ICTがわれわれの生活を全面的に変えている――モバイルにより"いつでも・どこでも"ネットにアクセスが実現し、インターネットの雲の中には百科事典、検索、ソーシャルネットワークなどのさまざまなサービスがある。ブロードバンドやモバイルの普及率が経済に与える影響については、さまざまなデータから実証済みといえるが、教育を変えようという取り組みが始まりつつある。

11月のある週末、香港に世界中の情報通信関係者、ベンチャー起業家、政府関係者、そして教育に携わる人々が「NEST(Networked Society Forum)」に集い、ICTが教育をどのように変えることができるのか、教育はどのように変わるべきか、ICTはどのように活用できるのかなどについて、意見が交換された。

NEST Forumは11月11日から3日間、香港で開催された。通信、IT、政府、学者、起業家などが集まり、教育とICTをテーマにディスカッションが開かれた。

NESTを主催したのは、通信機器メーカー最大手のEricsson(スウェーデン)だ。「スマートフォンは通信業界、ビジネスに大きなインパクトを与えたが、社会に与えるインパクトは何だろうか?」とEricssonでCEOを務めるHans Vestberg氏。第1フェイズがモバイルブロードバンドの浸透というインフラ整備であれば、第2フェイズはこのネットワークを活用する段階となる。NESTフォーラムは第2フェイズへの架け橋を目指すEricssonの取り組みとなる。

EricssonのCEO、Hans Vestberg氏

NESTの最初のテーマに教育を取り上げた背景として、Vestberg氏は、教育は基本的人権だが、世界には7000万人の子供たちが学校に通うことができないという実態を突きつける。「10人に1人の子供が、初等教育を受けていない」(Vestberg氏)。モバイルネットワークの人口カバーエリアが90%に達しつつある中、業界は教育について再考するユニークなポジションにある、と続ける。

インフラ側では、ネットワークだけでなく端末側の進展も目覚しい。安価な携帯電話はもちろん、タブレットブームにより低価格のタブレットが登場しており、たとえばインドでは35ドルの学生向けタブレット(販売奨励金付き)が実現しているという。パキスタンでは、携帯電話を使って読み書きの学習を奨励する女子向けの教育プログラムをモバイルキャリアが展開しているという。

JoliCloudを設立したTariq Krim氏

初等教育にとどまらない活用も模索されている。たとえば米国。成長国であり、途上国のような初等教育へのアクセスは問題ではないが、大学など高等教育の学費の高さは大きな障害になっている、とコロンビア大学で教鞭を執る経済学者のJeffrey Sachs氏が指摘した。高校の授業料無償化の動向が注目されている日本にも、当てはまる問題だろう。「ICTが教育にもたらす最初のメリットはコスト。教育を提供するコストが大きく下がる。2つ目のメリットは情報。だれもがアクセスできるようになる」と述べ、ICTにより学費が下がることに期待を見せた。

自身が開発したネットブックOS「JoliCloud」が古いコンピュータに導入され、学校での利用が進んでいるというフランスの起業家、Tariq Krim氏は、ICTが可能にする知識への無限のアクセス、コラボレーション、それにシュミレーションが教育を変えると期待する。シュミレーションについては、「これまではなかった分野。"What If?"で分析し、シュミレーションできることは創造力の支えになる」と述べる。フランスのエリート校では、同氏が手がけたスタートページ「Netvibes」、Facebook、Googleを使いこなすことが必須になっているという。

一方で、課題も洗い出されたようだ。

2010年にJumoを立ち上げたFacebookの共同設立者、Chris Hughes氏

たとえば、教える教師側はICTを受け入れる準備ができているか――Facebookを共同創業した、現在チャリティー団体のソーシャルネットワーク「Jumo」を立ち上げたChris Hughes氏は、教師の役割が変わってきたと指摘した。

教師は、新しい教材や技術を使って教育改革を現場で実践してもらうという重要な役割を担うが、ICTを使いこなせるか、ICTが現場に入ると自分の役割はどうなるのかと後ろ向きな声があるのも現実。英国の化学者で1996年にノーベル賞を受賞したHarold Kroto氏は、ICTにより生徒はさまざまな学習の方法があり、教師が教える方法もさまざまになったと述べる。「フォーカスは教師に向けている。教師が変わるのを助けている」とKroto氏、教師側もICTを拒否していないというが、まだ道半ばだと告白する。

1人の先生が教科書を手に、数十人の生徒の前に立って授業をするーー教えるスタイルとして長く続いてきたものだが、ここから見直す必要があるという声もあった。Sachs氏は自分たちの大学で取り組んでいるというグローバルクラスルームについて紹介した。世界約25拠点のキャンパスを結ぶネットワークを利用し、週に1度授業がある。学生たちは授業のないときでもブログで新しい情報を交換したり、課題について話し合っており、「継続的にアイディアを発展させている」という。こうなると、知識の詰め込みや暗記力ありきではない、新しい学ぶ力が求められそうだ。

ノーベル化学賞受賞者のHarry Kroto氏

「生徒が参加して改善していく。チームワーク、コラボレーション、ソーシャルネットワークのスキルを見に付けることができる。これは、効果のある"教え"へ向けた重要な方向だ」とSachs氏。生徒にしてみれば、「人生を通じて利用できるスキルになる」と付け加えた。

生徒自身が自ら学ぶセルフラーニングを信じるのは、英ニューカッスル大学の教授で、教育科学者のSugata Mitra氏だ。Mitra氏は、「インターネット接続があれば、9歳の子供は問題によっては自分で解決できる。学校にタブレットが25台あれば、6ヶ月で数学の学力は10%改善すると保障できる」と言い切る。

スウェーデンの政治家で国際連合人道問題(OCHA)担当事務次長兼緊急援助調整官を務めたこともあるJan Eliasson氏は、教える手法(メソッド)に加え、教材などのリソースも大切だと述べる。また、国連が掲げる「ミレニアム開発目標」ではすべての子供が初等教育を修了できることを目標としているが、対象を中等教育に引き上げるべきという意見も述べた。

産業界の参加者は、政府との協業をより密に強くしていく必要があると感じていたようだ。EricssonのVestberg氏は会場に向かって、Sachs氏ら学術界と共同で、ICTが教育に与えるインパクトを測定する手段を開発する、と約束した。メリットを具体的に示すことができれば、変化はもっと早くなると期待を寄せた。

日本政府が教育に支出する額をGDPに占める割合としてみると、経済協力開発機構(OECD)加盟国の中でも低いことで知られている。日本は3.3%、これはノルウェーの7.3%を大きく下回るもので、OECD加盟国平均の5.5%より2.2ポイント低い。今後、日本でもICTと教育について、取り組みが進んでいくことに期待したい。