第144回芥川賞受賞作『苦役列車』が実写映画化され、7月14日(土)より公開される。作家・西村賢太の私小説を原作としたこの作品で、他に類をみない独特の存在感を放つ主人公・北町貫多を森山未來が演じ、貫多に翻弄される友人・日下部正二役には高良健吾がキャスティングされた。この実力派二人の共演に加え、『リンダ リンダ リンダ』『松ヶ根乱射事件』『天然コケッコー』『マイ・バック・ページ』などを手掛けた山下敦弘監督作品ということもあり、話題を呼んでいる。

映画『苦役列車』の舞台となるのはバブル直前の1980年代半ば。中卒であることをコンプレックスとして抱える貫多は、倉庫での日雇い労働で生計を立てていた。その仕事場に専門学生の正二がアルバイトとして入ってくる。同い年であったことから意気投合した二人は酒を酌み交わし、風俗などにも同行する仲に。貫多が足しげく通う古本屋の店員・桜井康子(前田敦子)も交えて青春を謳歌するようになるが、2人の"友達"との関係に貫多は戸惑い始める―。

友情、恋愛、性欲、仕事、生きる道…etc. 悩み多き19歳の若者を演じた森山と高良が、本作が持つ力について語ってくれた。

森山未來(左)と高良健吾
撮影:島田香 拡大画像を見る

――登場人物も少なく、ある特定の町の中だけで展開する物語ですがあまり閉そく感がありません。その理由はどんなところにあると思いますか?

森山「確かにそうなんですよ。家と飲み屋と仕事場のシーンがほとんどなんですよね。それでもあまり息苦しくないのは、貫多が外に出て行っているからじゃないでしょうか。映画の中の貫多は原作よりも人と関わっている時間が多いように感じます。そして、もう一つ思うのは、貫多の持つ閉そく感と現代社会が抱えている閉そく感の質が違うという部分。彼が何かしらの閉そく感を抱えてはいるのは間違いないけれど、今を生きる僕達から見るとそれほど息苦しくない。きっと、貫多が生の人間と接しているからなんでしょうね」

高良「貫多の人間臭さはすごく力強いですね。完成した作品を見て一番感じたのは、貫多のエネルギーが溢れまくっているなということ。彼は付き合うと面倒くさいけど、ほっとけない人物ですよ。次に何を言い出すのか気になるし、その言葉を聞いてみると“それ言っちゃうんだ!?”というような言葉がどんどん出てくる(笑)。僕は当然、台本を読んで演技に臨みましたが、それでもさらに想像を越えてくるエネルギーがありました。映画を見る人もそうだと思いますが、正二も康子も高橋さん(マキタスポーツ)も、それにずっと引っ張られていきます。貫多はひどいことも言うし決して品行方正ではないですけど、彼のエネルギーがど真ん中にある感じは、見ていて悪くなかったですね」

『苦役列車』

――「貫多は面倒くさい」という言葉が出てきましたが、彼と正二の関係はいわゆる"親友"とはちょっと違いますよね?

森山「映画などで描かれる友情って、確かめ合うことが多いじゃないですか。『俺たち友達だよな』ってほど直接的でなくても、そういうエピソードが描かれたり。ただ、貫多と正二の関係は、『俺たち友達だったよな?』っていうセリフにうまく表現されている気がします。よくよく考えると、それどういうこと? とは思いますけど(笑)。貫多が正二を古本屋に連れて行った時に、窓の外から康子の様子をうかがうシーンがあります。店の外に置いてある本棚のところで店内の様子をうかがっている時に、正二が『お前、こんなところに良く来るのか? こんな本読むんだ。すげえな』と言うと、『いや本だけは読むよ』と貫多が答える。すごくさりげない会話なんですけど、あの正二の言葉だけで貫多は一生生きていけるような人間なんだと思うんです。

途中で二人の関係が途切れたとしても、その言葉を糧に小説を書いたりできてしまう。原作では、2人がまったく顔を合わせなくなった何年か後になって、郵便局員になった正二からハガキが届くんです。“住所変更しました”とかそんな程度の内容ですけど、貫多はそれにちゃんと目を通しむげにできない。『サブカルだの何だのといろいろ言っていたくせに、結局、郵便局員か』とやや斜に構えた見方はしますけど、その関係は消し去れない。きっと、貫多はそういう人とのつながりを消し去れない人なんですよね。友情の捉え方って人それぞれ違いますし、どこからどこまでが友達の関係なのかはなかなか線引きできませんよね。ただ、この二人に関しては“貫多なりの友情”というものは確実にあったと思います。そして、貫多はそれに対して意外と誠実な人間です」……続きを読む