独自色と迷走のOS/2 3.x

1994年(日本は翌年の1995年)、IBMはバージョン3.0に当たるOS/2 Warp V3をリリースしました。これまでのイメージを払拭すると同時に自社オリジナルのOSであることを強調するため、開発コード名の「Warp」をそのまま製品名に使用しています。自社製オフィススイートのIBM Worksをバンドルし、ビジネスユーザーが購入直後から使用可能な構成を選択しました。

また、前バージョンと同じく二つのバージョンを用意。HDD内のWindows OSを検出してWindowsアプリケーションを自動的にサポートする「Red Spine(赤箱)」と、独自改良を行ったWIN-OS/2によって、Windowsアプリケーションの実行を可能にする「Blue Spine(青箱)」が存在しました。いずれもパッケージのデザインから付けられたバージョン名ですが、前述のとおりIBMとMicrosoftは既に袂をわかった状態。それでも、Windows OSに関連する機能を備えたのは、当時発売されていたパーソナルコンピューターの大半がWindowsをプリインストールされていたからでしょう(図05)。

図05 OS/2 Warp V3のスタートアップ画面。イラスト部分は前バージョンを継承しています

外観的にはさほど変化がなかったOS/2 Warp V3ですが、内部的には前バージョンで推し進めていた32ビット化をさらに拡大しており、1994年当時としては数少ない個人が気軽に使用できる完全32ビットOSの一つでした。また、翌年の1995年中盤には、OS/2 Warp V3 Connectというネットワーク機能を備えたバージョンをリリース。NetwareやTCP/IPをサポートし、ネットワーク時代の到来を直接肌で感じることができました(図06)。

図06 こちらはネット接続機能を備えたOS2 Warp V3 Connect Red Spineのスタートアップ画面

蛇足ですが、Microsoft側もネットワークに対するアプローチを行っており、NetBIOS上でSMB(Server Message Block)による通信が可能な「Windows for Workgroups 3.1」を1992年に、翌年にはTCP/IPネットワークをサポートする「同3.11」をリリースしていますが、Winsock(ネットワークサービスにアクセスする技術)は別パッケージ。そのため、当時在籍していた編集部ではWindows 3.1にTrumpet Winsockというシェアウェアを導入し、インターネット接続していたように記憶しています。

話を本題に戻しましょう。このように1994年当時としては安定性も機能も充実していたOS/2 Warp V3ですが、商業的に成功することはありませんでした。その理由として大きいのが、当初は協力関係にありながらも後にはライバルとなったMicrosoftの存在です。同社が開発していたWindows 95(当時はChicago)の存在は大きく、ユーザーも乗り換えを躊躇していたのでしょう。また、シェア争いにまつわるけん制も影響し、OS/2 Warp V3を選択するのは一部のユーザーに限られていました(図07)。

図07 外見的に大きな変化はありませんが、OS/2 Warp V3はいち早く32ビット化を実現した個人向けOSとなりました

図08 1995年に配布された「OS/2 Warp (Power PC Edition) - A First Look」。同OSが存在したことの証拠です

劣勢を強いられた当時のIBMには、OS/2に関連するもう一つのプロジェクトが稼働していました。それがコンシューマーではなくワークステーションに焦点を当てた「OS/2 for PowerPC」です。同社は1995年に従来のIntel製プロセッサではなく、RISCタイプのプロセッサ「PowerPC」を搭載した「ThinkPad Power Series 850」などを発売していました。もともとPowerPCはApple Computer(現Apple)やIBM、Motorolaの3社で開発していたため、IBMが搭載モデルを発売するのは当たり前の話です。

PowerPCプラットフォームで使用できたOSはWindows NT 3.51/4.0やAIX(IBMのUNIX)がありましたが、そこにOS/2の活路を見いだそうとしたのが同プロジェクトの発端だったのではないでしょうか。当時も巨大な同社ですから、コストと人材を集めればOSの移植など簡単に行えたはずでしたが、結果的には関係者に配布されたDeveloper Release Kitに含まれるにとどまり、正式にリリースされることはありませんでした。

プロジェクトの失敗に対して当時はさまざまな意見があります。PowerPC搭載コンピューターの商業的不振や、市場動向の見誤りなどありますが、興味深いのが社内のプロジェクト遅延説。真偽のほどは不明ですが、プロジェクトの遅延をごまかすために管理担当者が、上司に虚偽の報告を行ったという噂話もありました。これらの話を総合しますと、大企業にありがちな"官僚化"が同社にはびこっていたのでしょう。

OS/2 for PowerPCとは直接関係ありませんが、前述したIBMのCannavino氏は1995年3月に当時の会長であるLouis Gerstner(ルイス・ガースナー)氏と衝突し、同社を退社しています。OS/2に数十億ドルが費やされた責任を押しつけられたか否かはわかりませんが、コンピューター業界の巨人となり、各方面に権力を持つようになった同社は人で言うところの"動脈硬化"に陥っていたのでしょう。