米国科学振興協会(AAAS)の公式刊行物で世界的に著明な学術誌である「Science」は10月18日、英オックスフォード大学のChristopher Bronk Ramsey博士が第1著者を務めた、放射性炭素年代測定法に関する論文「A Complete Terrestrial Radiocarbon Record for 11.2 to 52.8 kyr B.P.」において、データ収集などで中心的な役割を果たした日本人研究者の主要な4名による記者会見を文部科学省において実施した。

日本人研究者の20年におよぶ努力の結果、これまでより4万年も更新して5万2800年前まで正確に遡れるようになった年代目盛りと、大気からの直接的な放射性炭素記録をまとめあげることに成功したという内容の会見である。

会見に参加したのは、日英独を含む「水月湖プロジェクト」全体のリーダーである英ニューカッスル大学の中川毅(なかがわ・たけし)教授(画像1)、名古屋大学大学院 環境学研究科の北川浩之教授(画像2)、鳴門教育大学の米延仁志准(よねのぶ・ひとし)教授(画像3)、大阪市立大学大学院 理学研究科の原口強准教授(画像4)という、地質学で活躍する4名。その会見の模様をお届けする。

なお、論文「A Complete Terrestrial Radiocarbon Record for 11.2 to 52.8 kyr B.P.」は、Science誌2012年10月19日号に掲載に掲載された(画像5)。

画像1。日英独の水月湖プロジェクトのリーダーを務めたニューカッスル大の中川教授。1998年より水月湖の研究に取り組む。専門は花粉化石の分析を通した古気候復元

画像2。名大の北川教授。1993年の1回目の水月湖のコア採取作業にも参加した。専門は、同位体地球化学・加速器質量分析法による炭素14年代測定

画像3。鳴門教育大の米延准教授。専門分野は、年輪年代学および年縞堆積物の分析による古環境復元。日本各地の湖沼の年縞の調査も行っている

画像4。大阪市立大の原口准教授。専門は地質工学、活断層学。今回は、震災における津波の証拠などの話を行った

画像5。Scienceのサイトトップページ。今回の論文が、紹介されている(葉の化石の画像)

自然界に存在する放射性の「炭素14」は、一定速度で崩壊する炭素の放射性同位体だ。炭素14とより安定した同位体の炭素12がどの程度の比率で含まれているかを調べることによって、その物体の年代を測定できるのである。

しかし、比率を調べることですぐさま正確な年代を導き出せるかというと、実はそうではない。成長する生物に取り込まれる炭素14の量は、年代や地域によって異なるからだ。よって、そうした自然の変動を考慮して、年代値を修正する「キャリブレーション(較正)」作業が必要となる。

キャリブレーション作業は当然ながら単純な作業ではなく、暦年代が既知である物体の炭素14年代についての長大なデータが必要だ。これまでに知られた最長かつ最重要な炭素14の記録としては、約5万年という海洋堆積物に由来するものがある。

ただし、海洋堆積物がキャリブレーション用のデータとして正確かというと、これまたそうではない。海洋には複雑な海流や地下水などがあることから、炭素14の量がどのように変化したか、さまざまな「仮説」に基づいて補正する必要があるのだ。

このほか、鍾乳洞の鍾乳石、極域のアイスコアなどもあるが、現在までに大気中の炭素14の最も正確とされる直接的な記録は、樹木の年輪である。ただし、樹木の年輪は1万2593年までしか遡れない。なおかつ、西ヨーロッパ、北米、日本など、利用できる地域が限られてしまっているという問題もある。

そうした理由から、世界で複数の研究グループが樹木年輪よりも以前にまで遡れて、なおかつ全世界で利用できる炭素14の直接的な記録を求める調査・探査が行われているというわけだ。

その候補の1つとなるのが、湖沼の湖底の堆積物である。条件が整った湖底の堆積物は、10分の1mmの単位で1年ごとの縞模様の「年縞(ねんこう)」をなす(画像6)。年縞は「土の年輪」ともいわれ、それがきっちりと連続していれば、何万年という時間も現代から1年ずつ遡っていけるので、非常に正確にわかるのである。

画像6。年縞。縞の厚さは10分の1mm単位なので、非常に薄い。それが何10mと重なっているため、すべてを検査するのは非常に至難の業である。(c) Gordon Schlolaut

しかし、年縞はどの湖沼でも得られるかというと、もちろんそうではない。緯度的には南の暑い地域はダメだし、植生が乏しいヨーロッパなども適さない。それでは日本はどうかというと、実はこれが気候や植生の面で非常に適しており、あとは年縞がきれいにできる地形や水質などの条件を満たした湖沼さえ発見できればいいというわけだ。

