祇園山笠は九州男児の男らしさの見せどころ

「見た? 女の子が支払いしよったよね!?」。場所は鹿児島の人気リゾートホテル。博多から遊びに来た筆者が友人とチェックアウトで並んでいたところ、前にいた若いカップルに目が留まった。年は20代半ば。男性がバックや買い物袋など荷物を全て持ち、女性が財布を開いて堂々と支払いをしていたのである。

前の晩、最上階のショットバーでも筆者たちはこのカップルと一緒だったのだが、支払いは全て彼女持ちのようであった。この光景を観察していた博多出身の30オンナ2人。帰りの車中で、このカップルの話題で盛り上がること盛り上がること。というのは、ふたりとも九州生まれ福岡育ちの、生粋の九州オンナだったからである。

九州オンナにとって、女性の後ろを歩く男性はNG

九州の女の子は一歩下がって「男を立てる」?

九州オンナである筆者としては、パブリックな場でのデートでの支払いやはり男性に動いてほしい。そして、できれば男性には、ああいう場所では堂々と女性をリードにしてほしい。そんな願望が心の奥深くにある。

30代という年齢もあるのかもしれないが、筆者から見ると「人目のある場所で、食費も宿泊費も女性が全て出す」「みんなの前で、女性は手ぶらで男性の前をガンガン歩き、男性が荷物を全部持って小走りについて歩く」という姿には、少し戸惑ってしまう。

もちろん、オトコとオンナの関係性なんて本当はどんな形だってアリだってことは分かっている。筆者のような九州オンナが気にするのは、公の場での自分たちの在りかた、というか恋人同士の立ち居振る舞いなのだ。公の場において、まずは男性がオモテに立ってみせ、女性はウラで彼らを支えてみせる。古き良き日本の男女のあり方が、今も人々の暮らしに根づいているのが九州なのである。

「ごりょさん」として生きる女性もまたすてき

今に生きる町の文化として、分かりやすい例を挙げると、博多っ子が大好きな、祇園山笠という夏祭りがある。この祭りの山車(だんじり)を担げるのは、なんといっても男だけ。直接参加できない女性は、昔から「ごりょんさん」と呼ばれ、徹底して裏方に徹し、オモテに立つ男たちを支えてきた。

昔は夫がこの祭りに全力投球するあまり、自分の店(博多は商店の経営者が多かった)を放り出すこともあった。そのため祭りの間、奥さんが主不在の店を懸命に切り盛りする姿が多く見られたという。

この「ごりょんさん」の理想的な姿として、博多で以下のように語られてきた。テキパキと仕事をこなすが、決して出しゃばらない。公の場ではまず夫を立て、いざという時には勇ましく夫の代わりに矢面(やおもて)に立つこと。そして家庭では良き母。それが博多の人なのだ。

さすがにこれを聞くと、うひゃあ保守的だ! と筆者も思う。しかし「『ごりょんさん』なんてとんでもないわ!」という博多のキャリアウーマンの友人ですら、九州で結婚し、夫の同僚たちが自宅に遊びに来るといそいそと買い出しに出掛ける。そして手料理を作り、夕食の後片付けはひとりで行っているのだから面白いものだ。

「ちょっと、あなたこっちに来て、まずは一緒に洗ってよ」なんて夫に呼びかけ、くつろぐ男性陣の中から自分の夫をひっぱり出してキッチンで手伝わせる博多オンナを、筆者は一度も見たことがない。

家庭をしっかり切り盛りする「ごりょんさん」。自然と憧れてしまう

九州男児は本当にいい夫にはなれないのか?

ちょっぴり亭主関白。一本気、頑固、豪快、逞(たくま)しい、酒豪などのイメージで語られるのが、そう。誰もが知っている「九州男児」だ。熊本の「肥後もっこす」、鹿児島の「ぼっけもん」など、ワイルドでタフな九州男児を面白おかしく、しかし愛のある言葉で表現することが多い。

もちろん、人の価値観は様々。よくとらえる人もいる一方、悪く言う人もいるのは自然なことだ。少し前のデータにはなるが、2010年にプラチナ・ギルド・インターナショナルが、「良い夫はどこの出身者が多いか?」というユニークなアンケートを行っている。これを見るなり大爆笑してしまったのだが、下位に続々と九州勢が挙げられているのだ。

下から5番目にランキングされた鹿児島県は、九州の中でもとりわけ保守的、男性上位の文化があると思われている。かつては「薩摩隼人(さつまはやと)」と呼ばれ、辺境の地であった薩摩を圧倒的な武力と並外れたストイックさで統治していた男たち。今でも上下関係に厳しく、保守的といわれる鹿児島では、「男尊女卑がある」と批判する女性も多いと聞く。そこで、鹿児島オトコを夫に持つ女性キャリアウーマンに、その実態を聞いてみようと、ある女性経営者に取材を試みた。

「匿名ならばいいわよ」という返事と共に、なんと夫を連れて現れた彼女は鹿児島生まれの鹿児島育ち。成功した水産加工会社の女社長である。会長(夫)と一緒に約40年間(!)会社経営をされている女傑(じょけつ)だ。正直、男のようないかつい見かけ。そんじょそこらの若い兄ちゃんなら、片手で吹っ飛ばしそうな雰囲気だ。

「鹿児島はね、海に恵まれた土地柄、漁師の生活の影響が強いのよ。乳飲み子を抱えた母親が船に乗るのは不可能でしょう。世界中どこを見てもそうだけど、海は、やっぱり男の世界よ。危険だしきついのよ。だから、外に出て命がけで働く男を、妻である女は立てるようになってきたのね」。

一方で男たちは、いつも妻に陰ながら助けてもらっているため、万一家族に何かあれば、自分が盾になって子供や女を守るように、小さい頃から男っぽくしつけられるんだとか。

ピンチは男らしさを発揮する最大のチャンス!?

ここぞという時に九州男児は魅力を発揮する?

「昔、母と私が道でヤクザまがいの商人に絡まれた時にね、もうかなりの年だった父が一喝して彼らを退散させたことがあったわ。突然ものすごいけんまくで。私たちの方がびっくりしたくらい。危険に直面したときの薩摩隼人は、本当にすてきで頼もしかったのよ」。

会長と並んでも互角の体格を誇る女性経営者は、うっとりしながらそう最後を締めくくったのである。ここに、九州オンナのほれる九州男児の姿があるのだろう。女だってドライな生き物だ。単なる男尊女卑の幼稚な男なら、うんざりして県外へ出て行くはずである。そうならないのは、オンナを恍惚(こうこつ)とさせる「何か」を彼らが持っているからだろう。甘えん坊でも亭主関白でも、いざという時は「自分が盾になってでも、家族を、女を守ることができる」真性の男っぽさ。これなのではないか? 

「危険に面したときのお父さんって、本当にすてきだった」。そう、しみじみと娘に語れるような九州男児に、いつか筆者も出合ってみたいものである。

しかしここまで来てハタと気づいた。危険に直面しないと発揮されないのか? 彼らの男らしさとは。となれば、今の平和な日本では、筆者は彼らの魅力を永遠に悟ることができないかもしれない!?