俳優として子役時代から着実にキャリアを重ねてきた小橋賢児。2007年に俳優活動を突如休止した小橋賢児は、ドキュメンタリー映画『DON'T STOP!』(2012年9月8日公開)の監督として戻ってきた。

『DON'T STOP!』は、20代前半に事故で下半身と左腕の自由を失ったひとりの中年男性が、家族や知り合ったばかりの仲間と共に憧れのアメリカをキャンピングカーで横断する様子を記録したドキュメンタリー作品だ。登場人物たちと共にアメリカ大陸を4,200キロ旅して、この作品を作り上げた小橋賢児は、いかにして映像制作の世界に転身したのだろうか。

惰性で俳優を続けることに疑問を感じ活動休止

小橋賢児
1979年 東京都出身。8歳で芸能界デビュー。ドラマ、映画、バラエティ番組などで活躍。俳優としての出演作品に、岩井俊二監督の『打ち上げ花火 下から見るか? 横から見るか?』(1995年)、『スワロウテイル』(1996年)、NHKドラマ『ちゅらさん』シリーズ(2001年~20007年)、『あずみ』(2003年)など多数。2007年、俳優活動を休止し、アメリカに留学。帰国後、映像制作を開始し、ドキュメンタリー映画『DON'T STOP!』(2012年)で監督デビュー

――そもそも、小橋さんはどうして俳優としての活動を停止されたのでしょうか。

小橋賢児(以下)「僕は8歳から芸能界にいたのですが、15歳ぐらいから映画やテレビの仕事が急激に増えて、ひたすら忙しい日々を送るようになっていたんです。その頃、自分の心が限界を越えて『NO』と言っているのに、仕事をやり続けているような状態になっていました。その対処法として感覚を捨て、不感症のような状態で仕事を続けていました。その結果として、活躍して周囲に『凄い』と褒められても、自分の心は死んでいて何の感動もないみたいな状態になっていたんです」

――華やかな世界でご活躍しているように見えたのですが、あまり良くない状態だったのですね。

小橋「そんな日々の中で、30歳くらいの将来の自分を想像したんです。このまま心が死んだような状態で俳優業を続けたとして、芸能界でそれなりのポジションを維持して、良い生活ができていたとしても、それがなりたい自分だとはどうしても思えなくて、怖くなったんです。そんな時期にネパールにひとり旅をして、現地で同い年のネパール人の青年と知り合ったのです。彼は、僕と比べたらお金や地位はないのですが、素敵な奥さんと子供がいて、何というか大切なものを沢山持っていました。そこで彼の家族と夕日を見たりして過ごしながら、『俺が守ってる芸能界のポジションって何なんだろう』と考えました。その時、惰性で俳優を続けるよりも、人間としてもっとリアルな体験を沢山したいと思いました」

――そのリアルな体験や感動というものは、俳優業で得ることは難しかったのですか。

小橋「演じるというのは凄いことなので、がむしゃらに芝居に取り組んで得た喜びや感動というのは、もちろん知っています。ただ、当時は本当に365日働き続けるという感じでした。バラエティ番組をやりながら、同時に映画やドラマで5つの役をやっていた時もあります。インプットがないのに、ひたすらアウトプットだけしているという感じで、演技に対する喜びを徐々に失い、演じることも小手先になっていったんです」

――休業するといっても、簡単ではなかったのではないですか。

小橋「事務所に意向を伝え、1年間かけて徐々に休業に向け仕事を減らしていきました」

――休業していたこの5年間ですが、どのように過ごしていたのでしょうか。

小橋「将来どうなりたいか、何がやりたいかもわからなかったのですが、まず英語が全く話せなかったのでアメリカへ留学しました。そのままアメリカ大陸横断の旅をして、その後はインドとか色々な国をひとりで旅しました。とにかく色々な事を体験したかったんです」

映画『DON'T STOP!』
バイクを愛しアメリカに憧れを抱く車椅子の中年男 CAP。彼は20代前半の頃に事故で下半身と左腕の自由を失った。それ以来、実家でくすぶり続けているCAPだったが、ある人物との出会いから、アメリカ ルート66を辿る旅に出ることとなるのだった。
(C)2011「DON’T STOP!」製作委員会