とはいっても、これまたそう簡単ではない。条件を満たす湖はそうそうないのだ。まず河川の流入があって湖底がかき乱されているような湖はダメだ。また、できた時期が歴史に記されているような新しいものもあまり意味がない(それはそれで欠落なしの年縞があれば情報にはなるので研究されている湖もある)。

さらにいうと、もし年縞があったとしても、欠落のない連続的なものでなければ(技術的に採取するのが難しいこともあれば、大量の火山灰が降り積もった影響でそこから下の年縞が壊れてしまっていたりすることもある)意味がない。また、湖底が深過ぎて作業が難しいがために対象外となる場合もある。

そうした中で、20年以上前、国際日本文化研究センター(日文研)の安田善憲教授(当時は助教授:画像7)を中心として年縞のある湖沼の探索が始まり、アジアで最初に発見された年縞のある湖が、今回の舞台となった福井県若狭町の水月湖(画像8・9)だったというわけだ(世界的には、ヨーロッパの火山湖などで見つかったのが最初だという)。

画像7。中央が日文研の安田教授(左は中川教授、右は北川教授)。今回の成果は、安田教授から始まったのである。2006年、安田教授の60歳のお祝いにて撮影されたもの。写真は安田教授の提供

画像8。水月湖の景観その1。日本にもさまざまな湖があるが、世界に名だたるものはそうそうない。「Lake Suigetsu」の名は地質学会では世界的に知られているのだ。(c) Christopher Bronk Ramsey

画像9。水月湖の景観その2。人工的に手を入れられた部分もあるが、年縞に悪影響を与えるようなことはなかったようだ。(c) Christopher Bronk Ramsey

水月湖は、2005年よりラムサール条約に基づく登録湿地となっており、同時に鳥獣保護区でもある。若狭湾国定公園の三方五湖(みかたごこ)の内の1つで、周囲9.85km、面積は416ヘクタールと五湖の内で最も大きい。湿地タイプとしては潟湖となり、湖水は汽水(淡水と海水が交わった水)だ。平均深度は3.4mだが、最大深度は34mである。

瀬戸水道でより上流に位置する淡水湖の三方湖とつながっており、また人工開削によってできた浦見川で若狭湾に近い久々子湖に通じているが、直接流れ込む河川は存在しない。前述した通り、流れ込む河川が存在しないというのは好条件の1つである。

さらに、水月湖の湖底は無酸素状態であるという点も好条件の1つ。生物が棲めないというのは環境的にはあまりよいイメージではないかも知れないが、堆積物が保存されるという点では、湖底に生物がいないというのはとてもいいことなのである。

そうした条件が重なった結果、毎年毎年、春から夏にかけて繁殖する藻類の「ケイソウ」の死骸(ケイ酸質の殻)の白い層と、秋から冬かけてのは落ち葉や種子なども含んだ粘土鉱物の黒い層が交互に堆積し、そのほかにも花粉や火山灰、黄砂、枝なども含んで湖底できれいな縞模様(画像10)が描かれ、非常に良好な年縞となったというわけだ。

年縞の1つの縞は10分の1mmという厚みしかなく、顕微鏡を用いて数える必要がある(画像11)。しかし、樹木年輪と同様に補正なしに1年ずつ遡っていける点が非常に優れた点だ。なお、この1年に1つの縞というのは湖ならではの特徴であり、海洋の場合は堆積速度が遅く、どれだけ分解能を上げても1つの縞が1000年単位になってしまうのだという。

画像10。画像6の一部を拡大したもの。クリーム色なども含む白系の部分と、それよりも濃い黒系の部分が交互に来る層構造が見て取れる。(c) Gordon Schlolaut

画像11。2年半程度かけてやっと1mmの厚さとなる。いくら層構造をなしているとはいえ、顕微鏡を用いた肉眼での検査では、境目が微妙な場合もある。右側は特殊な光源を用いて撮影したもの。(c) Gordon Schlolaut

今回の水月湖での堆積物の採取作業は2006年に行われ(1993年に安田教授らが1回目の採取を行った)、4カ所をボーリングした(画像12)。1993年のコアは「SG93」、今回のコア「SG06」と呼ばれる。ただし、湖底の堆積物は70m以上もあり、1本の連続した試料として掘り出すことは無理である。そのため、4カ所の穴からそれぞれ1m程のコアを掘り出した上でパターンマッチングさせて、ほぼ完璧な1本の土の層に復元し、70m強のコアとしているというわけだ。

