県歌「信濃の国」楽譜1ページ目。どこか懐かしいメロディーだ

皆さんは、自分が住んでいる県の「県歌」を歌えるだろうか? 筆者は恥ずかしながら、存在すら知らなかった。しかし、長野県民は全員、長野県歌「信濃の国」を歌えるのだとか。本当かどうか気になったので、長野出身の友人に「『信濃の国』、歌える?」というメールを出してみた。

すると、「しっなのーのくにはーじーいしゅうにーきーたにのーりくらこーまがったけ~」という返信が! まさか、メールで「歌われる」とは思っていなかったが、確かに歌えることは分かった。さらに詳しいことを聞いてみよう。

「小学生の時に学校の授業で習ったよ。歌詞が難しいから、高学年になってからだったと思うけど。『信濃の国』は運動会やキャンプで歌っていたかな。あと、大人は酔っ払うと、みんなで歌ったりする」。ということは、学校教育の一環として教えられているものなのだろうか。

長野県民が「信濃の国」を歌えるワケ

県歌「信濃の国」歌詞。長野県民は6番まで歌えるという

平成24年度の学校経営概要によると、「信濃の国」を歌う機会のある長野県内の小学校は、93.9%にものぼるという。そこで、長野県教育委員会に、「信濃の国」を小学校で教えるという教育方針があるのか尋ねてみた。

「県では、『信濃の国』を学校で必ず教えるようにというような強制はしていません。ただ、歌の内容に長野の地理や名所について詳しく書かれているので、地域を学ぶ良い教材として、授業に活用していただけるよう働きかけています」。

前述の友人は「校歌よりも真剣に練習させられた」といっていたが、強制的に教えるのではなく、長野のことをより知るために活用されているようだ。ところでこの歌、いつごろから県民に歌われているのだろうか。大人が歌えるということは、昔から存在するものなのか?

「信濃の国」が誕生した経緯など、詳しい話を、長野県総務部広報県民課県民の声係の土屋さんに尋ねた。すると、「『信濃の国』は明治32年(1899)に浅井洌(きよし、または、れつ)氏に作詞され、翌明治33年(1900)に北村季晴(すえはる)氏によって曲がつけられました」とのお答え。

「当時、日本は日清戦争の勝利にわき、学校でも唱歌(現在の音楽にあたる科目)の教材として軍歌が歌われていたんです。そうした風潮を懸念して、信濃教育会が長野の地理や歴史を取り入れた唱歌教材を作ることを考えたのが明治31年(1898)。そして、長野県師範学校の教諭だった浅井洌氏、北村季晴氏に依頼したそうです」(土屋さん)

ちなみに「信濃の国」は、「信濃唱歌六編」のうちの1つとのこと。当時の長野師範学校の行事で歌われるようになり、教師として県の各地へ赴任した師範学校の生徒たちが、唱歌の教材として児童に教えるようになったそうだ。

長野がよく分かる「信濃の国」の歌詞

前述のとおり、「信濃の国」には長野の名所が随所に登場するという。となると、ぜひ歌詞にも触れてみたい。「信濃の国」の構成は七五調を基本としていて、長野県の地理・歴史のほか、産業、名勝旧跡、人物など、幅広い分野が描かれている。

四季折々の表情をみせる御嶽山

乗鞍岳。冬はスキー客で賑わう

具体的には、1番の歌詞は総論、2番では、御嶽山(おんたけさん)、乗鞍岳(のりくらだけ)、駒ヶ岳(こまがたけ)、浅間山などの山々。そして、犀川(さいがわ)や千曲川(ちくまがわ)など、長野の地理が歌われている。3番では信濃の特産物が、4番では、「寝覚めの床(ねざめのとこ)」や、「筑摩(つかま)の湯」、姨捨山(おばすてやま)などの名所が紹介されていた。

日本初の山岳ロープウエイも走る駒ケ岳

浅間山は世界でも有数の活火山である

現在「信濃の国」は学校での授業のほか、カラオケや県人会の集まりでも歌われているという。また、CDも販売されており、ほぼ毎月、県内外から問い合わせがあるそうだ。中には英語バージョンや、ユーロビートバージョンなどもあるというから驚きだ。

また、長野県庁では毎年、仕事はじめの式で「信濃の国」を歌っており、電話の保留音や、議会の"一鈴"で「信濃の国」のメロディーを使用しているとのこと。1998年に開催された長野オリンピック冬季大会でも、日本選手団の入場行進に流れたという。

数多の詩歌に歌われてきた千曲川

犀川ではラフティングも楽しめる

重要な局面で歌われてきた「信濃の国」

「信濃の国」に関して、長野県では過去に2つの大きな出来事があった。ひとつは昭和23年(1948)に長野で起こった「分権騒動」。県庁が北信にあったことから、(中)南信地方は長野県から別れるべきではないかという「分権論」が、県議会で審議されることになった。

その際、傍聴席と議事堂の周囲から一斉に「信濃の国」の大合唱が起こり、結果として分県は不成立に。郷土愛あふれるエピソードに、思わずウルッとしてしまいそうだ。

また、昭和28年(1953)に、浅間山の麓(ふもと)を米軍の演習地として利用する話が持ち上がった時の話だ。反対運動の大会で「信濃の国」が大合唱され、演習地受け入れの阻止決議がされたとか。

どうやら、「信濃の国」は長野県民を強く結託させる力を持っているようだ。「様々な世代に歌い継がれていることや、過去にこうした出来事があったという背景から、この歌を歌うことで県民がひとつになれるという意識があるからではないでしょうか」と、土屋さんは語ってくれた。

「日本書紀」にも記された、歴史深い美ケ原温泉

渓谷美を楽しめる寝覚の床

長野県民の郷土愛が感じられると同時に、長野の名所や歴史も学べる「信濃の国」。長野に行く時は、この歌の歌詞を参考に名所などを巡ってみれば、よりいっそう土地の魅力を味わえそうである。

写真提供:信州・長野県観光協会