カシオ計算機が世に送り出した世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」が登場してから、2012年8月3日でちょうど40年。そこで、当時開発に直接関わったカシオ計算機の代表取締役 副社長、樫尾幸雄氏にお話を伺った。

―― まずは歴史的な背景からお伺いしたいと思います。電子式卓上計算機(電卓)を手掛けるようになったのはどういう経緯だったのでしょうか?

カシオ計算機 代表取締役 副社長 樫尾幸雄氏

樫尾氏「カシオ計算機は、リレー式計算機『14-A型』の完成とともに創業し、計算機の専門メーカーとしてスタートしました。14-A型は1957年に完成し、そのとき主流だった歯車を使った電動式計算機より操作性も計算機能も優れていたことから、幅広い業種で本当にたくさん導入してもらいました。正直、向かうところ敵なしという感じでしたね。

そして1964年頃、トランジスタを使った電子式の卓上型計算機(編注:これを略して"電卓"と呼ぶようになった)が他のメーカーから登場し、電子式の時代が始まっていました。ただ、その頃の電子式卓上計算機は故障したり不安定になったりすることが多く、我々は『まだまだリレーでもしばらくいけるだろう。その間に電子式へ切り替えていけばよい』と考えたのです。もちろん、将来を見据えて電子式の研究と開発も極秘に進めていましたが、まだ主力はリレー式で、開発担当だった樫尾俊雄(当時専務・故人)は、新開発の小型リレーを使ったリレー式計算機『81型』を開発していました。

そこで究極のリレー式計算機をアピールしようと、販売店の責任者を集めて発表会を行いました。ところが、掛け算は今までより速いものの、割り算が遅い。口の悪い人からは『計算までタバコを一服できるよ』とまで言われました。この結果を見て、みんなシラけてしまい、帰ろ!帰ろ!という雰囲気でした」

カシオ計算機・羽村技術センターのロビーに展示されているリレー式計算機(14-B型)。背面にはリレー回路がびっしり。生産から50年近くたった今でも、しっかりと動作する。ただ、現在は14-B型のメンテナンスや修理ができるのは、今回お話を伺った樫尾幸雄氏などほんの数名しかいないそうだ。実際に動作している動画は、別記事で紹介したい

「14-B型」の前に「14-A型」という姉妹機があった。14-A型は、東京・上野の国立科学博物館に展示されている

樫尾氏「これはマズイと思い、ひそかに開発していた電子式卓上計算機を見せました。ケースにも入っていない、電源、キーボード、ディスプレイがむき出しでバラバラの状態です。最初はうまく動かなくて、弱ったなと。基板をひっくり返したらランプが光って、ほっとしたのもつかの間、元に戻したらまた消えてしまいました。悪戦苦闘していると、『カシオさん、そのままでいいよ。横から見ればいいんだから。それでいこうよ、早く作ってよ、販売も頑張るから』と言ってもらえました。

カシオ計算機の電子式卓上計算機、第1号の『001』

きわどいところでしたが、このときこそリレー式から電子式へ移行した瞬間です。そこから会社一丸となって頑張った甲斐もあり、短期間で電子式卓上計算機を発売できました。一からスタートする意味を込めて『001』と型番を付け、さらに当時の電卓にはなかったメモリも搭載しました。今から思うと、リレー式から半導体(電子式)というのは非常に大きな変革でした。それを、社員みんなが頑張って乗り切ってくれたんです」

―― そしてカシオミニへとつながっていくわけですね。カシオミニを開発するきっかけのような出来事や発想はあったのでしょうか。

樫尾氏「リレー式から電子式に移行した当時は、電子式卓上型計算機と呼ばれ、きょう体も大きなものでした。価格は当初の数十万円から、普及とともに3万円台後半まで下がっていった時代です。これを何とかポケットに入るように小型化して、個人でも買える価格を実現できないかと考えました。最初のきっかけと言えるのは、ボーリングの点数計算を簡単にしたかったことですね。

計算は私たちの生活の色んな場面で出てくる、1人に1台の個人向け電卓が必要になる時代が来る、個人向けに家庭で気軽に使えるような電卓にしようと考えました。取りあえず、計算の桁数は4桁あればよい、小数点計算はいらない、それくらいなら実現できるかなという単純な発想でした。4桁あれば、ボーリングの点数計算には足りますよね。

4桁で開発しているうちに、LSI開発担当(当時)の羽方君(元カシオ計算機常務)が、6桁でもいけそうだと言ってきました。値段は1万円以下で、ポケットに入るサイズを目標に、さらに4桁が6桁になるならばなおよい、ということで開発に着手しました」

まさに電卓の歴史を変えた「カシオミニ」

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