画像12。水月湖上にプラットフォームを作り、ボーリング作業を実施している様子

その70m強の中の縞を数えるのは非常に大変だ。前述したように顕微鏡で数えるため、1日に5cm程度(約50年)が限界だという。そのため、70mオーバーの5万年強分の年縞を数えるのに、5年という歳月が費やされた。なお、最初の1万2200年分は樹木年輪記録との照合が行われ、年代目盛りとしてより正確になっている。

なお、これだけ膨大な年縞カウントするとなると、もちろん、1つの方法で1人が数えたのでは正確さを欠き、数え間違いがありえるのはいうまでもない。

そこで顕微鏡観察と同時に、世界でも数えるほどの台数しかないという、縞分析に適した「蛍光X線(マイクロXRF)スキャナー」による超高分解能元素分析でのカウントも行い、お互いをフォローしながら5万2800年と数え上げたというわけだ(画像13)。

画像13。蛍光X線スキャナーによるデータ。含まれる物質の違いにより、波形が変化する

ちなみに、これだけ長期間にわたって1年に1縞の連続的な縞模様が保存されているのは世界でも3例しかなく、さらにいえばここまで研究されているのは水月湖のみだという。また、海洋堆積物や鍾乳石中などの間接的な炭素14の記録も、実は時間でいうと約5万年前が限界であり、水月湖はそれに追いつき、正確さで大きく勝ったというわけだ。

この水月湖の湖底堆積物による年代目盛りは直接的に大気に由来していることから、現在、最も正確かつ最長の年代目盛りとなる。もちろん誤差がないわけではないのだが、それも5万2800年でわずかに±169年。一見すると、結構不正確に感じるかも知れないが、これは1日に直すとどれだけ正確かがわかる。たったの±4分52秒なのだ。

この数字は、もはや従来の地質学のレベルを超えているといっていい。さすがに現代の日本で、ここまで不正確な時計でもって生活している人はまずいないだろうが、人間が感覚としてとらえられる時間スケールに入ってきたことは間違いないレベルなのである。

そして今回の研究でのポイントは、ただ水月湖の堆積物で5万2800年遡っただけではない。それを世界標準とする作業も行ったことである。それが、堆積物に保存された葉の化石の炭素14を調べたことだ。その数、実に808点(画像13~15)。1つの研究地点から得られたデータとしては、808点という炭素14年代は、中川教授によれば「とてつもなく膨大な数」だそうだ。

画像14。年縞から取り出された落ち葉の数々。(c) Richard Staff

画像15。取り出された落ち葉の1つで、2万4700年前のもの。(c) Richard Staff

画像16。こちらは、3万3800年前の落ち葉。(c) Richard Staff

808点の葉の化石は、当然、年縞のどこに含まれていたかで、正しい年代がわかる。こうして組み合わせることで、炭素14年代のキャリブレーション用の参照データとして用いることが可能になるというわけだ。

なぜこれで世界中で使えるかというと、例えばどこかで何かのサンプルを得られたとしよう。とてもおおざっぱな説明ではあるが、そのサンプルから得られた炭素14年代の結果と、そっくり同じとまではいかないにしても、似ているものを808点の中から探し出せばいいのだ。808点もあれば、まず似たものは見つかるということで、似たものが見つかってしまえば、その808点はどれをとっても年縞年代がわかっているので、あとはそのサンプルが出土した地域などのデータを考慮することで、従来よりももっと正確なキャリブレーションを行えるというわけだ。

ちなみにこれぐらい正確だと、これまで調べられたさまざまなものの年代測定記録の大きな修正が必要になるのではないかと思う人もいるかも知れない。さすがに年代が大幅に変更されることまではないというが、例えば考古学では、出土品などが場合によっては数100年単位の修正が生じることもありえるという。

それから、今回の水月湖のデータが、今後の世界中の研究の年代測定においてどのように活かされるのかというと、国際的なワーキンググループ「INTCAL」が選定した、キャリブレーション用のデータセットに組み込まれて使用されることになる。

INTCALのデータセットは、これまでに得られた海洋、鍾乳石、樹木年輪などのさまざまなソースから得られた信頼性の高いデータが組み合わせられており、現在は「INTCAL09」が最新版だ。

ただし、INTCAL09は最終氷期(7万年前に始まり1万年前に終了)の期間は、サンゴや海洋堆積物、鍾乳石などからのデータにさまざまな仮定に基づいた補正を施すことで算出されており、今なお議論の余地が残されているという。

