もアメリカで生活しており、子ども達もアメリカの環境下で育ってきていたので、教育などの事を考えると今更日本へは戻れないという思いが強くなり、10年前CGでいい線までいったことを心の支えに、"とにかくやるだけやってみよう"と、もう一度最後のチャレンジをしてみたわけです。そうしたら今度はうまくいって、そこから私のCGモデラーとしてのキャリアがスタートしました。46歳のときでした。

先日、米ロサンゼルスのエル・キャピタン・シアターにて実施された映画『アイアンマン3』ワールド・プレミアの様子
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――成田さんが感じる、日本とアメリカのCG制作現場での違いはどこにあると思いますか?

私は日本のCGプロダクションで働いたことがないので、あまり詳しいことは言えないのですが、やはり予算の違いが大きいのではないでしょうか。アメリカでは1シーンを何度もレビューして、映像の精度を上げていきます。テイクで考えると300~400なんていうこともよくあります。ですが、日本ではそんな回数はありえないというんですね。そういった面も結局は予算によってくるんですよ。モデリングの能力だけでみれば、アメリカも日本も大きな差はないと思います。最終的な映像に仕上げるのに、何回修正を加えていくことができるかが重要なんです。

――最後に、ハリウッドに挑戦したい日本の若手クリエイターに何かアドバイスをお願いします。

日本にお住まいの方は、海外に出ることをかなり難しいことと考えている傾向があると思うんです。例えば、英語ができないとアメリカでは通用しないのではないかとか。これは、アメリカに住むようになって実際に感じたことなのですが、アメリカには様々な国の人が集まってきます。なので、そこまで英語がうまく話せない人も多くいるんです。それでも、みんなアメリカで仕事をしているわけで。だから、英語が話せる話せないということは意識せず、失敗を恐れないでハリウッドの門を叩いてほしいと思います。アメリカの社会は、学歴や経験より実力を重視する社会ですから。歳も関係ありません。履歴書には年齢や性別さえも書かないんです。だから私は46歳で転職できたんです(笑)。自分の腕に自信のある人はどんどん挑戦してみるべきだと思います。

映画『アイアンマン3』は現在公開中。