プラハから約60kmの場所にあるテレジーン

ナチス・ドイツの強制収容所といえばポーランドにあるアウシュヴィッツ強制収容所が有名だが、それ以外にも強制収容所はヨーロッパ各所に多く建設された。今もなおその傷跡が生々しく残り、一般に公開されているのがチェコにあるテレジーン強制収容所だ。

テレジーン強制収容所。高い塀が張り巡らされた要塞ゆえ脱出は困難

現在のテレジーンの町並み

チェコの首都プラハから北へ約60km。人気もなく、寂れた感のあるテレジーンの町に、異様かつ巨大な強制収容所跡が残されている。

ここはもともと18世紀の終わりに軍事要塞として建築されたもの。外部からの侵入を防ぐよう塀が張り巡らされている施設だが、これに目をつけたのがナチス・ドイツだった。反ナチス分子やユダヤ人を迫害するためには絶好の施設となったのだ。

連れてこられた人たちを収容するバラック

バラック内には貧素な3段ベッドがずらりと並ぶ

14万人以上が収容され、約3万人が死亡

1941年頃よりユダヤ人を中心とした反ナチス分子の人たちの強制収容所として使用。終戦までの約4年間で14万人以上もの人たちが連れられ、劣悪な環境下で奴隷的な労働を強いられた。ここからポーランドにあるアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所に移送された人々も多く、アウシュヴィッツなど他の強制収容所への中継地としての役割もあった。

門には「働けば自由になる」と書かれているが、実際には収容された人のうち3万人以上が亡くなったといわれている

バラックのある門の入口にはアウシュヴィッツと同じく「ARBEIT MACHT FREI」=「働けば自由になる」との文言が大きく掲げられているが、残念ながらその通りになることはなかった。ここで3万人以上もの人たちが飢えや病気、過労によって亡くなったとされている。

いまわしい過去の人類の過ちを繰り返さないために、テレジーン強制収容所は保存され、一般に公開されている。生々しい収容所跡を見れば、人類の狂気がいかなる悲劇をもたらすのか、想像できるだろう。

犠牲となった方々の墓地