北川教授は、1993年秋に文部省(当時)科研費重点領域研究「文明と環境」プロジェクトとして、国際日本文化研究センターの安田教授のグループが1回目の水月湖のコア採取(SG93)を行った際に助手として参加していたのだが、その北川教授が個人的な見解としていうには、「INTCAL09は暫定的なもの」だそうだ。

しかし、今回のSG06からの炭素14年代のキャリブレーションデータは、SG93コアの解析で指摘された問題のほぼすべてを解決している。SG93の時は、欠落なく連続的にコア採集をすることができなかったのだが、今回はSG06の4本にSG93の1本を合わせた5本のコアを対比させ、その連続性を保証することに成功した。また、SG93の時にはまだなかった蛍光X線スキャナーという技術の進歩の恩恵にも授かっており、SG93の時の年縞編年とは比較にならない高精度でのデータも得られたというわけだ。

こうして、水月湖からのキャリブレーションデータセットをINTCALに組み込むことで、過去5万年の世界中の人間の歴史や気候変動、各種イベントを同じ時間軸でより正確に論じることが可能になるのである。

なお、INTCALに水月湖の分析結果を組み込むことは、20年におよぶ日本の研究者の夢であり、中川教授は「20年来のジャパニーズドリームの実現」という。そして、去る2012年7月13日にパリのユネスコ本部で開催された500名以上の研究者が参加した世界放射性炭素会議総会で、遂に水月湖のデータが組み込まれることが正式に合意され(次のINTCALは来年発表の模様)、事実上水月湖が過去5万年の標準時になることになったのである。

また米延准教授によれば、海洋堆積物や極域のアイスコア、鍾乳石など複数ある中で、水月湖のような湖沼堆積物は、人間圏に近い地域での環境変動の情報を得られることも大きいという。

水月湖の堆積物(画像17)には、前述したように、ケイソウの死骸、落ち葉、花粉、火山灰、黄砂、枝などが含まれるわけだが、それらを調べることで、過去の気候、湖沼の水質・水温、周囲の植生、周囲の森林なども含めた環境、さらには火山噴火、地震、津波、そして人類の活動による自然改変も検出することが可能だ。要は、人類社会と自然との相互作用を明らかにできるというわけである。

画像17。堆積物を肉眼で見たスケール。ただの縞模様にしか見えないが、そこにはさまざまなものが含まれる。中川教授は、50万個の花粉の化石も調べたという

画像18。画像14の葉の1枚を拡大したもの。水月湖の水温、無酸素といった環境が、葉を腐らせずに長く保存している

米延准教授は、現在、文部科学省科学研究費補助金・新学術領域研究の助成を受けて、「環太平洋の環境文明史」という大型のプロジェクトに携わっている(2009年~2013年度)。その中で、中米のマヤ・アステカ文明、南米のアンデス文明、琉球などの島嶼(とうしょ)文化、東南アジアのクメール文明、そして日本本土も含めた環太平洋地域の古代文明の盛衰と自然環境の変動との因果関係を調査中だ。

このプロジェクトにも、今回の水月湖からの年代目盛りを適用できることになった。よって、例えばこれまでなら初期の約4000年分の年代測定の精度が低かった縄文時代(現代より約3000年前から約1万6000年前まで)の考古学も、より正確な年代目盛りで研究ができるようになったというわけである。このほかにも、各地で採取した試料の分析が現在も進行中で、今後はこうした広い地域の環境と文明の変動を正確な年代軸に沿って対していく予定だとした。

そして、今回の水月湖で得られた正確な年代目盛りは、災害予測などにも役立つ。原口准教授が関わっているのが「災害予測などへの応用」であり、東日本大震災の津波の被災地で津波堆積物を用いた研究を行っている。その結果、過去6000年間に、500~800年感覚で繰り返し巨大津波が発生していることがわかってきたという。

中には、平安時代に仙台平野を襲った貞観津波の堆積物も見つかっており、この津波を起こした地震は連動型の超巨大地震だった可能性があることもわかってきている。

しかし、「6000年の間に500~800年間隔で大津波があるから注意してください」という地質学的時間スケールで警告したところで、一般市民にはまったく危機感も何も湧かないことだろう。

そこで、より正確にイベントの年代や特徴などを記録することが、より正確な将来の災害予測へつながると考え、研究や調査を続けているわけだが、地層による高分解能の古環境解析には、これまで解決すべき2つの課題があったのである。

それはもちろん、欠落のない連続的な地層の記録と、正確な年代目盛りなのだが、それを解決したのも今回の水月湖プロジェクトというわけだ。例えば、今回のSG06の中には、7240年前と3万年前の南九州の火山の大噴火の証拠も記録されているという具合だ。そのほかにも地震や洪水の痕跡が保存されているという。古文書のレベルではない、人が(少なくとも日本人が)文字情報などを残せないような遙か昔のイベントもわかることから、原口准教授によれば湖沼堆積物は「マルチ記録計」なのである(画像19・20)。

画像19。コア採取時の様子の1枚。水月湖漁業組合の冷凍庫に保管された、SG06の多数のコア。写真提供は中川教授

画像20。水月湖に隣接した公共駐車場に設けられた作業場。コアの写真撮影や補助的なサンプリングなどが行われた。写真提供は中川教授

しかし、湖沼など世界中で数えたらどれだけあるかわからないし、日本に限ったとしてもいくらでもあるにも関わらず(実際、水月湖のすぐ周囲にも4つの湖があるが、それらは適していない)、どうして世界でも水月湖しかこのようなきれいで長大な年縞がほかでは見つかっていないのかというと、それだけ条件がそろうのが難しいからだ。

前述したように、湖底をかき乱す要素である直接流れ込んで来る川がない、湖底は無酸素状態で生物がいないというのがまずある。そしてもっと重要なのは、遙か太古からその湖沼が存在している、ということ。例えば、一部のカルデラ湖などのように、人の歴史上でいつできたかがわかっている湖沼もいくつもあるわけで、樹木年輪を上回るような時間で存在していなければ意味がないのだ。

また緯度的に日本の辺りがいいというのは、植生が豊かなことが1つ。そしてもう1つは、もっと南方に行ってしまうと、水温が高くなって落ち葉が腐ってしまうからダメなのである。もちろん、北に行って寒くなり過ぎてしまえば、植生がやはり豊かではなくなってしまう。緯度的にはヨーロッパも問題はないのだが、実は植生が豊かではないため、やはり適していない。よって、年縞を探すという点でも、日本は非常に恵まれた土地といえるのだ。

ちなみに、日本にはほかに年縞のある湖沼はないのかというと、実は複数ある。秋田県男鹿半島の一ノ目潟(日本では数少ない「マール」と呼ばれる、噴火後の爆裂火口に地下水が溜まって形成された火山湖)、長野県の下伊那郡阿南町ある深見池(1662年に地震による地滑りで形成)、青森県三沢市の北部にある小川原(おがわら)湖(青森県一、全国11位の大きさを持つ)で、鳥取県の中央に位置する東郷池(鳥取県で2番目の大きさを持つ)などだ。これらは、現在も調査・研究中のものも多いが、やはり水月湖が最も条件がいいようだ。

そして最後に、今回の研究プロジェクトの概略も説明された。堆積物コアの採取には、主として英国のNERC(Natural Environment Research Coucil)から中川教授が代表者として獲得した助成金と、米延准教授の前述した文部科学省科研費を使用して実施し、試料の分析には中川教授がNERCから得た別の助成金が使用された。

よって、安田教授による1993年のコア採取、北川准教授によるアイディアの萌芽と開拓期の研究、その経験を踏まえた2006年の2回目のコア採取、そしてその後の分析と、一貫して日本人のリーダーシップによって遂行された研究プロジェクトといえる。まさに「20年越しのジャパニーズドリームの実現」なのである。

そして安田教授が20年前に描いた、人間の歴史を考える上で重要と考えられる「過去の数万年間の気候変動研究や植生変動を年単位で復元する」という目標も、いよいよ実現が近づいてきたというわけだ。

私事だが、先日、113番新元素の命名権獲得に王手がかかった旨のリポート記事を書かせてもらったが(記事はこちら)、日本人科学者ならではの粘り腰による先駆者から受け継がれてきた夢の実現が、またここに結実したという場面に立ち会うことができて非常に嬉しい限りである。日本人として、誇らしい限りだ。日本人はすごいんだということを、もっともっと日本人に知ってもらいたいと強く願う。

今回の水月湖のキャリブレーションデータセットは一部の研究ですでに活用が始まっているが、来年に最新版のINTCALが発表されれば、世界中で使われることとなる。世界中の年代測定の精度がより上がっていくわけだ。近い将来の、その精度の上がった研究成果が報告される日を楽しみに待ちたいと思う。